民族衣装というものは、その民族は見慣れているので他と比較しても素敵だと思いますが、他民族から見ると違和感があるという事は良くあります。それは、民族の歴史であり文化の違いそのものなので、アイデンティティーなどとして説明されることもあります。例えば、日本人が賛美する「鎧・兜」も世界的に見れば、変わった効率の悪い防具としか見えないと思うのです。それは、日本の「鎧・兜」は本来、高価でその作りによって身分を表している場合が多く、戦闘の防具としての機能性よりも、権威を象徴する衣装に近いからです。戦闘では、矢が刺さる事、槍で突かれる事、刃物で切られることを防ぐだけの防御だけでは生き残れません。相手を倒す攻撃が必要です。その時いくら戦争に慣れていると言っても、鎧兜だけで平均でも30キロ近くにもなるだけでなく、関節や体の動きを制限する様に体にくくりつけられた防具と共に生死を掛けて動き回ったのでは30分もすれば息が切れてしまいます。むしろ戦闘では、俊敏に動けることや疲れない事の方が重要です。ですから実際の戦闘を行った雑兵は脱着も簡便で動きが封じられない最低限の防具で対応しています。そう考えると偉い人は基本的に戦闘をするのではなく威厳を持って指揮するために、戦場の正装として鎧兜を用意していたとも言えます。同様に、日本人の好きなサムライの袴姿も今でいうスーツみたいなもので、農作業的な作業や舗装もされていない泥道・田舎道的な道を歩いていたら裾の方から泥だらけになりますし、樹木草に引っ掛かり破けてしまいます。江戸時代前は、作業時には、股引と言われた作業着や着物をまくり上げて足は裸で作業していました。大名行列の図を見れば、晴れ舞台なのに膝までどころか太ももまでまくり上げている事が分かります。日本の着物では、走ったり股を開けば、いわゆる「はだける」という状態になる事は明確ですから、それを補うための袴は、下衣としてズボン状だったりモンペ状だったり繰り返されるのですが、明治以後和服と言われる分類にされてしまい実用的な服からはどんどん排除されていきます。それでも時代劇や正月などでは見る機会が多いので、憧れの服装という事でもありますが、そんな人でさえ、スコットランドのキルト姿を見るならば男がスカート履いていると笑います。しかし、立場を逆するなら、スコットランドのキルトは、ミニスカート状態で、日本人の袴はロングスカートそのものです。袴は、どう見ても衣類の分類ならスカートとしか見ることは出来ないのです。しかも、袴は民族衣装の一つとしてアイデンティティーに関与するかと思うと、全く現代では着ていないのです。子供の時7・5・3で着ていた写真はあっても、その後レンタルでも着たことがあるなんて日本男子は、ごく少数なのです。さらに、所有しているなんてことは芸能にでも関わらなければ無いに等しい時代になっています。サムライという言葉がやたらと日本を象徴するかの如く使われますが、サムライの衣装は既に日常生活にはありません。それと同じように、サムライではなく「武士道」が失われていると言うのが現実です。見慣れていなければ、ただのロングスカートにしか見えない袴姿は、東洋の民族衣装で欧米的な衣装からするなら、日本人が思うほどかっこいいものではない、ロングスカートでしかないのです。ヨーロッパの騎士道については日本人が名前しか知らない様に、日本の武士道なんて世界じゃ知られていないのですから、見た目でもスカートにしか見えないサムライの袴姿を自慢してもアイデンティティーもない民族衣装の一つに過ぎないのです。日本人から見るなら立派な男装なのに、文化が違えば立派なロングスカートにしか見えない事をしるべきだと思うのです。