知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

言い訳としてのキャッチアンドリリースの話

 現代の日本では、自然から勝手に動植物を略取することは魚釣り以外には困難なこととなっています。動物では巣から落ちた野鳥の雛でさえ勝手に飼うことも出来ない法律があります。田舎で余程慣れていないと山菜採りに入る人はいません。 特に植物では、写真で撮ると言うことが定着しつつあります。ところが釣りだけは川でも海でも漁業権に抵触しなければ勝手に魚を釣ることが出来ます。釣り人は、釣りを楽しみとしてその良さを語りますが、魚の視点から見たなら本当はひどい話です。魚は、釣り人と対決することなど夢にも思っていませんし、生きるために食べ物を探し求めていただけです。釣り人は罠(疑似餌や釣り針)を仕掛け、罠に掛かった魚を無理矢理に空中に引き揚げ苦しめた上に、口に傷を負わせながら、得意に写真など撮って、偉そうに逃がしてやると再び得意になっています。魚の視点で考えてみてください。いきなり拉致されて、抵抗しても、乱暴されて、解放されたのと同じです。食べるという生活のためでも無く、楽しみとしての釣りをハンターとして批判されないように、キャッチしてもリリースしているから良いと言い訳します。しかし、闘う気も無い魚を無理矢理釣り上げてリリースと云っても怪我させて自然に帰すのですから、とても長生きできるとは思えません。

 自分の楽しみのために、自然を傷つける必要があるのでしょうか。自分の満足、自分の自慢、自分の趣味のために、言い訳をしてまで、生きるものに向けて、針を刺さなくても良いのではないかと思うのです。高価な釣り具に武装した釣り人に、魚は全く防具さえも着けていません。こんな不公平な戦いでファイトで勝ったと云うのはずるいと思うのです。逃がせば良いと言う事では無く、捕らえなければ良いのでは無いかと思うのです。