知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

偏見と不安は同時にやって来るの話

暗くなったバス停でバスを待っていた時にゆっくりと近づいて来る人がいたので、歩道の端に寄りながら見つめると明らかにホームレスと思われる風体なのです。両手にぶら下がる紙袋は膨らんで肩から下げているいるバックも暗いながらもよれよれにしか見えないのです。そしてそれを感じると共に身構えてしまう自分がいるのです。下向きながら歩いてきたその人がそーっと顔を上げて目が合うとすぅっと前に目を移して歩いていきます。間近かに見えた上着は破れていましたし、服装は汚れて見えました。歩いていく先には大きな橋があるのでそこで寝るつもりなのか、やっぱりホームレスだなと勝手に確信してしまいました。ただ薄氷が張るような12月末の寒い夜に、歩いているのに、さっきの視線は穏やかなものでした。身構えている自分の方が可笑しな緊張をしている事に気づいているのか分かりませんが、何見てんだよみんな同じ目だなとでも思っているのか、歩く速さが変わる事はありませんでした。そうした威圧を感じながらも、去り行く後ろ姿の足取りはトボトボとしか見えないのです。暗さの中に小さく消えていく黒い塊に安堵しながら、結局身なりで身構え警戒してしまう自分がいる事に気が付くのですが、やはり警戒心を抱かせるものは視覚的先入観から発動されているのだと思うのです。同じように、電車に乗るとすぐに周りをぐるりと見回す癖がついているのですが、斜め向かい側の真ん中あたりに、フードをかぶり、黒マスクで、ショールのように子供用かと思える毛布を被っている男がいたのです。下を向いてもいたので年齢も風貌も分からないのですが変わった奴だなという事ははっきりと感じられました。その男が、電車が走り出してから突然立ってドアの前、自分の席の横に立ったのです。自分の席はドア側の端っこで隣の席も空いていました。全体にガラガラではありませんが、空席はあるのに、ドア前に立って背中を仕切り版に押し付けてくると子供用と思われる毛布が、自分の頭と数センチにまで近づいたのです。何だこいつ座っていたのに何故ここに立つかな。と思っていると何やらバックから出して飲み始めたようなのです。仮に酔っ払いだとしたならと頭の中ではよからぬ妄想の世界に入り込んでしまいます。ここにも姿かたちからの偏見と不安から身構え警戒している自分がいるのです。実際にトラブルに巻き込まれた人は意外と少ないものです。でも、マスコミでも、小説や漫画でもトラブルを中心に展開しますからそこからくる先入観として偏見や不安が蓄積されているという事は確実だと思うのです。だから、身構えて警戒しているのですが、相手は何もしていないのです。でも一言でも相手が「何見てるのだよ」とか「飲んじゃいけないの」と自分に言って来たら、先入観ではなく経験談としての確信に変わるわけですが、そんなことは起きません。固定されてしまった先入観は、偏見と言う意識を内在させ、偏見は不安を育成しています。だから偏見と不安が一緒にやってきて身構えてしまうのなら良いのですが何かの拍子で行動に移ってしまったらトラブルになるのだろうなと思うと、偏見を持てない意識の在り方とは何かと考えてしまうのです。