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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

忌み言葉と語呂合わせの話

 干支はみんなが使用しています。でも、干支の漢字と動物は、語呂合わせにもなっていないほどいい加減なものです。例えば今年、申と言う漢字を書いて猿と言っていますが全く関係ありません。「音」さえも合致しません。日本語では、音読みと訓読みがあるように「音」は非常に重要です。日本独特の詩である、短歌や俳句では、「音」を大事にしています。ひらがな・カタカナも、音の流れです。この様な「音」を背景として、忌み言葉や語呂合わせがあります。ある言葉とその音が同一か、類似する別の言葉の意味かをそこから聞き取って、良いようにも悪いようにもそれにこだわることですが、申(猿として)年は、「去る」と読んで、病気が去る、とか、不幸が去ると縁起が良いとしています。しかし、幸せが去るとか、お金が去るなどの、縁起が悪い方へは言いません。つまりご都合主義で作られています。するめを(ばくちで)擦るに語呂があうのであえてアタリメ(当たり目)と呼んでみたり、年代覚えや電話番号などで語呂合わせをしたりもします。洒落としてことば遊びの範囲であればそれも問題は無いのですが、音に引っかけて縁起の悪さを避ける、忌み言葉となると、冠婚葬祭儀式・儀礼では大変なことになって仕舞います。受験生には、おちるやすべるを使わないなど多数あります。しかも、禁忌言葉は、地方や環境によっても違っています。つまり、忌み言葉や語呂合わせは、期待、願い、希望、こうなって欲しい、こうならないで欲しい、不幸は嫌だ、出来ないかも知れない、等々の、不安解消のおまじないの範囲とも言えます。

 昼と夜ということから始まる、ハレの日とケの日、裏と表、陰と陽、起きる事象は常に良いことと、悪いこと、望むことと、望まないことが繰り返されるという中で、出来るなら、望む方に目が出て欲しいという「おまじない」に似たものが忌み言葉や語呂合わせです。にもかかわらず、日本人の生活は、2者択一ではなく、夜明けや夕暮れという陰から陽に移っていく曖昧なことを大事にする文化でもあります。裏表と言いながら裏でもない表でもないことが、対人関係では重要視されます。腹の探り合いと言うほど、自分の意見を明確に言わないのが美徳です。その根源は、畏怖です。漠然とした大きな力、漠然とした大きな敬意に対して、ご機嫌取りをする態度です。決定はあなたです。でも、出来たら良い結果の方でお願いしますと言うものです。何となく感じる大きな不安、畏怖の気持ちが染みこんでいます。だから、どんなに確信していることでも、上が言わないことは、曖昧にして「仰せの通り」を待つのです。その言い訳として、げん担ぎ、縁起担ぎ、忌み言葉、語呂合わせ、こじつけ、何でもあるのです。ですから、忌み言葉や語呂合わせを否定する人でも、こっそり厭がるので、今でも続いているのです。