知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

天皇のチョンマゲの話

 普通、江戸時代までの成人男子の髪型は、チョンマゲと思っていますが、チョンマゲは沢山ある髷(まげ)と言う髪型の一つにすぎません。その髷(まげ)の元となったのは、髻(もとどり)と言う髪型です。この髪型は、長髪を後ろでまとめて上に向けてピンと立てたような形で、前頭部などの髪を剃っていない殿様のチョンマゲの様な感じです。で、この「もとどり」という髪型が、天皇や公家の髪型で、明治まで700年もの長きにわたって続いていたのです。簡単に言うと、天皇や貴族もチョンマゲを明治までしていたと言う事です。何故それが知れ渡っていないかというと、殿様ヘアーのチョンマゲを烏帽子(えぼし)という帽子で隠していたからなのです。有名な聖徳太子の図なんかでも、冠としての烏帽子を被って、ピンと立てた髷の部分に棒見たいのを差し込んで止めているので顎紐がないのです。烏帽子というのは冠の代用品で、本来は冠が序列を表していました。冠は、古墳時代ぐらいから中国を真似て権威の象徴として被るようになり、正装では、金銀・宝石という事もありましたが、日常は漆塗りで固めたもので、代用しました。603年制定の冠位十二階は、冠の序列ですが被るのを抵抗した貴族もいます。養老律令の衣服令(いぶくりょう)ではかなり貴族の官僚化が進み徹底されたようです。その為、冠である烏帽子を人前で外すことは、位を放棄することと一緒ですから、外すことは無かったので源氏物語の絵図を見てもみんな帽子を被っているので、その頭のチョンマゲには気づかないのです。労働者としての侍などは、もっと働きやすい帽子としての烏帽子に変わっていきますが、身分の象徴でもある烏帽子は、やがて人前で外すことはいわば下着を露出するのにも等しい大変な恥となっていきました。だから、病人は、冠や烏帽子を被れないため代わりに鉢巻などを巻くことが多かったとされています。室町以降の武士は、戦闘もあり冠を被らない「まげ」で且つ月代(さかやき)と言って前頭から頭頂部まで剃った「まげ」のままと言う事も多くなりますが、正装の図画などでは、烏帽子を被っています。髪を結わない状態は、卑しい身分の者とされて金太郎の子どもの頃の髪型みたいなので「童」(わらわ)髪と言って見下したようです。つまり、日本は冠を頭にのせることに拘った民族で、髻を結って冠を被る冠着(かむりぎ)の儀礼が成人式であったことから、「冠婚葬祭」と言うときは成人、結婚、葬式、祭礼のこととなり、江戸時代の武士はチョンマゲを露出していますが、正装では、帽子を被ることと帽子の下にまげを結うことが大人だったのです。同時に行ったのか化粧で、男女共お歯黒を付け、引眉することが、貴族から武家、裕福な庶民と広がって明治まで続くのです。

 明治4年に「脱刀の許可」と共に「散髪の許可」が出るのですが、明治天皇は、自分で出した法令なのに従わないのです。重鎮で公家だった岩倉具視なんて、日本の代表としてアメリカへ行って恥をかいて初めて切るのです。女性のほうが好んで散髪したので、だめ出しをしたと言う事まであります。木戸の説得もあって、明治天皇がもとどりを切ったのは、明治6年で、このとき皇后も黛と鉄漿(おはぐろ)をやめたと言われています。伝統と儀礼を重んじる宮中で700年も続く伝統で、天皇の魂のもとどりだって、止めた理由は野蛮だからです。武士の魂の刀を持つなは、秀吉の刀狩りのように武器の規制は治安安定に重要ですが、チョンマゲは欧米から見たら野蛮な習慣だというだけの理由で、日本の長い伝統と文化だと主張すること無く天皇の魂のまげも、あっさりと止めてしまったのです。同様に、心の問題である宗教の神仏混合も簡単に止めてしまうのです。これを英断などと誉めるか、変わり身が早いととるかは別ですが、日本の伝統とか儀礼なんて意外と軽いのです。明治政府が上手くいったから結果論としてこの変わり身は非難されていませんが、上手くいかなくて内戦になったり、植民地になったりしたなら、伝統をあっさり放棄した無謀な天皇となっていたのです。つまり、日本の神道には教典が無いように、日本の伝統の本質は、大転換してでも生き残ることを選択していくことで、根本思想が無いからいかようにも転身出来ると言うのが伝統であると思うのです。つまり、日本の根本思想は、生き残ってこそ意味があると言うことで、生きる事のためには思想より実態を選択すると言う事では無いかと思うのです。

 

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一時保護所は子どもの集荷所ではないの話

   虐待を受けている子どもを家族から引き離す「一時保護」を児童相談所がより積極的に行えるよう、厚生労働省は保護者の同意を原則としないなどの見直しをした新しい運営指針を全国の自治体に通知しました。これは、両親から虐待を受けて自ら保護を求めた男子中学生について、親の同意が得られなかったなどの理由から保護を見送り、男子生徒がその後、自殺したとうことからの対応ですが、一時保護所がどんなところか知りもしない人が、自分たちの責任をただ通知として下に押しつけたのと変わりません。本当は、一時保護所の整備を行うでなければならないのです。何故なら、はっきり言って児童相談所の一時保護所は最悪だからです。児童相談所の守備範囲は、最近は5割が虐待となっていますが、過去には非行が多く、非行は今でも、3割程度います。さらに、養護としての障がいや教育としての発達問題、等々あるだけでなく、年齢差も幼児から児童・少年・青年まで関わるのです。どれほど発達や子どもの特性を考えたなら幅広いかは専門家で無くても分かります。しかし、実際の保護所では、虐待児対応とか、非行対応とか、障害児対応とかの設備も人も揃えてなんかいないのです。一応長くて2ヶ月となっていて、どこかの施設に振り分けるか家庭に返すかを判断する間、生活させておくと言うだけの機能しか持っていないのです。児童相談所の一時保護だから専門的な職員がその子にあった支援をしてくれると思っていたら大間違いなのです。そんなところへ何の歯止めも無く児相の職員に不安だと思われた入れられる子どもの心の傷の方が危険です。

 児童相談所の一時保護所は、場所にもよるでしょうが、外出はもちろん禁止、散歩程度で出るときも集団行動、子供同士の会話は禁止、食事の時も会話は禁止、部屋の窓のカーテンを開けたり触れる事も禁止。なんてルールがまかり通っているところです。それは、非行児童に対しての対応なのですが、外にいる非行仲間が誘いに来たり、示威行動を児相に掛けたりとか、保護所で知り合って地元に帰ってつるんでさらに非行に及ぶなんてことがあったからで、非行対応としては正当なのかも知れませんが、怒鳴り声にも敏感に反応する虐待を受けた児童や対人関係で混乱する発達障害の児童や養護の児童にしてみたら、ここは刑務所かと思っても仕方が無いような環境なのです。つまり、その子の保護された理由に関係なく、8畳間程度に4~5人が自分の私物も持たされずにいきなり隔離されるというのが実態です。特別な理由があって保護されているのに、特別な理由に合わせた設備も人材も何にも用意していないのが一時保護所なのです。虐待の子が、ほっと出来る環境にはほど遠いのです。働いている職員も、非行の子が逃げ出したりしたらと言う思いがありますから、なんとか押さえつけることについついなってしまっているのです。こどもの為だと言いながら、実は、大人の事情を、押しつけた酷いルールでこどもは大人に振り回されて、子供を守る場所のように見えて子どもが傷つくような実態が今の保護所にはあるのです。子ども達が親から逃げてでも来たいような場所ではないのです。少なくとも、子どもの特性に合わせた設備と専門職がいて対応できるように国は基準を変えるべき時に来ています。どうせ一時保護なんだから、衣食住さえ確保できれば良いなんて考えで、連れてくることばかりに許可を出しても、受け皿が最悪なら、子ども達にとっては、二次被害に遭ったようなことになってしまいます。一時保護所は、どこかへ送られていく荷物の配送場のような体制ではなく、子ども達にとって、社会の一番暖かい窓口で無ければならないのに、現実は、収容並です。通過だからこそ大事にしないと、その印象が大人への印象として一生残ってしまうことを国は知るべきです。

 



 
 

 

 

 

ハイビーム運転推奨は歩行者に優しくないの話し

 警視庁がまとめた、歩行者が夜間に道路を横断中、車にはねられた昨年1年間の全国の死亡事故625件のうち、96%の車のライトがロービームだったこと、今年の秋の全国交通安全運動の重点項目として夜間運転はハイビーム使用を呼びかけるとしています。運転者としては、ハイビームの方が100㍍先ぐらいまで見え、扇形に視界が良くなりますから、歩行者の発見も早くなるし、運転しやすいことはその通りで、事故も少なくなるかも知れません。でも、なんで多くの人が、ロービームで乗るかを考えたならもっと他の方法で提案すべきだと思うのです。それは、歩行者にしてみれば、ハイビームで照らされることと、ロービームで照らし出されることの違いがどんなに大きいか考慮されていないと思うからです。大人でも、ハイビームの光源は、丁度真っ正面に近く、歩行者には眩しいというだけで無く全く見えず、つい手をかざしたくなりますし、全く見えない光の向こうに対しての大きな不安が発生します。照らし出されているという不安と共に、車からの威圧感まで感じるものです。また、ハイビームの光は運転者同士でも、直線なら少し前にロービームに変えますが、曲がったすぐにハイビームに出合うと一瞬道路が見えずヒャツトしてしまいます。ハイビーム運転は、過去からも論議されたことでもありますが、多くの人がロービームで運転するのはそれなりの論拠があると思うのです。

 実際に町中では、対向車があり、ハイビームにしたりロービームにしたりをすることは困難です。逆にハイビームやロービームを行っていると、何かの合図か、自分の車がハイビームになっている事で注意されているのかと思うのが一般的な心情だと思うのです。夜間の死亡事故625件中、ロービームの時が597件を分析し、ハイビームだったら防げたのではないかと考えるのも一つの考えだと思うのですが、それだからハイビーム運転を推奨するというのは違うと思うのです。逆に眩しくて起きる事故や切り替え操作による事故の危険の方が増えると思われます。自動車事故の基本は、自動車より人間の方が弱いと言う事につきるのですから、強い自動車が止まることが事故防止の基本だと思うのです。つまり、早めに止まる車を推奨することの方が運転者に期待するより重要な時代に入ってきたと思うのです。

オオカミを殺せというノルウェーの話

 ノルウェーでは、野生オオカミは保護動物として1971年に指定されているのですが当時は、15~35頭程度だったそうです。ところが、国内で生息する野生オオカミが65~68頭になったことから、ノルウェー国会は、国内のみで生息するうちの7割にあたる、47頭の射殺を法的に許可するという、「野生オオカミ駆除」の決定をしたというのです。国内の事情は、私には理解出来ませんが、理由は、牧畜としての羊が襲われるからだそうで、ヒツジを家畜として放牧し、生計を立てている農民の声に押されてだと報道されていました。そこで少し調べてみたのですが、ノルウェーでは放牧と言っても牧場の柵の中では無く、牧場外で羊が自由に暮らしていることを放牧という独特な方法をとっていると言うことと、オオカミが原因で死ぬヒツジは、1.5~3%でしかも、農家は、ヒツジがオオカミに殺された場合、被害額が政府から支払われると言うのです。もっと決定的なことは、200年以上、ノルウェーでのオオカミによる死亡者はゼロで、人と遭遇することも稀だというのです。むしろもっと危険な動物は、ホッキョクグマで、人を殺した事例もあるのですが、駆除にはならないそうです。遠い国のことで、生活も文化も違いますから、知りもしないで非難することは出来ませんが、北欧という何となく持っている大らかさというイメージが崩れる話ではあります。

 では、もしエゾオオカミが、北海道の大雪山系で今発見されたならどうなるのでしょう。もし、日本アルプス山中で白神山地でオオカミがひっそりと生きていたなら、どうなるのでしょう。今日本では、人に被害を加えたツキノワグマもヒグマも確実に射殺されます。それは、一度人を襲ったクマは必ず人を襲うという専門家の拘りで探し出して殺します。捕獲して自然公園でも作って暮らして貰うという措置はありません。ですから、確実にクマの生息数は減少しています。一方野生の猿が出てきて農家の被害が伝えられていますが、日本政府による保障はありませんし、猿の射殺の許可も国会で話し合われている形跡はありません。また、鹿による山林の被害も大きくなって一部は駆除として射殺されジビエなどとして販売もされたりしています。イノシシによる農地や人家での出現でも駆除として射殺されることは多くあります。そんなニュースの度に、共生が語られますが、動物にとって住みやすい、餌があるような環境は、人間が開発したくなる土地と競合しますから、結果としては開発が一方的に進みます。過去には、アイヌ人を生活の糧が得られるような環境から追い出して開拓者が乗っ取り、アイヌ人には生活の糧の無いような土地に追いやったのと同じような事が、動物に対して行われています。アイヌ人は、人間だから虐待にも耐えていましたが、動物は分からないから人間が勝手に引いた線の中へ入ってきます。そして、害獣と言われるのです。種の保存には、最低どれほどの個体が無いと遺伝子的にも劣化すると言われていますノルウェーのオオカミにとって何か病気でも流行れば全滅することさえあるような現況数字だと私は思うのですが、駆除されると言う事です。一度滅んだ種は復活できません。エゾオオカミは生き返ることはありません。朱鷺やコウノトリが昔のように飛び交う空を目指しても、野生のクマが自由に生きる事を目指す人は極まれです。人権に敏感なお国柄でも、敵対する動物に対しては死を持って対峙するように、人間中心の思考が現実だと言う事です。

民間会社に300年後まで管理させる想定外の話

   東京電力の福島の原子力発電所の事故は、色々な人が驚いたし考えざるを得ない事が沢山ありました。しかし、原子力規制委員会はこの度、原発の制御棒という一番危険な核のゴミを地中に埋めて、電力会社に300年から400年管理させて、その後は10万年間政府が管理するという方針を出しました。あの大津波が来たときでさえ、想定外と言って責任など絶対に取らなかった、取れなかった東電は、電力会社では一番の会社でした。その東電にさえ結局責任を取らせることも出来なかったのに、弱小の電力会社でも持っている原発のゴミの管理を300年以上も管理できると言っているのです。それも、会社としては、既に使い古したゴミの管理ですよ。使い古しても大事に取っておくという方針で富岡製糸場は残されましたが、地中深く埋められたゴミをそんな熱意を持って民間会社が守ると信じることが出来る人は私からみれば異常としか思えません。倒産してしまえば、もう何の関係もないと簡単に言い切れるような民間企業に管理することが出来るとする根拠はどこにもないのです。しかも、エネルギーの供給関係が、100年後も同じだなんて誰も考えていないはずです。特に、送電と言うシステムは大きく変わります。電線が無くなる時代はすぐそこに来ています。戦後国営と同じとまで言われた電力会社も民営となり、経営や需給関係によっては倒産もありますし、外国資本に乗っ取られるかも知れないのです。もし、倒産してしまえば、ゴミの管理なんて簡単に放棄されて、結果は国民の税金になって仕舞いかねません。水俣病チッソという民間企業が生き残ったのも国費がつぎ込まれたからです。東電も、影響が大きすぎると結局国費がつぎ込まれました。でも、それまでそんな管理しかしなかったことの責任を取った人はいないのです。

 本来なら、原発を所有している量に応じた積立金、つまり管理の前払いを国にして貰い会社が倒産しても300年以上確実に管理する方法を施行すべきです。しかし、そんな積立金でさえも、使用量に上乗せさせられるのですが、上乗せすると原発のコストが化石燃料よりも高くなってしまうからそのような対策もしないのです。そして、電力会社は、核のゴミを300年ちゃんと管理すると言い張るのです。天皇家の古墳だってもれなく盗掘されているのですよ。どんな権威を持ってしても、未来何百年も続くなんて事を保障できる体制など在りません。ましてや一人の人が百才まで生きても3世代が守り続けなければならない事ですし、あの安定していた江戸時代だって15第将軍までいたように計算では出来ない世代の交代をしなければならないような長い年月の話が、今そっと決定されて、テレビでも放送されないままに次のステップへと進んでいくのです。そして、事故があって初めて私たちは、えっそんな法律あったのとか、そんなことになっていたのと驚くのです。つまり、普通に聞いたらみんながそれおかしくないというようなことが、沢山の情報の中に差し込まれて意見も言えないままにチェックさえされないままに今の利益を守りたい関係者の同意の元で決められてしまっていることが沢山あると言うことです。

 

 

 

 

 

 

他人の人生をもっと真剣に考えたいの話し

 東京都の障害者相談支援の資格研修に参加しましたが、途中で退場させられ、結果未了の無資格なのに東京都の相談支援者の為の研修会に、参加しました。図々しいしいと知っている人は思うかも知れませんが、あの時も参加の意思があるのに、東京都心身障害者福祉センターの職員から拒否されただけなのですと付け加えておきます。

 研修会は、東京都の情勢説明と法的説明があり、事例が報告されて、グループワークと福祉局の定型パターンでした。本当に福祉局は、グループワークに「こだわる」のです。座学の他は、グループワークしか学習方法を知らないのかとさえ思えてしまいます。何故なら、中身はグループワークでは無いからです。実態は、社会で言うと名刺交換会、福祉の会合で言うと交流会、現場で言うと井戸端会議みたいなものにしかなっていないからです。今回も、私の参加者したグループは7名、一人は欠席し事前にグループ分けされた名簿には、リーダーが指名されています。しかもリーダーは既に何を話し合うか指示されています。打ち合わせも終わっています。ここまでは、グループワークの形式として通常なのですが、ここでグループワークの注意事項が説明されるのですが、「皆が公平に発言する・他者の発言に耳を傾ける・他者の話に割り込まない、頭から否定しない、専門用語で相手をなじるのは駄目」等々、みんなでゴールしようとした小学校の徒競走と同じ発想なのです。全く、一つのテーマや課題を討議して勉強しようとする気など無いのです。給与が支払われている職員が集まっていると言う感覚が無いのです。複数の意見が出て討議すると言う事は失敗ぐらいにしか思っていないのです。

 だから、事前に申し込みを受けているのに、参加者の実務経験も実績も関係なくグループメンバーを決め、仲間内をリーダーとして配置し、円満に終わるように誘導するのです。私のグループのリーダーは一つの事業所の代表並みの経験者、そこに今年4月から勤務しているという新人の参加者。経験値が違いすぎれば、話は一方的になるのは普通です。結局この女性は、ベテランリーダーのお話を拝聴するだけで自分の意見なんか一言も言えませんでした。どう公平なのか全く分かりません。他方、関係者で経験はあっても今回の趣旨について事業所の方針で実施していない方は、実施していない理由を言っても仕方が無いし、意見を求められても実施した方が良いと言えば、自分の事業所批判になるし、実施しなくても良いなどと言えば、都の方針に背くのかと言う事になるから、当たり障り無く発言し、二人の公務員は、自分の職務内容だけ話しました。これで反論する人など絶対にいません。そして、私はと言うと、事例の障害者対応の不備について話しましたが、それはリーダーにするりとスルーされました。私の話が重要だと傲慢になっているのでも、手前味噌で自己陶酔した意見を言ったのでも無く、事例発表しながら質問は受け付けず、事例発表者が他のグループのリーダーとなって仲間内で和気藹々としながら人の人生の相談に乗っていることに疑問を抱いていたからそこを取り上げましたが、その発言は、この会場の非常識な発言としか受け止められなかったからです。この会場の常識は、研修会の定番事例報告を折角やってくれた面々にお礼を言うべきなのに、「何真剣になってるんだよ、空気の読めないやつだな」と言う事なのです。人の人生に口出しするのは難しいのに、障害を持って十年以上病院の入院や施設の利用をしていた人が、自立すると言う事が簡単に上手くはいかないのはみんな知っていることです。この事例発表でも半年で失敗しました。その反省よりも関係者の労苦を称え少し冗談を交ぜながら笑顔で報告することに私はその時も少し怒っていたのかも知れません。失敗した障害者のアフターケアはどうしたのか、何故失敗したのか、どんな生活だったのか聞きたいことだらけです。でも、補助金を貰った事業としての自立支援は失敗しても、関係者はちゃんと収入になっているし、本当はこんな報告などしたくないし、報告のスライド作りなどで大変な手間が掛かっている、それに質問などして今後報告するやつがいなくなったらどうするんだ程度の仲間内の事情が何か透けて見えるのです。こんな会を勤務時間にやって、日々の仕事では困難な事例で悩んで、利用者と十分に話し合える時間も取れないのに、上辺だけの和やかな会は、何の討議もせずに終わるのです。

東京都の「のり弁」と闘う人への憧れの話

 テレビの放送で、東京都に情報公開の請求をすると、黒く塗りつぶした回答が、白いご飯に、海苔をのせたのと同じように見えるぐらい真っ黒が多いのを「のり弁」と言うのだと説明されました。そしてこれが「のり弁」と実際の回答された文書が映像として映し出されましたが、何ともA4の一番上にタイトルがあって後は全部黒というものが沢山ありました。この時の内容は、放送局も取り上げるような事項なのにこれだけ東京都は強気なのですから、私ぐらいの内容では、東京都に一蹴されても仕方が無いのだなぁと思いながら、自分が知らないところで、こうして巨大な権力に対して、一寸法師並みの針の刀さえ持たずに闘っている人もいるんだと思うと憧れさえ感じました。

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 思えば、東京都の相談支援資格研修会では、研修会の9割5分以上も参加していたのに、東京都心身障害者福祉センターの職員に排除されたことで資格も取れず、関係者に迷惑を掛けて、どうしたら良いのか途方に暮れていたのですが、こうして自分には何の利益にもならないのに、戦い続けている人を見ると自分の不甲斐なさをつくづく感じました。せめて一矢ぐらいといつも思うのですが、もう相手の東京都心身障害者福祉センターの職員も、グループリーダだった若者も覚えてもいない過去になっているのだろうと後ろ向きになってしまいます。ちゃんと文書で結果には理由を明記してくれと言いましたが、その約束も守られず、都は都の関係者だけの話を聞いて、おまえが悪い自業自得だと判断したのでしょう。せめて私の言い分を聞いてくれと言ったところで、結果は変わらなければ何の意味も無いと言う事もこれまでの経験で分かっているだけに、やるせない。自分の希望としては、資格確認の裁判をやりたいぐらいの夢はあっても、着手金の何十万円もないし、戦い続ける費用や交通費もありません。のり弁と闘う人達は、私費を投じて実践しているのでしょうから憧れながらも、自分はと言うと結局、泣き寝入りしか選択できないんだなと、ススキに止まったカワセミを撮影した頃と重なりました。