知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

生まれながらの不平等に憧れる人々の話

 イギリスのエリザベス襄王の死で、王室がきらびやかに広報されていますが、生まれながらにして不平等の象徴である王室を美化するのはほどほどにすべきだと思うのです。実際エリザベス女王の時代にも、植民地への過酷な対応や醜聞が山ほどあった事は事実です。従妹には知的障害者がいて施設に入所させ隠していたと言うのも日本ではあまり知られていません。元々、日本でも行われていましたが、血の濃さを守るとして近親婚を含めた婚姻が高貴な人たちの間では普通に行われて、身分差別的な特別な集団であることは間違いないのです。庶民的と思われていますが、ダイアナ妃も名門貴族スペンサー伯爵家の出身貴族です。つまり「何とか家のお嬢様」なのです。自称愛の神と誤解されがちなキリスト教では、一人一人が不平等な環境であることも是認し、現世での不公平で不平等な扱いがあるからこそ宗教としての価値を説いています。みんなが公平で平等なら助けも神もいらないという事です。一方民主主義と言う幻覚でも、「生まれながらにして平等」様に言いますが、実際は階級社会を認めているのです。ですから、民主主義の本場西欧にこそ沢山の王族や貴族がいます。そこには、日本でも公家や大名の子孫と言うだけで特別な人として見られ、今でも出身はどこがついて回っている様に出自が重要視される環境があるのです。ですから、下層民とされた部落問題は決して他人事でもないし、過去の事でもありません。身分制は、インドを含めて未だに生まれ素性が社会では大きな要素になっています。福祉でも教育でもヨーロッパを称賛し日本を非難する人たちがいますが、今でも王族だけでも30近くいるヨーロッパこそ身分制の現存する社会であるのです。デンマーク立憲君主の王国です。そのデンマークの上級民が通うエリート校での醜聞が報道されました。内容は「上級生が下級生を殴る儀式がある」「性暴力やレイプ被害も」と言うものでした。同校は、1565年開校のデンマーク最古の寄宿学校と言うだけでなく、貴族の子女たちが通う学校として設立されたエリート校として、デンマークで唯一、制服の着用を義務化しているほか、生徒たちはデンマーク語をベースにした独自の単語を使用することで知られているとされています。この報道により、通学していた王子は転校、王女は入学を取り消したと言いますが、この様な学校がある事自体をみても身分社会が温存されている事の証拠です。何故なら、デンマーク王国は、ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、OECD各国中で最も個人所得税の高い国であり、市民の生活満足度は世界最高クラス、2014年の国連世界幸福度報告では幸福度第1位なのです。さらに、世界で最も腐敗が少なく、男女の賃金差はOECD中最小であり、社会はグローバル化とデジタル化が進み、欧州において最もデジタル化された社会であると評価されているとされた国なのにも関わらず、貴族がいて王族がいるという事だからです。生まれながらにして、身分が違うほんの一握りの人々が国家の税金を得ながら暮らせる環境が容認されているという事なのです。そんな貴族の子弟は、長年、同校の文化や習慣でもある暴力の温床の中で暮らしそれを伝統として否定しない意識しか持たないのですから、生まれながらの身分の違いを是認し民主主義で言う、平等と共存できると確信しているのです。政府の教育機関も、同校で暴力などの違法行為が行われてきたと認定し、同校に支払われた助成金の返還と、上級生に特権を与えるような慣習を廃止するよう求めていますが、ヨーロッパにはこのようなエリート校が多数存在して、民主主義を大声で叫びながら、生まれながらの不平等に憧れる人々と共に出生による差別を温存しているのです。ここに、ヨーロッパのダブルスタンダードが日常にあり且つ世界の政治を混乱させる原因があるのです。つまり、生まれながらにして人間は平等であることを右手に掲げながら、左手に王様万歳を叫ぶことが出来ると言う感覚です。それは、常に王を含めた権力統治とキリスト教と言う宗教統治を融合させる長い歴史の中ではぐくまれたものでもあったのです。王族がいること自体が、生まれながらにして不平等なのに、その血族に憧れて維持しようと言う力が今も働いている事が本当は問題だと思うのです。