知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

廃仏毀釈が出来る宗教観の話

 明治維新を誉める人は多くいますが、その時見せた日本人の狡さを語る人はあまりいません。中国・朝鮮以外の外国と正面切って対峙したことのない日本は、明治維新と言う表現で都合のいい事ばかりを宣伝して、その狡さを覆い隠したところがあります。特に宗教、信心と言う分野では、自己の利益のために、都合よく捨て去ることも平気でしました。欧米に合わせて作法や礼儀も大幅に切り捨てるのですが、そこにも理由も信念もありません。ただ単に欧米と付き合うためには、なりふり構わず物まねであってもことごとく洋風にすることを優先したのです。通常で考えるなら心の問題でもある宗教では、庶民までもが巻き込むことはなかなか困難なのに、なぜかそんな洋風に応じて廃仏毀釈という事件が起きるのです。絶対神キリスト教は、国家統治にはいちいち政教分離を検討しなくても有効で、イスラム教に至っては祭政一致で不便があっても当然が前提です。宗教としての一神教は、統治者は一人と重ね合わせることのできる思考へと洗脳もできます。ところが、日本的な神仏習合多神教的感覚では、複数の統治者が可能で、天皇と将軍が二人いてもいいし、南北朝のように天皇が二人いてもいいが成り立ってしまいます。そこで1人の天皇のみが統治者とするには、宗教的にも、一つの、神様だけがいいと洋風に伴い考えたのでしょうが、自然崇拝の日本には、神は沢山いすぎました。偉い人たちが論議しても天照大神絶対神にはなかなか成れないのです。突き詰めると天皇家氏神程度になってしまう事もあるぐらいです。明治維新で、王政復古を叫んだ国学者は、日本古来の宗教は神道であって、仏教は外来の宗教であると言っていますから利用したいのですが、排外的・排他的な民族主義者でもあるので、洋風にも反対することになり兼ねません。そこで思いついたのが、過去の役職、「神祇官」です。神祇官を復活させて神道一つにまとめてもらい絶対神としての天照大神をでっちあげようとしたのですが、その狡さが明治元年にいきなり「神仏分離令」がでて、神道を仏教伝来以前の姿にもどすと言う事よりも、仏教破壊テロの合図としてしまうのです。まさか、そんな命令程度で各地で廃仏毀釈が行われる騒動になるとは明治政府は想像もしていなかったと思うのです。当時、仏教は堕落していて国民にとって本当は宗教と言うより搾取勢力だと言う事が武士には理解されていなかったようなのです。江戸時代にはキリスト教の排除のために権力が仏教を悪用しました。仏教は、宗教である前に権力の手先に成り下がりました。権力のやり方は、寺請制度と呼ばれ、寺の周辺の住民はその寺の信者、檀家として登録することを義務付け、その管理簿として、宗門人別帳などをつくり、寺は檀家登録によって、キリスト教徒ではないということを証明する代わりに、冠婚葬祭の全てを寺が取り仕切るという独占企業になりました。そして、寺請制度の会員である檀家に、葬式や法事など様々な場面でお布施という形で金銭要求をすると言う事をしたのです。結果「坊主にくけりゃ袈裟まで憎し」と江戸時代では、幕府の庇護の下、堕落し暴利をむさぼる仏教を信仰の対象と言うよりは、搾取する敵として浸透していったのです。「坊主丸儲け」「地獄の沙汰も金次第」「布施の分だけ経を読む」「経も読まずに布施を取る」とまで揶揄し「くそ坊主」とまで言うほどに宗教者としての威厳も尊敬も失われていたのです。ですから、廃仏毀釈は恨みつらみで行われたという面もあるのです。廃仏毀釈は後々の汚点と言われるのですが、明治政府は神道を国教とし欧米のように一神教の真似をして、祭政一致という方針を取りたかっただけなのです。しかし、庶民に恨まれていた仏教は、あれよあれよという間に、廃仏毀釈という動きに飲み込まれていくのです。明治政府は神仏分離令神道と仏教を分離すると言う宗教改革を試みるのですが、思想が希薄だったために廃仏毀釈などと言う文化破壊だけになってしまうのです。とにかく権力の庇護は、仏教を堕落させ、基本となる庶民に嫌われていたという事です。同じ事が、権力に利用される神道も宗教としての精神を失い、戦後の国民の宗教離れに続いていくとも言えます。この廃仏毀釈のためにわが国の寺院が半分以下になり、国宝級の建物や仏像の多数が破壊されたり売却されたりしたとも言われています。それでも、天皇を中心とする国造りをおこなって西洋諸国に追いつこうとして、寺の領地も取り上げたりもしましたから、仏教は経済面から没落もするのです。1868年を明治元年とすると3年後の1871年ごろまで廃仏毀釈は続きました。ここで言えるのは、権力に利用された宗教は必ず腐敗するという事だと思います。国家神道もその後腐敗するのですが、日本人は氏神を含めた小さな宗教感覚を生活に組み込んでいますから、大きな統一した宗教を権力に押し付けられると宗教に危険を感じてしまうのかもしれません。明治維新後、今度は天皇は神で唯一絶対でしたが、その間にも廃仏毀釈を乗り越えた仏教ばかりか、八百万の神たちは生き残り、無宗教と言い放つ現代の日本でも延々と生き続けています。江戸や明示を礼讃することは多くみられますが、日本の宗教と言う面からすると、暗黒の時代とも言えます。宗教が権力と結びつくと結果として庶民の生活は脅かされるという事はこんなことからも分かると思うのです。昨日まで信じてきた寺を壊しに行った罰当たりな庶民が廃仏毀釈をやったのではなく、信心を失わさせた寺が招いた事件だったと言えると思うのです。