知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

花言葉は私語になるの話

 花言葉というと何となく優雅な感じがしますが、現実には、花の名前さえ知らない人にとっては、本名の他にあだ名があるという感じで、自分の感覚で良いなと思って購入した花が、花言葉を知っている人から、そういうことなどと言われたら驚いて返品しようかななんてことにもなりかねません。花言葉の起源については、色んな説があり、一応、トルコ当たりが発祥で、イギリスのトルコ大使夫人がトルコの風習として本を出版が、きっかけとか、フランス人の女性が、「 Le Langage des Fleurs 」(直訳で「花の言葉」)が出版されて大ブームとなったとか、諸説様々に言われています。しかし、物を贈るときには送り主が選んだ物に込めたそれなりの意味合いがあるもので、好意を伝える手段としても定型文のような花言葉よりも、贈り物を見ながら空想して頂く方が楽しみがあると思われ、花を見ただけで、手紙の中身が分かってしまうような花言葉は、特殊な場面にしか使えない私語のような物と今では思われます。つまり、花は包装によって中身が分からない贈り物とは違い、一目で花である事も、何の花である事も分かってしまうのですから、開ける楽しみはありません。それなのに、花言葉で意味までも露出していたのでは、驚きはずっと低くなります。花言葉という言葉の持つ優雅な感じよりも、非常に現実的です。しかも、花言葉が、各国だけで無く、地域によっても、その花に対するイメージの違いからも、オリジナルな花言葉が沢山出来ていて、同じ花でも花言葉が全然違う場合まてあります。日本には明治の頃に、紹介されましたが、日本人の風習や歴史に合わせて日本独自の花言葉が形成され、野菜のダイコンの花言葉は潔白、牛蒡は人格者、ほうれん草は健康などと付けられたと言います。伝達手段としての言葉は、その民族によって民族の数と等しく生まれ、民族の消滅とともに消えてもいます。残っていくのは、その言葉を権力が使用する場合が多く、民族の隆盛が言語の存廃に大きな影響を持っています。例えば英語、これは大英帝国が世界を制覇した結果で、フランスが制覇していたならフランス語になっていたかも知れません。同じように、中国語は、北京語・広東語などありましたが権力に裏打ちされてから、標準語に統一されています。評価は別としてエスペラントという世界共通語の試みがありましたが、どの国の権力も採用せず、普及はしていません。言語の基本は、伝達ですから、その意味が共通に理解されなければ意味がありません。英語が、この事で大きく発展したのは出版という印刷によってです。漢字は、音としての発音が違っても表意文字である事から、汎用されました。

 現代の、ネット情報では、音よりも文字が中心の伝達になりますから、翻訳機能さえあればどんな言語文字でも共有することが出来ます。自分たちだけの文字としての花言葉も復活できそうです。言語は、民族の個性の塊です。例えば日本にもアイヌ語がありましたが失われています。交流するには、共有すると言う事が無ければならず、力が強い者の言語に吸収される傾向がずっと長く続きました。しかし、翻訳機さえあればお互いに不自由はしないのですが、これまでの音声を基本とした会話伝達方式では、多数の音声認識機能はまだまだ日本語同士でも困難でした。今の、ネット情報は文字伝達が中心だけに、自分たちの私語であっても、自分たちで翻訳ソフトを作成しているなら共通語と変わりなくなります。つまり、ネット社会の方が、民族や個人の文化を残すことが出来そうなのです。個性と共通認識が、方言的に確立されそうです。経済や科学系とは違い、生活や感覚・感受性を表現する言語は、民族の個性その物です。それが、経済や科学の強い言語に吸収されていくことは、標準化される中で消滅していくことは、残念なことでした。特に、文学などの感性はそこの民族が持つものでなければ感じることは出来ないものでもありました。音は、録音すれば何とかなります、せめて文字として翻訳ソフトで共有出来ることになれば、私語のような言語も残せそうな気がします。