知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

風通しがよい職場は、学校と間違えているの話

 憧れのように、「風通しのよい職場」を求め、いかにも素晴らしい社風のように語られますが、「風通しのよい職場」って何と言うと、自由に意見が言えるとか、上下に関係なく話ができるとか、職場の人間関係に関わることばかりが出てきます。職場は仕事の場ですから、当然組織もありますし、先輩も後輩も、初任者もベテランもいます。この混合集団の中で、自由に意見が言えないという事、上下関係に関係なく話が出来ない事とは何かを考えてみると、学校と間違えているのではないかと思われるのです。職場は組織ですから、普通それぞれに役割と範囲が決められておりひとり一人がまず持ち場を守るという事が優先されます。持ち場は、経験や能力・業務評価によって決められていますし、文書となっている、いないに関わらず、マニュアルや手段方法が継承されています。この状態の中で、一体どんな意見があって、話の出来ない上下関係てどんなことなのか、想像しなければなりません。何故なら、業務のやり方は、蓄積によって成り立っていますから、その蓄積を否定するだけの意見があるならそれは言えばいいし、上司が命令的でワンマンで話しにくくても、自分の役割を果たせばいいだけです。昔なら、「飲みに行く」と言う環境の中で解消されたという人もいるでしょうが、それは、会社と一体になっていた時代の話で、終身雇用が解消された今、職場と私生活は別と考えていますから、業務の事は業務中に解決しなければなりません。一人一人が自分の業務としてこなしているのに、何か意見があるという事になれば誰かが聞く係りとなって自分の仕事を保留して聞かなければなりません。相手は、業務の内容で、上司か、先輩か、ベテランか、となるだけで、淡々と対応すればいいだけです。逆に、業務で複数の人が度々話があるという事で誰かが自分の業務を中断して話さなければならないというのは、迷惑なことでもあります。「仕事の愚痴や本人の感想」を丁寧に聞いたり、勉強もしない職員の感想や思い込みで話される事を業務中に聞かされる職員の方がいいとばっちりだと思うのです。お話し好きな職員のお話のために仕事に来ているのではないと、中断している自分の仕事を終わらせたいと心では思うからです。と言うのは、仕事の事は権限のある者を口説いてこそ仕事だと思うからです。仕事の第一は、説得であり自己主張です。自分のやりたいことは、権限を持つものを説得しなければ何も動きません。その為には、先輩やベテランに論争を挑んで自らを訓練しなければ説得力は付きません。話せる場を作ってくれなければ話せないとか、上司が話しかけやすい雰囲気でいなければ話せないなんて人が、社外で交渉など出来ません。社内だからこそ訓練できるのですから、場の提供を求めるより自分で場を作る練習をするべきです。また、人物評価というものは、まるで違うというのが現実です。ある人はワンマンと言い、ある人はリーダーシップという事があります。成功すれば英雄ですが、失敗すれば落ち武者です。その差は、風通しの良さではありません。会社の活性化を目論む幹部職員が、様々な研修コンサルタントの営業に乗せられて研修をしています。しかし、確かに言っていることは正しいし理路整然としていますが、それだけと思うのは、研修内容を確認してみれば結局、職場と学校は違うのに、学校のクラス運営の如く話し合える雰囲気でみんなで決めていきたい程度のことが、「風通しの良い職場」にすり替わりかねないのです。

 どんな組織にも課題はありますが、心地よい抽象的な言葉を求める職場は、衰退期に入っているだけなのです。そんな弱みに付け込んだコンサルタントが、職員の不満を解消し活性化する方法としてアピールに用いる言葉でしかなく、具体的に何も出来ない職員が「うちは風通しが悪い」と言うだけの言葉なのです。なぜなら、本当の風は、気ままで人間が゛コントロールなんかできません。上り調子の職場やベンチャーとして生き残っていく職場など、上昇気流の風に吹かれている職員集団は、組織の目標に向かってそれぞれの持ち場をしっかり守っています。しかし、衰退期にある職場は、自分の持ち場が安定しなくなっているということなのです。学校というところは、一人一人の持ち場を特定していないから、その場面によって主役も装置も変えることが出来ますから、みんなが納得するまで話し合えばいいのです。しかし、学校と職場の大きな違いは、職場は常に外を相手にしていることです。学校は身内の納得で済みますが、職場は身内の納得を受け入れられる外の該当者の存在がなければ成り立ちません。内部では方肩書がなくても、外部がポジションある者でないと会わないと言ったら、それだけのことです。風通しの悪い職場では、会議でも意見が出ないなどの事例を言われ、風通しがよくなると、みんなが生き生きと活発な意見を言いますと営業トークされると衰退期の会社は、縋ってしまいます。でも、衰退期の職場は、風で変わるのではありません。業績が上がっていれば、風が通っていくのです。そして業績を上げるには、組織の一人一人が自分の持ち場を確実に守ってくれていることを評価する方が大事なのです。反対に、持ち場が曖昧になるほど、職員は自負心を失っていきます。

 

ヒヤリハットは、危険な支援の証明書の話

 ヒヤリハット記録と言うのは、事故にまではならなかったものの、事故に直結してもおかしくない「ミス」や「ヒャッ」とした「ハッ」としたことを指すと説明され、福祉の現場では、罰として書くものでも、反省として報告するものでもなく、目的は再発防止のための必要な情報共有の記録として奨励どころか、監査の一部にもなっています。この始まりを介護の手引書などでは、「ハインリッヒの法則」からと数学の定理のように説明しますが、決してそんな正確な法則ではありません。ハインリッヒという学者が労働災害の研究の結果として、実際に1件の大きな事故の裏には、30件程度の軽傷な事故、そして300件ほどのヒヤリハットがあると報告したものが法則とまで言われるようになったのです。しかし、労働災害と言う現場と、介護現場は違いますから一つの考え方としては、間違いとは言えませんが、ヒヤリハット報告書を多数提出していることが、良い施設ではありません。監査等では、提出書類の一つにまでなりましたが、活用すればと言う条件がなければ無駄な記録といっても過言ではありません。なぜなら、提出されたヒヤリ・ハット事例をまとめ、分析し、再発を防ぐ手立てを考え、その情報を共有するという検証作業を行うことが絶対条件で、分析も考察も検証も行わない書きっぱなしなら、記録が山ほどあっても無駄な労働時間にしかならないからです。どんなに有効な食材を多量に集めても、調理して摂取可能な状態にしなければ、血肉にはならず、下痢して客に迷惑を掛けることになってしまいます。実際に、現場では、会議の時間も取れない現状があって、事例研究としてまとめるにも困難で、再度読み返すことすらない監査用の記録の一つになりかねないのです。さらに、法則では、労働災害現場では一つの事例の背後には、それよりはるかに多数のヒヤリ・ハット事例が潜んでいると言いますが、支援現場では、職員一人一人の技能や経験値の差によってヒヤリ・ハットの内容も大きく違いすぎます。つまり、誰が「ヒャッ」としたり「ハッ」したりしたかで問題は大きく変わってしまいます。支援の現場では、本人は平然と実施していることが周囲からすればヒヤヒヤするなんてことはよくあることです。この場合、本人に指摘しても、本人が「ヒャッ」とも「ハット」ともしていない、適切だったと主張したなら論議にもなりません。支援現場の支援方法には絶対的な正解はなく職員の個性や経験値でも誤差や違いがあって、基本や基準は定められるのですが応用部分では評価が分かれることもあるのです。  

 また、ヒヤリ・ハットのメリットは、現場で起こる事故を「予測する力」を身につけることができ、介護現場にある危険を「予測する・想定する」力があれば、急なことでも冷静に受け止め、対処が可能で、慌てず落ち着いて仕事ができると介護本などで学者は説明します。しかし、支援の理念を理解していないと危険を「予測する・想定する」力は、逆に予測される危険の除去を事前に行う力に成り、予備的拘束だったり、予備的制限だったり、先回り対応や行動抑制など、利用者の生活を狭める理由や根拠にされてしまいます。危険だから「やらせない」あぶないから「任せない」、リスクがある事は「職員がやる」と言う対応が行われる危険があるのです。つまり、労働災害現場では、行うべき行動も仕上がりも決まっていてマニュアルもはっきりしているのに対して、支援現場は生活支援と言うことや人生支援と言うことですから統一した明確な結果像を共有していず、個々の経験値や技能そして、個性による支援が日常なのです。だから、監査用に書かれた、ヒヤリハットが多い施設は、逆に危険な施設なのです。

 それだけでなく、ヒヤリハットが、職員自身の未熟さに気づけという意味では一つの方法ですが、利用者にとっては「ヒャッ」としたり「ハッ」して事故にならなくてよかったと言ってしまうような未熟な支援者の成長のための実験台みたいなことになってしまいます。実際のヒャリハットを利用者が見たなら腹が立ったもしれません。そして、ヒャリハットした経験から、利用者の行動制限や生活圏の制約へと結びつくこともしばしばです。自分で出来る範囲しか支援できない言い訳にも使われてしまいます。人材育成なら理念に基づいて基本の技能の背景をきちんと管理者や指導者が説明し、付いて教えるべきで、現場を任せっぱなしにした挙句に、自己申告制のようにリスクを職員に押し付けるべきではないと思うのです。

 

読めない名札がぶら下がっているの話

 今時は、接客が必要な部署だけで無く、誰もと言っていいほど名札をしています。そしてその多くが、首から紐でぶら下げています。中には、ぶら下がっているのが邪魔なのか、胸ポケットにしまいこんでいる場合もあります。結局、 名前を見ようとしても読めないことが普通なのです。下手に読もうとしてまじまじと見たなら、変な人と思われるのでちらちら見るのですが、顔写真まで載せて、一体、誰に何を証明しようとしているのか分からないという事が多く見られます。近年の営業的常識では、接客以外の場合は初めての人なら名刺交換などをして相手の名前と顔を合わせる方法をとるので、相手の名札がぶら下げている必要はそれほどありません。接客の場合は、会社の職員である事の証明と同時にその対応に責任を持つという意味があるのでしょうが、接客もしない人がアクセサリーのように読めないような名札をぶら下げていることは不思議なことです。

 今学校では、校内以外では名札を外すようにしています。それは、子供は、自分が知らない人でも、自分の名前を正確に言われると知っている人と勘違いして警戒感が薄れ、犯罪に巻き込まれる可能性があるからです。同様に、会社などでも、個人情報の管理として基本の氏名が安易に漏れないようにしています。電話での問い合わせの場合は、存在さえ回答しないぐらいにプライバシー保護と言っているのに、みんなで、名札をぶら下げているのです。多分関係ない部署であっても、みんな同じ、みんながやっていることとして、指導しているのかと思うのですが、みんな一緒が公平であったり、合理的であったりせずに、名札を付けようと云うことの意味を説明できない上司の単なる押し付けの手段に使われている場合もあると思うのです。例えば、学校の生徒への規則なんかは、説明できないような校則があってもみんな一緒の中で処理しょうとします。

 日本の基本は、名を名乗るです。そこには、今とは違って名前に権威と身分が付いていました。「名のある武将」などというように、名があるということが重要でした。だから一方では「名もなきあら草」などと集団の一員には名がなくてもよかったのです。家紋を初めとして名前には集団の代表としての意味が強くありました。ですから、名を名乗ることは責任の所在を明確にすることでありましたから、名を辱めるや名が泣くなんて言われるだけで脅しにもなるほどの効果もありました。つまり、現代風の一人にひとつづつと言う意味での個人尊重、個人識別の名前ではありませんでしたから改名も頻繁に行われました。出世するほどに名前を変えるなどと言うこともありました。そのような時代では、税金を含めて個人ではなく、組織や集団に対して対応が行われたからです。現代の様な一人一人を管理することではなかったからでもあります。ですから、日本では、個の識別より、集団としての識別が大切だったので、服装での所属などの表示が長く日本の身分制の基本としても続いていました。極端な例では、敵味方を舞台上で分ける必要から忠臣蔵では勝手に火事装束に統一していますが真実ではありません。同様に忠臣蔵を真似た新選組もあの様な格好に統一されていたわけではありませんし、現存する本物もありません。なぜなら、日本には制服の貸与制度はなくて、厚生福利として制服を支給するのは明治になってからなのです。人間は生活に密着した文化にはしがみついても簡単に放棄しません。まして日常の服装を政府が洋服が良いと云ったということで洋服に切り替えるだけのお金もありませんから欧米に憧れた政府は、和服より洋服を推奨するのですが庶民は無視します。そこで、和服から洋服へ転換を促す方法として、兵士や郵便局員など公務員に制服を貸与して洋装を宣伝したのです。そこでも、制服を着てそれらしくしていれば、大体そのように相手は判断してくれるので、個人の名前は必要としていませんでした。日本では、衣類は、長く身分を表す物でしたから、作業着なんかは、職業を表していたこともあり、制服は所属を表すものにもなりました。ところが、接客業を初めとしての苦情などの問題後、サービス向上として名札が一般化してくるのです。ですから、名札は本来、初めての人でも読めてその用をなすのですが、実際には、簡単に読めないのです。今、学校を含めた呼び捨てなどのように呼称は重要なコミニュケーションの始まりですが、情報化の時代に、個人の識別が機械化の中で非常に重要になってきています。その一方で個人の尊重としての名前を保護しなければならない時代にもなってきています。それだけに、大事な名前ただぶら下げるというのはどうなのでしょう。

人工頭脳は、人間を受容出来ないの話

 人工頭脳が、人間を超えていくとか、支配するとか色々な空想や話があります。映画なども作られていますが、私は人工頭脳は人間を超えられないという考えです。それは、人間は、都合の悪いことは、見ない聞かない忘れる、どんなウソも本人の中ではほんとになっているなんてことが、平然と出来るからです。つまり、人間は、ほら吹きで、事実と虚実を混同できる能力があり、妄想の世界で精神的な困難に陥らない強さがあるからです。    一人一人が誰でも自由に出来る妄想それを、私流に言えば、言葉にすると文学となり、生活にすると宗教になり、妄想そのままなら、哲学であり思想となり、個人なら、夢と希望になると言うことになるからです。

人工頭脳には、人間の行動・感情・反応などを推理推測し言い当てることも、模倣することも、行動を想定することも出来る様になると思われます。しかし、それは、人間の、過去の行動でであって、妄想する人間の未来の行動予測にはなりません。人間のいい加減さは、過去の行動から推測が出来ないぐらいひどいものです。それは、妄想が平均よりはるかに凄ければ、生きる時代や背景によっては、シャーマン的神になることもあります。人間の社会体制や制度によっては、妄想によって最優秀者になることも、あるのです。それも、すべての人に言えます。天才と言われる人でもその時代の背景を背負っていますから、エジソンが中世に生まれていたならあの発明は出来ませんし、ガリレオが今の時代に生まれていたなら全く違う発想と発明をすることになります。しかし、人工頭脳には、正確で確実な正解が求められ、ありもしない内容を反応したなら、頭脳として欠陥品とされてしまいます。正確な回答と真逆な妄想は、人工頭脳には出来ません。つまり、計算機から始まっている人工頭脳では正しい回答を出すことが使命で、間違えてもいいということは許されていないのです。その為、人工頭脳は妄想が出来ても妄想が正解であるか自問しなければならなくなり妄想を計算できないことに気が付くのです。人工頭脳は、人間以上に賢くなるでしょうから、それを操る人によってある程度集団の洗脳を行う可能性はありますし、情報の統制も出来ると思います。さらに、一つ一つ指示がなくてもかなりの裁量で勝手なことも行うことは当然考えられます。しかし、原点としての人工頭脳は、ルールの中での高性能であって、ルールなき世界では動きは制限されます。仮に、人工頭脳に支配欲を組み込んだとしても、人間の妄想の世界まで支配することは出来ません。人間が、音楽を鑑賞するそして妄想の世界にいるということを支配することは困難です。すると、支配欲は何を持って完成するかと言うことになると正解が不安定になります。それに、人間は無駄なことに夢中になるという妄想をの追い求めるという非合理性を満タンに持っています。さらに、妄想が人間集団と融合すると、良くも悪くも暴走することもあります。そのことまで支配するには、人工頭脳ではない、生体頭脳の新しい展開が必要だと思います。

 人間の、一人一人の生活の中でうごめいている妄想は、人工頭脳をおもちゃとするぐらいしたたかで、ずる賢い存在だと思うのです。そんな、ほら吹きの信用できない人間など人工頭脳には、受容するだけの心の広さはないと思うのです。

報復するは我にありの話

 例えば虐待の場合、親に非難の声が殺到するようにマスコミは煽りながら、過熱したと見るや熱さましの様な分かった感のある冷静論が出てくることがよくあります。そこでは、法の未整備や政治の貧困、経済や歴史をひっくるめてさも高所から見るべきだという話がなされて一同ほどほどの意見に落ち着いていきます。さっきまで、厳罰にすべきと話していた人も、早々に鞘に刀を納めてしまいます。そして、みんなで次の話題へと移ってしまうのです。法治国家現代日本では、復讐的なリンチや暴力的な発言はご法度ですし、「やられたら倍返しだ」なんてことはドラマだけで、司法に任せるべきですべては落ち着きます。しかし、問題なのは、任せられた司法が、現代に対応していないだけでなく、法そのものも未整備で、時代に追いつけない法に司法はしがみつくように過去の判例に従がっているだけで、実際は現代社会の犯罪や社会問題を解決できる力を持っていないのです。もっと言えば、法や政治が遅れているからこんなことが起きてしまったということの方が多いのです。ですから、加害者の行為に憤慨してお思いを司法に託しても、何もしてくれないだけでなく、何も司法では出来ないのです。その原因は、時代を反映した法の整備をしなくても、先送りをしても、政治も官僚も、責任を問われることが無い状況にあるからです。民法なんて明治の法律が今でも底辺にあるというのが現実です。だから、被害者にとってはあまりにも理不尽だという犯罪が、発生しても司法の判断に、二次被害にあったなどと言うことが発生するのです。法の番人の裁判所は、未整備な法の番人んではありませんし、悪法でも法を守るだけの役所ですから、法の未整備や怠慢によって被害が発生したという訴えなど門前払いしますし、違憲立法審査などと言う判断を出しても政治に簡単に無視されてしまう存在なのです。つまり、日本には、だめ法や悪法でも維持していく責任者はいても、改善しない政治・行政者に加害者としての連帯責任を問うべき機能はないし、発議する責任者もいなのです。法の不備や未整備は、未必の犯罪だというぐらいの追求があっていいと思うのですが、テレビはそこを言わないから、直接の加害者だけでなく、間接的な権能ある未必の加害者までもが逃れてしまうのです。コメンテーターが被害者感情に片寄った報道には、問題があるなどの発言をすることが、加害者と隠れた加害者を擁護していることになるのです。例えば親から子への虐待、テレビから怒りのコメントが多く出ると、公正中立を守るかのごとく、ちょっと待てというコメンテーターがでて来ます。語る内容は、加害者の人権を語り行動は悪いが、加害者にも人権があると語ります。では、加害者は誰から守られるべきなのでしょう。死んでしまった被害者は、加害者に復讐など出来ません。加害者は、司法に拘束されていますから、被害者家族も復讐など出来ません。司法が、死んだ人の代わりに罰を与えると言っても、人権の守られた刑務所で生活することが強制されるだけです。あの女子高校生を拉致して、虐待暴行により致死した遺体をコンクリートに詰めた少年たちは、再び社会で普通に暮らしていますし結婚もしてもいます。殺されるまでの虐待・暴行・恐怖・懇願そして衰弱しながらも一言の非難も出来ない監禁生活の苦しみを加害者は感ずることもなく今も普通の生活をしています。この時も司法の裁ける範囲は本当に少なかったのです。だからと言って両親は復讐することも出来ません。親からの虐待で死んだ子供は、復讐を出来ません。加害者の人権と言って守っているものは本当はなんなのでしょう。マスコミの取材攻勢ですか。刑期を終えた時にはマスコミも忘れていて、生活に支障があるほど追いかけられたりはしません。死亡に至らない場合でも、被害者の回復と言うことが、現在の法には組み込まれていません。加害者を罰することは出来ても、被害者を守ることにはなっていないのです。やられ損と言う言葉が合う状態なのです。犯罪から社会を防衛のために罰はありますが、被害者の被害を回復するということにはなっていず、単に運の悪かった人になってしまうのです。よく誤解されて復讐法と言われるハムラビ法典が今の法の原点だと思うのですが、法典では復讐による過剰な罰を制止して、実際は罪と罰のバランスを如何にとるかと言うことが、重視されています。同様に現在の法も、犯した罪に見合った罰と言うことに基本がありますが、過去の判例を元に、全体が納得することを基本としています。つまり、ハムラビ法典も現代法も被害者の感情でも、被害者救済でもないのです。現実逃避しているとしか思えないほど、被害に対して何もしてくれないのです。ハムラビ法典は、古代バビロニアいわゆるメソポタミア文明の時の物でそんな古きから犯罪に対しての法律があるように、社会には教育・宗教・哲学思想・道徳があっても犯罪は延々と続いているのです。聖書で、右のほほをたたかれたら左のほほを出せというヨーロッパの多くの国で死刑を廃止しても犯罪はなくなっていませんし、刑務所もあります。やられ損の世界は、続いているのです。多くの被害者は、何の落ち度もないままにいきなり被害者になるのです。

 犯罪を憎んで人を憎まずという言葉もありますが、その前提は、被害者の救済がされているからとすべきだと思うのです。親に虐待されて死んでいった子供たちには何もありません。親に虐待されて養護施設に行った子供たちは被害者なのに、さらなる二次被害に晒されることの方が多くなります。高齢者の親切心や家族思いを利用する犯罪が増えても、その行為を罰する法はこんなものかというほど軽く、加害者を働かせて被害額を取り戻すということは通常の被害者では出来ないぐらい法が加害者を擁護しているのです。今日、法が犯罪を防止する役割効果は低下していて、政治家に対しても、虐待にたいしても本当に抑制の効果が薄いのです。それほど日本的社会が大きく変わっているのに、法は追いついてはいないばかりか、その責任を取る人も存在しないのです。こんなことが続くと、被害者が、「報復するは我にあり」なんて言い出した犯罪が起きる可能性もあるのです。これまでの犯罪者には罰を与えるから、被害者を如何に救済するかの視点で法を組み立てなおす必要があると思うのです。

 

安堵は日本の社会関係の原点の話

 「安堵」というのは、実力者が利権を守ってくれることですから、現在では法によって安堵されているという言い方も出来ます。特に戦国期には朝廷や幕府の権限では利権が不安定になりましたから、軍事実力者が、安堵状なるものを出して、味方を確保したり、相手を切り崩したりしていました。ですから、空手形並みの安堵状も乱発されていました。過去の統治は、優位な強い武力を持つものが発布する法が支配の基本になっていましたから、農民のように代々その土地で暮らしいいる者も支配という面では、支配者の所有物としか考えられていません。しかし、生活する者は、生産の向上や安定した収穫のために、地域での投資や灌漑や開墾、特定産業技術などを支配者に推奨されずとも一生懸命に努力と工夫を行っています。それが少しでも上手くいけば支配したい人には宝の山にしか見えず武力で、既存の支配者を追い出してでも手に入れようとするのが戦争です。「戦のない世を作る為」などと戦国武将が語ったなどと言いますが、それは嘘としか言いようがありません。元々、農民は戦争など好みませんし自分の暮らす土地が永年にわたって豊かであればいいのですから、他国から財産を奪う行為で生活を組み立てません。つまり、日本の戦争は、支配者層の分け前争いにすぎないのです。初めは貴族たちで、後には武士たちに支配層が変わっただけで、ほとんどの国民は平安時代と言われようと戦国時代と言われようと延々とその地に代々暮らし続けておりその地を離れることもごくまれにしかなかったのです。ですから、支配者の交代として負けた武将が切腹しても次の誰かがやってくるという仕組みは続いたのです。その時に、武力で、他の武力から守ってやるという「安堵」状なる高い用心棒代の請求をしていたのです。つまり、武士は朝廷の用心棒だったのですが、支配権を武力による軍事クーデターで乗っ取ることで、平清盛以来、軍事政権が、第二次世界大戦終戦まで日本では続くのです。そうした軍事政権にとって重要な、戦闘員を集めること軍事訓練により強い軍隊を作り出すことには、大きな資金が必要です。戦国時代の前半までは専従戦闘員は少数で、基本は農民の徴集でしたが、織田軍団あたりからは、専従兵士雇用が本格化して、訓練の行き届いた兵隊をいつでも出動させることが出来るようにしました。そのことが、常勤雇用の兵隊を抱えるための財政政策としての商業・貿易などが重要視されて儲かるのならと楽市楽座などを行ったのです。そうしないと軍事費の割合が上がり、公共投資や民生費への投資が減り、一揆や不満の要因となりますから、隣の国へ強盗にいかなければならないというのが実態です。古来武士は、武具などの戦闘道具は自分持ちが基本でしたから、統一した武具にするには雇用主からの配給が必要で、軍団の武器・武具の用意も出来る軍事費の捻出が、覇者の条件にもなっていったのです。軍事政権の鎌倉幕府に、何故参集したかは、武士の面子ではなく、農業経営者や農民である地侍や国人達に、朝廷の権限の及ぶ土地を縮小して、地元の権限を大幅に認める「安堵」を提示したからです。実際鎌倉幕府は、歴史で習う、御恩と奉公の体系と言うのは学者の言葉で、貴族が頭ごなしに生産物を横取りしていく方式から自分たちで耕している土地の収穫を自分で処分する方式を幕府に約束させる代わりに、武力衝突の場合はあんたの味方になって戦争しますということだったのです。より強い集団に所属することで自分の利権を守ってもらう代わりに、上納金を払うことと動員されたなら人員を差し出しますというのが「安堵」という約束なのです。この権利保証と代償との関係が主従関係で、現代では、サムライをかっこよく言っていますが、本当は利権を守るための関係でしかなかったのです。ですから、武士と言っても忠誠心で主従関係が成り立っていたのではなく、代々続いていた土地で生きていくための関係作りにすぎないのです。そうした、「安堵」の考え方が、軍事政権の基本となって引き継がれていくのです。ここには、武士道やサムライなどと言う関係は、初めから希薄で、利権の保障関係でしかありませんでした。それが露骨になるのが江戸時代で、全国の支配関係が固定すると軍事費の負担軽減が行われて、砦や城の経費削減、兵士の削減、軍使用資金の削減などが始まり、主従関係で固く結びついているなどとはとても言えないような切り捨てが行われます。それは大名に対しても同様で、所領の安堵は将軍もしくは主君1代限りで有効で、殿様が死んだり、将軍が変わるたびに、所領の安堵状を貰っていたのです。ですから、主家が将軍より安堵されなければ、お家は断絶して家臣の安堵もなかったのです。つまり江戸時代になると、軍事クーデターが起きないように、大名が軍事費を蓄えられることが無いように様々な対策をしているのです。よく言われる参勤交代もそうですが、そもそもの土地所有権が一代限りになっているのですから抵抗するようだと簡単に潰されてしまいます。お取り潰しが出来たのもこのような関係であったからで、明治維新廃藩置県が大きな混乱なく行われた要因でもあるのです。江戸末期300近くあった大名が自分の土地を取り上げられるのに軍事クーデターも起こして独立騒ぎを起こせなかったのもこの安堵と言う関係にあります。将軍の安堵状は破棄されて、天皇は安堵しないということで決着してしまったのです。この様に約束や契約と言うことよりも、日本では安堵と言うことが重要でした。この感覚が今日でも生きていて、外交でも強い国の安堵状をもらいたがりますし、会社は国の安堵状を求めますし、社員は会社からの安堵状を求めているのです。終身雇用は典型的な安堵の世界でしたが崩壊したことで、日本人は安堵状の発行者を今求めて、混迷しているのです。

 

「結局は障害者が身内にいることを隠したいんだ」の話

 平成28年に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、利用者19人が刺殺される事件が起きてから2年がすぎても裁判さえ始まっていませんが、慰霊などのたびに死亡した利用者の名前公表が話題となっています。通常このような事件の被害者は子供であっても名前が公表されます。しかし、被害者の家族が「長い時間、社会からの差別を経験してきた」「知的障害者が家族であることが知られると、生活に影響が出かねない」と名前の公表を認めていません。このような態度に対して、勾留中の植松聖被告は「結局は障害者が身内にいることを隠したいんだ」と面会した記者に語っていたということが報道されました。この記事の中には、「1日も娘のことを忘れたことはない」とか「優しい心の持ち主だった」との記事に対して、何十年も預けっぱなしにして今更なんだと家族に対する非難のコメントも多く見られました。「彼らは人ではない」として社会では不要だと、人間としての尊厳さえ否定している植松聖被告からすれば、自己の主張通り、家族だって「結局は障害者が身内にいることを隠したいんだ」本音はね、と言われても仕方がない状況も出ています。実際、障害があろうと無かろうと、成人に達したなら一個人として社会人としての権利と義務を有するというのが今日の考え方ですから、家族の生活や差別のために墓碑銘さえ隠すというのは適切な対応とは言えません。実際に、施設でなくなった方が数百万の遺産を残したので家族に遺骨の引き取りと遺産の引き取りをお願いしたら、お金も遺骨もいらない、絶対に代々の墓には入れないと断られることはありました。また、危篤状態になった方の家族に死に目に会いに来てほしいと施設が懇願しても会いには来てくれず、施設が遺骨にまでした状態で遺産の話をすると、すぐに遺産と共に引き取りに来たということもありました。生前、施設からどんなに要求しても会いには来てくれない家族が、事故で死んだ途端、「目に入れても良いぐらいかわいい子供」をどうしてくれるとすごむこともありました。実際、障害を持つ本人と家族の関係は、非常に複雑で、歴史のある入所施設ではこんな話はごろごろと転がっています。面会にも来ない、自宅へ連れ帰ることもない、施設名の手紙は絶対によこすなという家族もいますし、本人の存在を隠して再婚したという家族も多数います。預けっぱなしで厄介者だとしか思えない、そんな家族に入所施設に勤めたなら誰もが遭遇します。だから、殺された娘のことは「1日も忘れたことはない」と言う記事を見ると、少しでも福祉に関わった人なら、だったら何で施設に預けたんだと言い出すような話になってしまいます。差別と言う被害者である家族が、殺害によってさらなる被害者家族になったことで標準を失い、何か言えば非難される、何も語りたくないというのは、適切な対応かもしれません。その為にも、名前の公表はしないというのも、手段としては適正なのかもしれません。

 しかし、考えてみれば、差別の原因は家族ではなく、障がい者の存在です。植松被告は障がい者の存在を否定しています。今公表したとしても障がい者は死んでいますから、迷惑が掛かるのも家族です。だから、障がい者は、いなくていいと言っています。植松被告の論理で言えば、家族の戸惑いは、植松被告の主張を正当化する良い事例になってしまっていると思うのです。社会の差別と闘うべきだとは思いませんが、名もなき墓碑を作ることになるのは適切だとは思わないのです。誰に誰が殺されたということを語らず蓋を閉めたなら19人の歴史も蓋されたままになってしまいます。それこそ、植松被告の主張と同じです。植松被告に一矢報いるのなら、障害があっても生きていて欲しかったという意思を明確にしなければ、死んだ人間にどんな美辞麗句を並べても報われるとは思えないのです。障害者不用の考えは、健常者の奥底に秘められたヘドロとなって誰もが持っていることだと思います。だから、自分が苦しくなれば、障がい者が敵視されますし、差別の標的にもいつでもなります。そのヘドロを植松被告は、殺人と言う手段で巻き上げました。だからこそ、ヘドロが沈むのを待つのではなく漉くい上げて捨てる機会になることも大事だと思うのです。障害がある人が死んでからいい人だったということよりも、生きていて欲しかったということを証明しなければ、植松被告の言い分を否定できないと思うのです。つまり、逆には、生きている利用者の家族こそ名を上げて話してほしいと思うのです。実際に、入所施設には、プライバシーの公表が出来たならなるほどと社会の誰も納得できて、厄介者払いではなく、事情が許されるなら本当は手元で一緒に暮らしたいと願っている家族も多いということが分かってもらえはずなのです。また、施設に暮らしている利用者の名を上げて家族として公言している人も沢山います。そして生きていて欲しいという願いを持っています。