知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

養護施設で学習する悪い事、子ども間の性的問題の話

 厚生労働省の統計では、虐待や貧困などの理由で親と暮らせず施設や里親家庭などで生活している子どもは全国に約4万5000人とされ、2017年度にこうした子ども同士で性的な問題が起きたか2429の施設を対象に調査したところ、分かっているだけで1371人の子どもが加害者や被害者といった当事者となっていたということです。問題が発生した時間帯は養護施設などでは昼間から夜にかけて、里親家庭などでは下校後から夜間にかけての割合が高かったということです。何故この様な調査をしたかというと先例として三重県の事例発表があったからです。三重県では、600人超の子どもが児童施設を利用しており、2008~16年度の9年間に性的問題が、111件あり、性被害に関わっていたのは被害者、加害者を合わせて計274人で、平均すると年間に約12件、約30人が関わっていたということでした。12年度までの5年間の計51件については被害の概要も判明していて、2~19歳の144人(男88人、女56人)で、キス、下半身を触る、性器をなめるなどのほか性交もあったということでした。このことから、新聞社が東京都に情報開示請求して判明した子ども間の性的事故は、15年度63件、16年度74件、17年度は4~12月に60件あったことが分かりました。この様に報告があっても発表されてこなかったのは、児童福祉法では、施設職員による暴行は自治体に報告しなければなりませんが、子ども同士の暴行は義務付けられていないからです。ですから今回の調査でも、アンケートに回答した数字というだけですし、三重県や東京都でも、事故報告があった数字というだけで、報告されずに施設内で内々に納めてしまったものは数字となってはいません。このことが示す本質は、実態として養護施設は、児童を守れてはいないということが証明されたということです。虐待を含めて、家族から取り上げた児童が養護施設に入所させられても守られる制度や体制にはなっていない実態の一部がさらけ出されたということだと言えます。本当は、法改正が必要なほど改善が必要な状態になっていると私は思っています。養護施設には、負の意識を背負わされて児童が入所します。しかしそこには、職員の権力が強く、他人の合宿集団生活の場であるだけでなく、児童という年齢だけで、非行の子どもから、障がいの子、虐待の子、貧困の子なんでも一色単に入所となり、利用内容による環境設定分離はしていないのです。つまり、児童という括りであれば、被害者だった児童も、加害者だった児童も一緒に暮らすことになるのです。まだ、善悪や社会通念、ルールやマナーを確立していない未知数の子供たちが、通常の生活では関わることのない、様々な問題を抱えた児童の集合体である施設で混合して生活するのですから、、学習効果が逆転することもしばしば起きるのです。例えば万引きする児童の自慢話の方が、職員の説教よりはるかに魅力的です。性的被害を受けた児童の体験は、テレビや雑誌の性的刺激など遙かに超えた悲惨なものですが聞いてみたくなります。それが、児童の判断力以上に性的身体の変化を含めた性関心が勝ることもあります。他人の集まりなのに思春期の子供たちが密着した狭い生活によって家族的愛情要求が恋愛感情に変質してしまうことも起きるのです。一方職員の能力技能は、問題の広さ深さに追いついていきません。虚言や過剰防衛心、猜疑心、愛情欠乏、非行、障がい等々情熱があったとしても何でも対応できる職員がどこにでもいるわけがありません。にもかかわらず、様々な問題課題が繰り返し波状に生活では起きてきますから、積極的な良き学習を提供できる環境を設定することは困難です。つまり、児童が持っている背景に合わせて環境設定をしなければならないのに、個々人が要請する環境が著しく違うのに同一環境の中で暮らすことになれば、正に悪いことの方が浸透しやすいのです。再犯した犯罪者が刑務所でやり方を習ったという話があるように環境を整えなければ、悪いことだって学習してしまうことは可能なのです。だから、児童が求める必要な環境ごとの専門的施設が必要だと思うのです。性的問題だけでなく、子供同士の問題は施設と言う中で隠ぺいされ子供の将来のためと言う印籠の元穏便に穏便に隠されていますが、それでは子供は、本当に守られているとは言えないと思うのです。社会の不備から保護したつもりが社会の問題の縮図を背負ってきた子供同士の中で苦しみを増幅させていることにもなると思うのです。それは、グループホームであっても里親であっても同じです。家庭から分離しなければならないほどの過酷な体験をしているからこそ、普通すぎる暮らしを提供すべきだと思うのです。問題児だけかき集めて社会に影響を及ぼさないようにする方式は、もう、終わりにしてもいいと思うのです。児童ならなんでもかんでも入れてしまう万能ではない養護施設対応ではなく、一人一人が求めている環境を用意している施設に暮らせるようにすべきだと思うのです。