知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

父が旅立った話(医療と家族の調和の話)

 父がいよいよ旅立つようだと言うので、何年かぶりに会いに出かけました。晴れ晴れとした空だったので、地上の風景がネットかと錯覚するほどきれいに見えました。ただぼんやりと眺めていましたら、やがて雲が一面を埋め尽くす状態になり、その造形も日常生活がイメージできる感じで何年かぶりに上から見る雲にさらにぼんやりとなっていました。やがてアナウンスがあり飛行機は降下をはじめ雲から出ると、なんと吹雪いている雪景色の中に着陸した。この時期にこんな筈はないと思う程の積雪に驚きながら転ばぬよう気にして歩いて着いた四人部屋の病室に父は横たわっていました。寝ているのかとのぞき込むと、傾眠的だったのか気づくように目を開けました。少し白濁した九十六歳の目にどれほどに見えているのかわかりませんでしたが、笑った気がしました。

 それから、長い時間を一緒に過ごして学ぶことがありました。

 父が何かを言うのですが、入れ歯をつけていないせいなのか、何を言っているのかわかりませんでした。さらに、補聴器もつけていないので、聞きなおしている声も届いているとは思えませんでした。日ごろ介護している姉が来ないと無理かと諦めていましたが、偶然、わかる言葉がありました。それは「水」でした。判ったという喜びに満ちて周りを見渡しましたが、よくある吸い口などが見当たりません。判ったことが嬉しかったので、看護室まで出向いて、水を飲みたがっているのですがと報告するとあっさりと、だめですと言われてしまいました。すでに食物は口から食べていず、点滴で対応しているだけでなく、口の中も荒れていますから水は飲ませないでくださいと言われて、すごすごと病室に戻り、「ダメだってよ」というだけけしかできませんでした。看護師としては、食物を摂取しなくなった時から唾液も十分に回っていず、口呼吸している現状で、口の中は潰瘍による出血と血だまりだらけになっていることや、嚥下もろくに出来ない状態ですから、水といえども、誤嚥して、誤嚥性肺炎になってしまう危険性が高いということなのだろうと取りあえず自分に言い聞かせました。看護師としては、飲んでいいということは、死んでもいいということと同じ意味になってしまうリスクに、絶対に良いとは言えない立場なんだよなとも理解はしました。水飲んで、それで死んだら誰が責任をとるんだ。そうなんですが、家族としては、医師がすでにあと何日も持たないと宣言するほどすでに内臓の臓器は疲弊し心臓の一方の弁は機能せず逆流しているとも言うほど老齢による機能不全が全身に及んでいるということですから既に覚悟は出来ています。そんな中で、たった一つの救いは意識が明瞭だということです。天寿を全うしようとしている父親が、最後に水を飲みたいとハアハアしながら言っています。ここで水を飲ませば旅立ちを早めるかもしれない。それも数日。ここで我慢させても数日しか生きてはいない瀕死の状態。結局、何の足しにもならない習ったことのある終末ケアのことを考えながら、ベットのそばでうろうろする程度しか能はありませんでした。姉が来てみると、「起こせ」と言っていると言って手動のギャッジベッドをくるくる回して少しだけ起こしました。大丈夫かと見ていると案外本人の希望に添えたのか、穏やかな顔になっていると感じていたのですが、その後やってきた看護師は、今日は血圧が低いので頭は下げないとだめですとあっさりと戻してしまいました。医学的には正しい措置なんですよね。そう、ここは自宅ではない医療施設なんですよ。だから、点滴や酸素マスクを勝手に取り外してしまうという悪行を散々行っていたせいで、父は、骨しかないような両腕を、拘束されていました。面会の方がいる時は外してもいいですよと看護婦さんは優しく言ってくれましたが、外したからと言って父には何も出来ないのでは思っていましたが、意外と父は父らしく、拘束を外すと布団を自力で剥いでいました。姉の通訳によると布団が重いからだそうです。なるほどと感心していましたが、体力の落ちている父には湯たんぽが入っていて、外は吹雪の現在体温の低下を招かないように布団は掛けていなければならないというのが看護としてのルールでもありました。そういえばいつか帰省した時これは軽いと購入した羽毛布団を自慢していたなと思いだし、この布団は重いだろうなと再び剥ぎ取る父に父らしさを感じました。むしろ悪いことしている訳でもないのに、剥いだ布団の代わりにタオルケットをかけたこっちの方が看護師が来ると、ポーズとしてちょっと布団も掛けたりして何のアピールしているんだ俺はと自嘲気味になりました。そもそも、ここは病院で、自宅では看取れないのだからということに行きあたります。そんなことしか出来ない不甲斐ない兄と違って弟はとても逞いものでした。何と、10cmにも満たないスプレーに水を入れてきて、父の求めに応じて口に霧水を提供していたのです。しかも、看護師には見つからないように隠れて上手に。

 日本の医療は、今死ぬとしても最善を尽くすが基本ですから、病院に入院させているということは、病院のルールに従わなければなりません。高齢の父の親族としては、明日死ぬなら今日好きなだけ水を飲ませて今日死すともそれも天寿と覚悟は出来ているのですが、それは自宅という環境ならではと考えると食事が全く口から取れない状態で点滴で生きている父親を病院から連れ出すというのも迷うところです。実際、普通に考えたら、人生ではたった2回しかない実の親の旅立ちになんか手助けしたいと思っても何も出来ないんだなと感じました。それから2日後父は旅立ち多臓器不全の体を捨てました。

嘘つき薄葬令から、権力者の裏事情を邪推する話

 日本書紀によると、大化2年(646年)の改新のなかで薄葬令が規定されたと書いてあります。内容は、中国の故事に習い、民衆の犠牲を軽減するため、王臣と庶民の身分に応じて作ってよい陵墓を制限し、人馬の殉死殉葬を禁止し、陵にかける時間を7日以内に制限するなどの制限が加えられたというものです。この記述を元に歴史学では、古墳時代は終わったというのです。ここからが邪推なのですが、では何で古墳を作っていたかということから考えてみたいのです。一般的には、権威の象徴と言われますが、広報媒体のないこの時代では、現地へ行かなければ壮大な古墳も見られませんし、多くの地方の住民は旅行で移動などしませんから、視覚的権威としては何の効果もありません。首長クラスでも戦争でもない限り自国を出ることはあまりありません。第一、死んだ人間にそんな大工事をして見せなくても、現在権力を握っている人間にしてみれば何の意味もありません。この時代は、まだ権威や象徴で権力を手に入れる環境ではなく、戦いで入れ替わる時代ですから、父はすごかったなどとでかい墓を作ったところで近隣豪族や人民を含めて古墳を見てひれ伏すなんてことは考えられません。むしろ、日本書紀の記述にもあるように、民衆の犠牲や資材が多くかかる負担の方が多いものですから、権威の象徴にはならないと思うのです。むしろ権威の象徴として、装身具もたくさんつけていた時代ですから、死んだ人間のために墓に金を掛けるより、装身具や武具で権威づけして示威行進でもしていた方が遙かに効果的と思うのです。ところが、古墳と同様に装身具も無くなってしまうのです。つまり、権力の象徴と考えられる古墳も装身具もこの薄葬令によって禁止されたのでなくなったというのです。大化の改新で、地方を従わせる中央集権国家を目指すには、権力の誇示が必要なのに、否定したというのです。このことからも、古墳は権力の象徴ではなかったと思われるのです。現在の視覚技術だから上から見たり出来てすごいと思われますが自分たちの目しかなかった時代には多くの人に視覚的偉大さの強調にはならなかったと思うのです。

 そこで古墳はなんのために作られたかと考えると、古墳は墓ではなく、復活のための施設だったと考えることも出来ます。つまり、中国では、死後も生前と同様の生活がつづくという考えがあって、秦の始皇帝の陵墓に附設された兵馬俑が有名なように、偉い人の復活のために現実で使用される道具のミニチュアや紙でつくった貨幣などが副葬されるということがあります。ビラミットなども復活のための施設とも言われています。ですから、古墳にも生前と同様の武具や生活用品、殉葬としてあの世で仕える人が副葬として必要だったのです。死んだから終結としての墓ではなく、復活してくるための城だったとしたなら貴重な武具や装飾品を入れなければなりませんし、他者に攻め込まれないように厳重にしなければなりません。しかし、そんな復活思想を持たない人々からすれば、古墳なんて無駄以外の何物でもありません。そう、朝鮮半島における王陵の発掘成果によると、中国的発想はむしろほとんどみられないとされています。この当時日本は百済と交流がありました。そして、百済新羅に滅ぼされます。百済の貴族を含めた難民が日本に来ています。仏教は百済からもたらされました。仏教に復活の思想はありません。大化の改新などにより大和朝廷は地方豪族を押さえ中央集権国家へと変貌したと言われますが、その実務を担当したのは百済の人間で、もともと百済で実施していた土地の領有を宣言し全ての土地と人民は天皇(百済王)に帰属するとした公地公民制を大和朝廷の中で行ったとしても不思議ではないのです。地方分権から、中央集権に変わるのですから、地方の反発は相当あります。それを正当化し従わせる武力とイデオロギーが必要ですが、内部から沸き上がったとは思われないのです。もっとあります。持統天皇は703年に崩御したのですが、彼女は天皇で初めて火葬されただけでなく、自身の墳陵を持たず夫の天武天皇の墓に合葬されたのです。火葬されてしまったら二度と復活することは出来ないのです。それを後継者が行うというのは異常です。しかし、反対もなく出来たということです。これらのことは何を意味するかと考えると、権力機構の交代があったのではないかと思われることです。実は、古代政権は、親密だった百済の亡命者たちに平和裏に乗っ取られた可能性が高いということです。同じことは、明治維新でも起きていて、陰でイギリス、ドイツ、フランスが動いていたことは事実でその後の憲法だけでない実施内容は、地方分権から中央集権へのおおきな変革です。よく見る聖徳太子の左右にいる皇子の髪型だった先祖伝来の髪型もちょんまげに変わりますし、服装も大きく変わります。伊勢神宮遷宮は復活であり、若返りであるように、天皇が変わるたびに遷都していた宮殿も首都として固定されていきます。日本書紀に根の国、古事記には黄泉国という表記で表される地下の世界が実は否定されることが起きているのです。歴史の記録は、自分の正当性を表現したものですから、自分の都合よいように書くのが当たり前ですが、この時代には、歴史なんて認識はありません。しかし、中国と付き合うには、中国同様に、国書として国家の記録があることが必要でしたから、中国などに見せるために作られたのが、古事記であり日本書紀なのです。ですから、そんなもんがあることさえほとんどの人は知らなかったのです。その程度ですから、史実が適正に書かれているわけではありません。特に、どんな資料に基づいて書かれたかの記載もほとんどありませんから照合することさえできないのです。ところがその中で資料として使用したと書かれているのが百済の国書なのです。

 とまあ、こんな風に邪推しながら歴史を見てみると面白いですよ。

言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらない話

 客観的にその集団では最下位に位置している人物でも、一人でも後輩や部下ができると、自分がその集団に所属した時には、こうだったああだったと云い、後輩や部下に愚痴なのか武勇伝なのか無口な人でも語ります。しかも、自分は上手に出来ていなくとも上から要求されたことを評価の基準にして自分の成績は、隠したまま後輩や部下を評価します。他者からは最低の評価を受けている者でも、自分が上位にいると錯覚して語ることもあります。過去には、空気が読めないやつなどというあいまいな評価もありましたし、覇気がないとか、やる気がないとか、情緒的な言い方から、ひっくるめて現代っ子なんて言い方や最近のゆとり世代まで様々です。どんな組織も、いつの間にか自分を中心に上から下まで他者評価(愚痴を含めて)を延々と行っているものです。それがその組織の家風でもあるのですが、当然馴染める人と馴染めない人は出てきますから、順送りの様な家風に順応した人が上司となっていくのです。つまり、よくある上司無能の批判はそんな人を上司に据えるような選択をする人の家風の組織なのです。よく、新設会社は、5年以内にほとんど消えると言いますが、集められた人材の運用もさることながら、他者を見る目に失敗することが多いことも要因に挙げられます。どんな事業も一人では限界がありますから、他人を雇うのですが、事業の遂行能力と人物を見極める目は全く異質で有能そうでダメなやつと無能そうで非凡なやつを選別できないから、自分が現場を指揮していた時から、現場を離れ他人に任せるうちに潰してしまうのです。優秀な企業家は沢山いますが、自分に合った参謀を確保できる企業家は少ないのです。

 さて、自分が上司となって部下を持つと様々な時代の風潮や評価基準が気になるものです。そして手引き本なんかに興味を持ちながら評価します。自分が部下の時は、上司が無能だからと愚痴っていましたが、自分が上司になると部下の駄目さ加減ばかりが見えて仕方なくなります。結局は、自分にはすごい上司にも、出来る部下にも恵まれていないのだと勝手に思いこまなければやり切れません。他者はかっこよく、どんな上司でも上司になった要素はあるのだから良いところは見習い、悪いところは反面教師として学ぶべきだし、部下は育てなければならないといいますが、良いところなんて一つも見つかりませんし育つなんてこととは程遠いとしかお思えない状況ですと声を上げたくなるぐらいです。第一、部下を育てるといったって、本を読んでも、研修も受けてみても、そんなにうまくいったら苦労するかということぐらいしか成果はありません。飲みにケーションなんて言って酒を飲んでも、結果として成績が上がるわけもありません。

 実は、現代の組織はまだ底流に、終身雇用の習慣と残存があるのです。終身雇用の仕組みは人と人の「縁」の深さです。殿様の国替えがあっても国衆は延々と続いていたように経営者が変わっても雇用は続くという思考は底流として今でも流れているのです。現代の縁というのは、深さではなく、広さに変わってきています。異業種交流を含めて、いかに広い縁から利益を作り出すかという手法に変わり、労働者も広い縁の一つでしかなく縁がなかったものとリストラするのは当然の帰結なのです。ですから、一人一れの「モチベーションアップ」などといっても上がるわけはないのです。勢いのある風の吹くままに、流されている方が時には有利であることが本当に多いのが現代なのです。そして、そんな世相を反映しているのが、「言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらない」というのが現代ではないかという話です。個人の、モチベーションや頑張りを求めるのは、言わなくてもきずいてくれる、プラスアルファの仕事は当然、自分の話を聞いていると幻想を持っているからです。そうではなく、現代は、人は、言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらないを認識していれば一つでも自主的にやってくれると嬉しく思えるのです。そうなれば、やっと部下や後輩を褒められるチャンスに出会えます。

奴隷という視点から国を考える話

 クルドのことやロヒンギャのことは、簡単なことではないのですが、国を持ちたいという思いを奴隷という視点から考えてみたいのです。今日の日本では、奴隷というとアメリカの黒人奴隷のこととしか学校では学ぶ機会がないので、日本にも古代から奴隷はいたということやヨーロッパもイスラム圏も奴隷が一つの価値ある商品だった時代かずっと長かったことを学ぶことはありません。さらにアメリカの南北戦争で黒人奴隷解放が高く掲げられたのは人種差別に起因すると学ぶのは本当は適切ではなくて、白人も奴隷として売買されていたし、戦争だけでなく、略奪や誘拐・拉致などで民族そのものが奴隷として売買されていたことを知ってもらいたいと思うのです。アメリカの奴隷は、初めから黒人ではなく、インディオや白人を導入しただけでは労働力が不足し、さらに南部の気候に適応せず死亡が多かったために気候に適したアフリカの黒人を連れてきたということなど、決して人種差別一点で進んだことではありません。人間は労働力として長く、年季奉公の様な奴隷と変わらない期間契約労働だけでなく、奴隷として所有することが認められていた時代を持ち、今でも世界にはまだまだ根絶されたとは言えないのです。奴隷を必要とした社会は古代のギリシャを含めて、ヨーロッパでありイスラム社会でした。ギリシャの奴隷は同じギリシャ人が多かったとも言われていますが、スレイブ(奴隷)の語源となったスラブ人は、国家が弱かったので、他民族の侵略や略奪を繰り返し受け、中世・近世と長く奴隷狩りの対象となっていたと言われています。その原因は、貿易という商品交換の対象だったからです。私たちは教科書などで、イタリアの都市国家は貿易で繁栄した等と習うのですが、貿易は、商品の交換が基本ですからお互いに同じものを持っていたのでは貿易は成り立ちません。双方が欠損していて欲しいものを交換するのですが、欧州の国家が欲しいものは、香料、絹、宝石など沢山ありましたが、欧州からはこれに匹敵するような物品はなかったのです。そこで、労働力としての奴隷を認め必要としていた、イスラムに販売していたということです。イスラムは、香料や絹を中国やインドから取り寄せることのできるいい地域だったし遊牧的生活では、運送手段を持っていて、商人としてシルクロードを活用していましたし、同一宗教内の奴隷を認めない教えの中でキリスト教徒は売買の対象として適切だったのです。それはキリスト教でも同じでしたが、欧州の他民族の中ではとにかく弱い民族は、簡単に侵略者の奴隷にされてしまったということです。そして、男はガレー船(昔の戦艦で地中海の制海権がかかっていた)の漕ぎ手や鉱山の人夫、農夫という労働力だけでなく、傭兵という戦力にも組み込まれています。女も、娼婦よりも、家内奴隷として家事をもっぱらやらされています。日本人には理解できない民族というくくりを言語系統で大きく分けただけでも、ゲルマン系、ラテン系、スラブ系、ケルト系、その他と分けられ、民族の攻防が延々と続き、その中で捕虜や誘拐があって人身売買も正当な商売とされていた時代があったということです。事例としてクリミア汗国では、ウクライナ人の村を襲って住人を奴隷にして売ることを生業としていたとも言われていますし、イギリス王が、3万人の牢獄者をアメリカに奴隷として売ったことがアイルランド奴隷貿易の始まりとも言われています。その後、アイルランドの囚人達は、海外在住のイギリス人入植者へ売られるようになり、イギリスは、このアイルランド奴隷貿易を100年以上にわたり続けたと言われています。それは、1798年アイルランド暴動後も、何千ものアイルランド人奴隷がアメリカやオーストラリアへ売られたとまで言われています。つまり、アメリカの黒人奴隷は、すでに行われていた欧州の奴隷売買の延長線上にあって決して人種差別問題だけの正義の戦いではないのです。白人とか黒人ではなく、国家を持てなかったり、軍事力が弱かったり、治安が安定していなかった地域の住民は、突然の襲撃ののちに奴隷として売買されることが国家間でも行われていたということです。それは日本も同様で、古代には、中国に人間が貢物となっていますし、戦国時代では、乱取りの一つとして住民を拉致して奴隷として売ることが広く盛んに行われていたのです。理由は、武将には報酬として占領地の分配がありますが、明確な報酬規程のない兵士には報酬代わりとしての乱捕りと言う金品を含めた略奪・拉致なんでも戦利品として自分たちの物とすることを了解していたからです。ですから、戦場の近くには、そんな商人たちが常に待機していたり随行していたのです。戦国時代の日本人奴隷は非常に有用で、女は売買婚の妻、男は傭兵として、東洋のポルトガル船や後期倭寇の戦闘員になったりもしています。ですから歴史上、最も古い職業は傭兵と娼婦、最も古い商品は奴隷などとも言われています。人間は有用で、国を持たないと自分を守れない時代が今もあるのです。ユダヤ人が立国した国を守ろうとするように、クルドやロヒンギャにとっても自らを守る為に立国しようとする意識は、日本人には理解できない深い希望だといえると思うのです。多民族国家として成立している国では、国内の民族対立や迫害がないと独立などとはならないのですが、民族として自分たちが守れないという危機感が強くなれば独立という要望が強くなるのかもしれません。今日のクルドなどの課題は、第二次世界大戦前後の植民地問題による線引き国家が問題とされてもいますが、たとえ自治が拡大されても、奴隷的生活を強いられたり、そのように感じる扱いを受ければ、民族はは独立へ向けて歩き出すのかもしれません。

 

芸術はコミュニケーションではないの話

 芸術は、国際共通の言葉などと説明されて納得している人は多いのですが、芸術は一方的で言葉のようにコミュニケーションを、図る道具とは全く別物です。言語は、相手に自分の意志を伝え相手との確認をすることの道具として最良ですが、芸術は、一方通行で感じ方はさまざまで意志を伝えることは出来ません。一枚の粘土板の文章は古代の意志を読み解くことは出来ますが、古代の彫刻や絵画からはその意思を読み解くことは出来ません。また、言語は技能を必要としませんが、芸術は技能を必要として日常生活用品ではないのです。そして、芸術は、絵であれ、音楽であれ、時代背景や状況で解釈さえも変わってしまいます。例えばワグナーはドイツでは、注意すべき音楽ですが日本人の多くは関心がありません。しかし、日本の軍歌がテレビの懐かしのメロディーとして特集を組まれることがないように戦前と戦後では評価は一変しています。軍艦マーチにパチンコ店を思い浮かべるのは年代で、軍歌は、カラオケ店か、街宣車でなければ接することはほとんどないぐらいに、特定の考え方として一般的とは言われません。特に、政治として利用された芸術は、その作品としてではなく、政治の広報媒体として特定の解釈がされてしまうからです。芸術作品は、作品としての自己主張があっても、言葉として話さない限り、相手には伝わらず、相手の都合のいい解釈によって、利用されてしまう危なさを持ち合わせています。

 人間の感性も、生きている、生きてきた環境で、感じることも、表現できることにも大きな違いがあります。むしろ、人は感じたことを、思うようには表現できないのです。言葉であれ、身振りであれ、絵や、音楽を使っても、自分が感じていることを何かを使って表現しようと試みますが、結果はいつも納得できないのです。特に、相手に分かってもらおうという企てを含むと、尚更に、自分の感じたものを表現しているつもりでも、歪曲してしまうし、歪曲して感じられてしまうのです。ですから、二人で、同じ風景を見ても、同じ感動にはならず、近似値としての状況の中で、それを双方が表現すると相当の違いが出てしまうから、素晴らしいとか、美しいとか、短い言葉でしか表現しないのです。現代の芸術教育は、このように感じるべき、このように感ずると訓練されることによって共有できるようにしているだけで、ピカソの絵を見てなるほどとは中々思えないのはその為です。例えば、西洋の楽器は、比較的人間の感情表現を再現しようとしていますが、日本の雅楽の楽器は、人間相手ではなく、神であったり自然を表現するものです。それを東儀さんは、西洋音楽の楽譜を当てて、楽器としてなんにでも使えるよと証明してくれますが、それでは雅楽器も世界の珍しい楽器の一つになるだけです。なぜなら、雅楽器のひとつ篳篥(ひちりき)は、西洋楽器で言えばオーボエとも言えますから、演じるならオーボエの方が優位です。しかし、篳篥が演じるのは、「龍」ですから、オーボエでは龍は演じられません。龍が、西洋旋律を演じることはカラオケのごとくできますが、信仰としての龍の声は、全く別物なのです。また、和太鼓のサークルも沢山あるのですが、打楽器としての凄さはわかっても、結果として何を表現しているかを、もし聴衆に確認したとしてもほとんど望むような回答を得ることは難しいと思われます。アフリカの太鼓に会話ができるシステムがありますがそれはお互いがすでに確認しているだけで、突然では理解不能になります。つまり、楽器には、人の思いということ以上に時代背景や信仰ということとの関わりがあって、聴衆に聞かせるものから、神に捧げるものなど様々で、今では土産店でおもちゃのように売られているアイヌムックリは、自然や神との交信であって観客が聞いて感動し理解できるものではありません。

 芸術というのは、何かを促す効果はあります。風と音は、自然にあり、叩いても、引いても音は出ますし、岩に線を書いても、土を塗り付けても形は確認できます。声を出し、体を動かせば、様々な表現も出来ます。ですから、芸術は、呪術的で宗教的に多く利用されてきましたし、雰囲気づくり気分の統一には便利なだけに政治にも、戦争にも常に活用されてきました。だからこそ、芸術は世界の言葉などと、綺麗なものにしてしまうと、詐欺にあってしまいかねないのです。芸術は、自然と同じように、常に一方通行でコミュニケーションにはならないことを知っておかなければならないと思うのです。一方通行だから相講釈師がついて、利用されてきた歴史があると思うのです。だから人間は、音を言葉にすることで、コミュニケーションを考えてきたと思うのです

こんな研修で人は育たないの話

    東京都の相談支援専門員の資格研修に参加して、演習のあり方について苦言を言ったら、会場から排除されるという経験を持った私しが、縁あって他の県の強度行動障害の研修に参加する機会を得ました。この研修も厚生労働省の代理研修なので、講師となっている県の担当者は自分の自由に出来るものではありませんから、歯がゆいものなのですが、東京都のような高飛車で強引な押し付けをしないだけでも県の講師に同情する研修でした。しかし、内容はこんな研修で人は育たないと思ったので、長い文になりますが 報告したいと思います。

 

 研修当日のテキストから長い引用となりますが、まず提示しようと思います。(下線部は紫藤)

1、演習のねらいとテキストで説明されたのは、以下の文です。

 この演習では、2人の事例について、行動の背景を分析し、支援計画に活かすた

めの方法を学ぶことを目的とします。具体的には、①行動の背景を意識する周囲か

ら見える行動のみに着目するのではなく、行動に関連する障害特性や環境面の影響

などを踏まえて、本人の支援ニーズを探る。②支援のアイデアを柔軟に考える。

人の行動をより適切にし、また生活の質を高めるために必要な支援を、障害特性や環

境要因を意識して支援計画を立案する。

2、演習の方法は、氷山モデル方式によるグループ討議です。

  重度の知的障害のある人や自閉症の人が、本人が理解できないような指示を受

けたり行動を促されたりしたときに、激しい自傷行為や他害行為、または金切り声

をあげたりかんしゃくを起こすと、支援者の中にはそれらの行為を、本人の「問題

行動」として捉えてしまう人が少なくありません。(中略)一方、その行動が本当に問

題行動なのかを整理して考えることも必要です。

  たとえば、本人にとって、「その行動の意味は何なのか」、「他人に迷惑をか

けていることなのか」、「場面によっては、問題でなくなることもあるのか」、など

といった視点で見ることよって、問題となる行動の背景を探り、より適切な対応を考

えることに繋がっていきます。

  その行動の困難さ理解するために、氷山に例えて見立てるという考え方があり

ます。氷山は、水面上に見える部分だけでなく、水面下にある部分の方が大きいこ

とから、全体像を見る時には、その氷山の一角に注目するのではなく、水面下の隠

された部分を見ることが重要であるということです。この考え方を『氷山モデル』と

言っています。かんしゃくや奇声、他害・自傷為、不適切な行動、強いこだわり

といった行動を水面上に見えるものとして考えた場合、水面下にはそれ以上に多く

のあるいは大きな要因があることを想定して支援を検討していくことが必要となり

ます。

  自閉症の人の問題行動への適切な支援方法として、この水面下の背景を、障害

の特性(情報処理の困難さ、社会性・対人関係の特性、般化・関係理解の困難さ、

感覚処理の偏り…)と環境面(行動を引き起こす様々な状況、周囲の刺激、複雑な

環境)の両方の要因から検討することが大切だと言われています。(以下略)

3、演習として何を行うかをテキストでは以下のように言います。 

 この演習では、感覚過敏がある人たちの行動の背景を考える視点と支援について

考えていきます。重度の知的障害のある人や自閉症の人たちの中には、自傷、他害、

異食、かんしゃくなど危険を伴う行動を頻繁に示す人がいます。支援者は、その表

面的な行動だけを見てしまうと、その行為を止めさせようと考えることばかりに注

意が向いてしまうことが少なくありません。

 そして、適切な対応がされないことで、行動はさらにエスカレートしてしまいます。

  強度行動障害のある人たちは、周囲からの働きかけや刺激を取捨選択できず、

自分の中で整理することが苦手なため、結果として社会生活の適応に大きな困難を抱

え混乱した状態になっているものと考えられます。(感覚過敏の説明のため省略)

 長時間我慢すれば慣れるというものではなく、調節したり折り合いをつけたりし

ながら、本人が生涯付き合っていくものになります。本人が自らコントロールできる

手段や方法を検討することも大切ですが、支援者が特性を正しく理解し、配慮する視

点が欠かせません。

 

4、上記前置きの上で提示されたのが演習としての問題事例が、以下です。

●みゆきさんの、もっとも大きな課題は「テレビや物を破壊してしまう」ことです。

●みゆきさんは、地元の中学校の1年生で特別支援学級に在籍する知的障害を伴う自閉症

の女性(13歳)です。

●みゆきさんの特徴としては、言葉の表出はありませんが、教師の指示を受けて行動するこ

とはできているようです。

●入学して間もない頃に、ある問題が発生しました。みゆきさんの問題となっていることは、

食べ物の偏食が強く、特定のもの以外食べないことです。好きな食べ物はトンカツで、小

学校の頃にも給食時には他の児童のものまで食べようとすることがありました。また、ご

飯は冷たいままだと食べないため、レンジで温めていました。

●ある日の給食時間のことです。午前中、落ち着きがなかったことで、いつもの交流学級で

はなく、特別支援学級で給食を食べることになりました。ちょうどその日はトンカツが出

ました。体を揺らすなどの興奮状態が見られ、すぐに食べようとしなかったので、教育支

援員がトンカツソースをかけて本人に食べるように促したものの、食べようとしませんでし

た。結局、その日は給食を食べずに休憩時間となり午後の授業を迎えました。その時、み

ゆきさんが椅子から急に立ち上がり、教室内に設置してあったテレビを押し倒して破壊し

てしまいました。

●本人の興奮が収まらないので、数名の教員で本人の行動を取り押さえる事態になりました。

補足の説明 

○コミュニケーション(理解):言葉の意味を理解することは苦手。支援者のジェスチャー

反応しやすい。一部の単語は理解している。また絵や写真などには理解を示す。

○コミュニケーション(表出):言葉での表出はない。動作や物を指さすなどの動作が見ら

れる。

○社会性・対人関係:あまり自分から人に関わっていくことはないが、自分の思い通りにな

らないと人に対して叩く、つねる等の行動が見られる。

○学習面:見本があれば書くことができるが、意味を理解することは難しい。

○時間の整理統合:やるべき活動の優先順位をつけることが難しい。

○空間の整理統合:自分の持ち物や場所と、人のものとの区別や境界が分からない。

○感覚処理:偏食傾向がある。

○微細・粗大運動:ハサミを扱うことはできるが、粗大運動はぎこちなさが見られる。

○感情コントロール:興奮すると奇声が出て、体を大きく揺らすことがある。

○記憶に関すること:ルーチンの保持がある。

 各施設から集まった研修参加者は、主催者のグループ分けに従い6~7人のグループで、話し合うのです。大きな紙がグループごとに配られて、KJ法よろしく付箋に個人が書いて貼り、項目ごとにまとめていく、その間、県内の施設の責任ある立場の人たちが、ぐるぐると回りながらアドバイスをしていき、時間が来たら、グループごとにまとめたものの中から、どこかのグループが発表します。それを講師は、講評し、そしてまとめます。

 発表したグループは、ソースを勝手にかけたことが問題であるとか、冷えたご飯を温めるべきではなどの対応の不備とか、様々な討議の内容を発表しますが、感想の域は出ません。なぜなら、業務の職種が、児童から成人、通所から入所と様々で、施設の規模も、運営形態も全く違うだけでなく、実務経験も大きく離れた今日初めて会ったメンバーですから、お互いに交流会の範囲を超えられないのです。少しでも知っている人が説明役になるか、自分の施設での経験談になる程度で、演習としての論議にはならないのです。

 テキストでの演習のまとめは、こうです。(下線は紫藤)

重度の知的障害のある人や自閉症の人を支援するためには、表面的な行動や言動に着目するのではなく、その背景として考えられる障害特性や環境にフォーカスを当てる視点、すなわち全体像をアセスメントすることがとても重要であることが理解いただけたと思います。

 背景を含めた全体像を分析することで、支援者間で情報を共有すべき手がかりが見つけられたり、情報から本人を取り巻く周囲の環境を調整することで、強度行動障害と呼ばれる本人の混乱を回避できる可能性のあることが、改めて認識できたと思います。

 チームで支援を考えるためには、それぞれのスタッフが独自の考え方で対応してもうまくいきません。課題となる行動に対して、障害特性や環境・状況といった行動の背景を明らかにする共通のフォーマットは、チームで行動支援計画を立てるときに、情報の共有にズレが生じないようにするのに役立ちます。(以下支援者のあり方についてなので略します) 

そして、最後にわざわざスライドを用意してまで、講師が全体に説明したのは次のことでした。

 

  この課題には、正解というものはありません。この事例では、本人がソースの好みがあって、その後は自宅から好みのソースを持ってくることになりました。関西なのでソースの種類が沢山あり(7本程度のソースのスライドを見せながら)本人はこのソースが好きなんだそうです。

と、にこやかに笑ってお疲れさまでした。なのです。

 これだけの大仕掛けで、この演習で、正解とは言わずとも実はソースの問題でしたで、一体何が学べますか。

 氷山モデルの方法も、Kj法も正しい方法です。しかし、適切に活用したならという言葉が注意書きになければ何の意味もありません。あくまでも方法ですから、目的達成のために使用する手段であって知識をひけらかすものではありません。

 つまり、演習の目的や方法、演習の意味で語られたような内容に基づく考え方が例示されなければ、テキストの言う演習まとめのような学習にはならないと思うのです。事例があり、背景や本人の表現できない感情を見なさいと言って、最後はソースが違っていたでは、まるでクイズの様なものです。背景だとか、環境調整だとか、チーム支援だとかの支援を考える演習の目的や解決・考え方は全く示唆さえされていないのです。少なくとも、こんな考え方もできますよということを示さなければ論議にもなりません。まして、強度行動障害の対応という普通ではない障がいに対する考え方を演習する場で、お金も時間もかけた挙句に、講師の最後の説明が、「ソース」の種類でしたというのは、あまりにも情けないと感じました。

 

 もし私が講師だったら、この事例では、こんな話をしてみたいと思うのです。(偉い講師を批判したのですからから自分の考えを明示しなければフェアーではないので)

 

 私の考え

(1)分析として(提示された事例文書だけから考える事)

①給食の献立は、通常学校では事前に配られていてたまたまと感じたのは教師であって

 本人は知っていた可能性がある。

②記録には、交流学級でのトラブルや拒否の報告が無いので、予定に関して構造化されていたな

 ら、本人は行くものとして行動に組み込まれていた可能性がある。

③食べ物の偏食があるということは、食事量に影響があるので、献立は事前にチェックされているはずで、給食の強制をしないためには、対策が取られていたはずで、この日は好きなものなので食べると予測していたはず。

④午前中、落ち着きがなかったとしているのに何の取り組みもなく、教師は勝手に不安定だと決めつけています。行動障害の一つは感情表現が適切ではないということが理解されていれば、この落ち着きのなさの原因を探らなければなりません。給食の献立が好きなもので楽しみでハイになっていたかもしれません。つまり、不安で落ち着きがないのではなく、楽しみがあって落ち着きがなかったのではないかという視点です。同様に、朝、家庭で何かあったのかとか、朝の交友で何かあったのか考えますが、落ち着きなさを常に不安定と考える考え方は禁物です。人間は楽しみが待っているだけでも落ち着きなくなるのです。感情表現を本人視点で見直さなければならないと思います。

⑤構造化という視点からすれば、本人の予定行動を突然変えてしまうのですから、最も行うべきではないことをいとも簡単に行っています。強度行動障害には、構造化が大切だと散々座学で講義しながら、演習事例に明らかにおかしいことが載っているのに一言も言及がないのは、構造化を理解していないと思われます。

⑥予定をお前が落ち着かないから、お前のせいで変更したという教師の言い分に、どんな表現で抗議が出来ますか。私は、大好きなものを食べないは、本人の出来る最大の抗議だと思うのです。ここで、どうしたのと確認すべきなのに、早く食べろよとソースを掛けるということは、本当に構造化という視点がありません。行動障害の人には、その行動に本人なりの作法があって、例えばソースは右から左へと掛けるとかもあるものです。特に好きなものでは、私たちでもこだわる場合があって、人に触られたくない感情もあります。強度行動障害では、そんなことさえ配慮して対応することが日常的に望まれるのです。

⑦給食を食べずに午後になったということは、その給食はどうなったという視点が私は重要です。

 施設で、もし廃棄したなら、虐待事例として処罰の対象となります。食事は工夫して少しでも食べていただく努力が優先されます。当然本人の好きなものですから、根気よく働きかけることが基本です。しかし、この事例記述では、食べていないのです。普通怒って当たり前ではありませんか。

⑧抗議の意思表示で拒食しているのに、気が付きもせず、食事がかたずけられたら怒りませんか。静かな抵抗では駄目なら、机をひっくり返すしかないのではありませんか。本人はより効果的なテレビにしたようですが。

⑨そして、教師が何人もで抑えなければならなかったという、本人が暴れたという事、講義で否定している問題行動だけが強調されてしまっているのです。

⑩しかし、講師は、これはソースの種類だったと結論づけるのです。

⑪演習ですから、強度行動障害の人が、問題とされる行為に至った、原因や背景を考える時、一番重要なのは、側にいる人間の刺激です。この場合には、刺激のもととなっている教師です。つまり、教師はどんな刺激を与えたかという視点で検討し、その刺激は適正であったかの検討をしなければ、現場での具体的な支援の演習にはなりません。

⑫大事なことは、問題行動が発生した時は、謙虚に支援者は適正な刺激を提供できたかという考察です。失敗とかミスを探したいのではなく、どんな刺激が本人を傷つけるかという視点なのです。当然強制や決めつけは厳禁です。

⑬演習では失敗は許されますが、現実では失敗しない方がいいのですから、事例を通じて理念と実践の接点探しの視点での検討がされなければならないと思うのです。

 

私のストーリーは、こうです。

 みゆきさんは、今日は交流学級で大好きなとんかつを食べるということで、ハイになっていま

した。教師は、ハイの原因を探ることなく、ハイで交流学級に言ってトラブルでも起こされると

かなわないと考えました。過去には、好きなとんかつで給食時には他の児童のものまで食べたと

いう情報もあり、ここは、リスク回避として特別支援学級で食べていただくことにしました。

しかも、そのことを事前に言うと本人が興奮するかもしれないので、給食の時間になって言いま

した。すると本人が好きなはずのとんかつに手を出さないので、すきでしょ。おいしいよなどの

声掛けをしましたが、食べようとしません。時間が、無くなってしまうので、本人の作法とは関

係なくソースを掛けて食べることを促すだけでした。お落ち着きのない行動の原因を探っていな

い教師は、不安定が続いているとクールダウンのためにも出来るだけ関わらず、本人の気持ちを

確認することをしませんでした。ハンガーストライキの思いで、体まで揺らして私は怒っている

と意思表示しましたが、教師は、状況把握もしてくれない、話も聞いてくれない。終いには、食

べないのならと大好きなトンカツまで片付けてしまった。もう、これ以上我慢できない。人を押

せないからテレビを押しただけなのに、教師が寄ってたかって、押し付けるから抵抗したら、暴

れた興奮状態だとされました。こうして、多くの強度行動障がいの人は、興奮抑制剤を飲まされ

ことになるのです。

 

  私は、提示された事例で、こんなことを考えながら、東京都のように排除されないように、

みなさんの言う通りとしていましたが、講師のまとめに、驚き、こんな研修で人は育たないと再び

残念な気持ちになりました。

 

 

 

 

 

馬印を今こそ挙げてほしい「社協」の話.

 自治会を通じた寄付金や会費集めは、社会福祉協議会(社協)や共同募金会(共募)、日本赤十字社(日赤)などが行っています。社協も日赤も、組織としては会員となって会費を納める仕組みなのですが会費集めのほとんどを実は自治会頼りりで行っていました。そこに、異議を唱えた人がいて、08年に最高裁の判断で社協・日赤・共募などが一括した集金はダメと言われました。全国社会福祉協議会は、仕方なく判例の抜け道の様な住民の意思が尊重され自治会の決議がされていたなら一括でもいいと各都道府県社協などに伝えなければならないほどの集金マシンだったのです。ここには、自分たちの正規活動費であり、組織としての基本会費さえ自分たちの手では集められず、地域の自治会を集金マシンとして依存してきたことを明確にしました。それを可能にしたのは、日本の自治会が行政の下部組織みたいなものだったことを利用して、社協の理事や評議委員といった経営陣に自治会の偉い人を並べることでした。結果、社協の理念や現場の声はとても小さくなって、組織経営は、自立としての自己資金を如何に集めるかということよりも、行政の下請けとしての仕事を受諾することで生き残る道を多くの社協が選びました。そのため、社協のことを第2の福祉事務所なんて言われることもありあったぐらい、行政が出来ない現場仕事を人件費込みで引き受けて社協は肥大化していくのです。ですから、今日の社協の予算を見ると、委託金や助成金ばかりで、その委託事業先は都道府県や市町村なのです。しかも事業費のおおかたはそれぞれの事業に携わる人の人件費にあてられているのです。そうやって委託事業にばかり手を出しているうちに、本来行わなければならなかった地域に根差した活動はおろそかになって、自治会に任せっきりの会費徴収も自治会の衰退とともに減少していくのです。自治体によっては、社協の事務局長が自治体の職員の出向だったり、社協で働く事務局員の人件費が補助金で、待遇も自治体職員に準ずるというものということも珍しくなくなりました。社協労働組合は下請け業務の経費要求のマシンとなって、民活と言われた時代には、社協も民間社会福祉法人なのに、自分たちが行っていた現場事業が民間福祉法人への移譲対象になってしまったほどです。

 委託金と補助金で運営する社協は、民間といいながら独自の活動を展開する資金をほとんど持たず、独自の人件費も持たないので、社協マンなどと鼓舞しても、実際はやりたいことさえ出来ない組織になってしまっているのです。地域が衰退し、何も言わずに協力してくれた優良会員は、減少し、地域住民との連携の糸は極細になってしまっているのです。実際役所に勤めたつもりの職員も多くなり社協の過去の栄光は、貧しい時代の武勇伝程度にしか伝わらなくなっているのかもしれません。戦後の福祉で社協が活躍していた時には、プレハブの様なところや市役所の片隅にひっそりでしたが、今や一戸建て住まい並みのビルの中ということも珍しくなくなりました。社協は安定した良い勤め口の一つになってしまいました。再び活躍の場を求めて、現状の分析や方向性調査はやたらとやっていますが、しがみつき社協は、自立しようとしていません。介護保険のその前、おむつ一枚から集めて老人福祉に貢献していた社協は、法の整備とともにその存在を失ったように思えますが、世界に類を見ない高齢社会が日本で現れている今日、「逆境にどのように対処していくのか」を自ら見せることが社協の役割だと思うのです。実際、地域社協の中には、自立して、独自に福祉事業を立案したり、地域の福祉振興に貢献している社協が細々とあるのです。議論ではなく、馬印を今こそ挙げるべきです。なぜなら、社協は「逆境の人々の味方」をしてきたのですから、自分たちが逆境の時こそ旗を掲げて自立とは何かを見せるべき時だと思うからです。