受け狙いという言い方がありますが、求人情報で、少し前なら、スタッフそして最近は、クルーなどと言って募集していることを、経営コンサルタントなんかが称賛しています。そのメリットとして、求人募集を出したときに、良いイメージを持たれやすい、応募が増える、仕事に対する意識を高める、一緒のチームの一員として、チームワークに貢献してくれるなどと持ち上げています。しかし、そんなイメージ戦略でとっかえひっかえ学生を集めていたマクドナルドも今では外国人を採用することでパートアルバイト不足に対応せざるを得ないぐらいに人手不足となっています。確かに、パート・アルバイトから、社長や管理者になったという人もいますが、それは豊臣秀吉が下っ端からトップになったと同じで、偶然や奇跡と同じぐらいまれな話です。実際に戦国の世の戦闘員は徴兵制以上に男は動員されており武将までのし上がった比率は、宝くじより低いのです。ですから、パートアルバイトの中にも優秀な人はたくさんいて、その中の誰かが社長になっても不思議ではありませんが、確率で言えばずっと低いということは言えます。ただ、この「クルー」という呼び方や東京ディズニーリゾートの「キャスト(役者)」、スターバックスジャパンの「パートナー(仲間)」という呼称で集めているのは、主にパート・アルバイト職ばかりで使い捨ての雇用ばかりです。法に守られているという側面から見てみれば、実態は、非常勤、臨時雇用でしかないのです。にもかかわらず、仕事内容は、正社員並みやそれ以上の責任や業務が求められ、「一緒にがんばってゴールを目指しましょう!」などとあたかも船の一員のように言われこの集団の一員でいることが鼻たかのように思わせていますが、企業という船は格差社会そのものだということがすぐにばれてしまうものなのです。結果として、パートアルバイトの回転率は高く引っ切り無しに採用をしなければならない状態となるのです。もちろんそれを見越して、企業は業務をマニュアル化して採用してすぐに店頭に立てるぐらいの体制を構築しています。だから、辞めたって代わりはいくらでもいるなどとたかを括っていたら、ブラック企業などと叩かれる企業まで現れて使い捨ての実態が判明してしまったのです。このようなイメージ戦略での雇用は、単純なマニュアル化できる一部の物品販売等では可能ですが、働きたいという人の雇用の場では、不適正で正直だとは思えませんし、現代の通信機器の発達の中では、働く人もそんなにイメージに騙されやすくありません。呼び方を変えただけで人は変わるという雇用は幻想で、使い捨てを前提としながら、プロ意識を持ったとか、正規社員並みに働くとか、雇用主にとって都合のいい雇用関係は、信頼関係がどんどん低下して数年も働くと離職することになってしまうのです。人ならいくらでもいるという時代ならそれでもいいと国も正規雇用よりも人件費抑制と国際競争力のために、パートや非常勤で良いなどと言う政策を行ってきました。ところが、その歪が大きくなりすぎて、今頃になって働き方改革などと修正しなければならなくなりました。一番問題なのは、本来の働き手である年代層の使い捨て雇用の経験者は、働くことへの疑問が生じて働くこと自体に意欲の低下を来していることです。例えるならば、止まると倒れてしまう自転車操業の様な雇用の中で疲れ切ってしまった人たちです。終身雇用が批判されて企業に都合のよい非正規職員で経費を削減したはずですが、何のことはない安定しない生活の中で本来中核で働ける人たちが、働く魅力を失って結果として人手不足の社会を招き、日本企業の特色だった、人は石垣、人は城という人材育成は失われ、今や人による石垣は築けないという事態になってしまいました。公務員の様な安定は、人をダメにする非難され、活性化すると取り入れられた、業務評価も民間の活力も結果として一人一人の働く人の生活向上には結びつかずみんなが、自転車操業雇用の中に投げ出されてしまったとしか言えません。誰もが小さくても雨露を凌ぐ屋根があり、止まっても倒れない労働環境の中で、家族を持ち働けると思える労働環境はごく一部の人しか得られないような社会になりつつあります。
労働環境では、身分保障は重要です。大きな企業が、イメージ戦略で使い捨て感覚でいると日本人気質である帰属意識や集団の一員意識が、育つことはありません。気質というものは代々受け継がれる遺伝子ではなく、その社会が醸成していくものだと思うのです。日本人の気質は、大きく傷ついたと言えます。ボロやでも守りたいものがあっての日本人気質の中に守りたいものが見えなくなるような、労働環境を大きな企業ほど行っていることは残念なことです。