知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

読めない名札がぶら下がっているの話

 今時は、接客が必要な部署だけで無く、誰もと言っていいほど名札をしています。そしてその多くが、首から紐でぶら下げています。中には、ぶら下がっているのが邪魔なのか、胸ポケットにしまいこんでいる場合もあります。結局、 名前を見ようとしても読めないことが普通なのです。下手に読もうとしてまじまじと見たなら、変な人と思われるのでちらちら見るのですが、顔写真まで載せて、一体、誰に何を証明しようとしているのか分からないという事が多く見られます。近年の営業的常識では、接客以外の場合は初めての人なら名刺交換などをして相手の名前と顔を合わせる方法をとるので、相手の名札がぶら下げている必要はそれほどありません。接客の場合は、会社の職員である事の証明と同時にその対応に責任を持つという意味があるのでしょうが、接客もしない人がアクセサリーのように読めないような名札をぶら下げていることは不思議なことです。

 今学校では、校内以外では名札を外すようにしています。それは、子供は、自分が知らない人でも、自分の名前を正確に言われると知っている人と勘違いして警戒感が薄れ、犯罪に巻き込まれる可能性があるからです。同様に、会社などでも、個人情報の管理として基本の氏名が安易に漏れないようにしています。電話での問い合わせの場合は、存在さえ回答しないぐらいにプライバシー保護と言っているのに、みんなで、名札をぶら下げているのです。多分関係ない部署であっても、みんな同じ、みんながやっていることとして、指導しているのかと思うのですが、みんな一緒が公平であったり、合理的であったりせずに、名札を付けようと云うことの意味を説明できない上司の単なる押し付けの手段に使われている場合もあると思うのです。例えば、学校の生徒への規則なんかは、説明できないような校則があってもみんな一緒の中で処理しょうとします。

 日本の基本は、名を名乗るです。そこには、今とは違って名前に権威と身分が付いていました。「名のある武将」などというように、名があるということが重要でした。だから一方では「名もなきあら草」などと集団の一員には名がなくてもよかったのです。家紋を初めとして名前には集団の代表としての意味が強くありました。ですから、名を名乗ることは責任の所在を明確にすることでありましたから、名を辱めるや名が泣くなんて言われるだけで脅しにもなるほどの効果もありました。つまり、現代風の一人にひとつづつと言う意味での個人尊重、個人識別の名前ではありませんでしたから改名も頻繁に行われました。出世するほどに名前を変えるなどと言うこともありました。そのような時代では、税金を含めて個人ではなく、組織や集団に対して対応が行われたからです。現代の様な一人一人を管理することではなかったからでもあります。ですから、日本では、個の識別より、集団としての識別が大切だったので、服装での所属などの表示が長く日本の身分制の基本としても続いていました。極端な例では、敵味方を舞台上で分ける必要から忠臣蔵では勝手に火事装束に統一していますが真実ではありません。同様に忠臣蔵を真似た新選組もあの様な格好に統一されていたわけではありませんし、現存する本物もありません。なぜなら、日本には制服の貸与制度はなくて、厚生福利として制服を支給するのは明治になってからなのです。人間は生活に密着した文化にはしがみついても簡単に放棄しません。まして日常の服装を政府が洋服が良いと云ったということで洋服に切り替えるだけのお金もありませんから欧米に憧れた政府は、和服より洋服を推奨するのですが庶民は無視します。そこで、和服から洋服へ転換を促す方法として、兵士や郵便局員など公務員に制服を貸与して洋装を宣伝したのです。そこでも、制服を着てそれらしくしていれば、大体そのように相手は判断してくれるので、個人の名前は必要としていませんでした。日本では、衣類は、長く身分を表す物でしたから、作業着なんかは、職業を表していたこともあり、制服は所属を表すものにもなりました。ところが、接客業を初めとしての苦情などの問題後、サービス向上として名札が一般化してくるのです。ですから、名札は本来、初めての人でも読めてその用をなすのですが、実際には、簡単に読めないのです。今、学校を含めた呼び捨てなどのように呼称は重要なコミニュケーションの始まりですが、情報化の時代に、個人の識別が機械化の中で非常に重要になってきています。その一方で個人の尊重としての名前を保護しなければならない時代にもなってきています。それだけに、大事な名前ただぶら下げるというのはどうなのでしょう。