知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

安全管理が出来ない見世物の組み体操、やりたい大人は責任を取れの話

 神戸市内の市立小中学校で今年度、組み体操の練習中に66件の事故が起こり、うち6人は骨折したと市の教育委員会が発表しましたが、何の謝罪もありません。神戸市長が、自身のツイッターで組み体操の見合わせを呼びかけていましたが、その要請も無視して事故を起こしているのですから普通は謝罪だけでなく、責任も問われて良いのですがみんな何も言いません。この事からも怪我した子供の痛みを感じられない組体操の事故は、見世物に陶酔したい大人の犠牲でしかありません。そもそも、組体操自体が悪いわけではありません。授業の中でやることにも問題はありまあせん。問題なのは見世物としてやるからです。運動会と言う舞台で大人が感動したいという欲望でやらせるからです。例えば、運動会で、組体操ではなく個人体操だって、ダンスだって、問題はないのですが、それでは見せ場がないと思いこんでいる人がいるだけなのです。チヤリーディングでは3段ピラミッドなんて普通にやっていますが、それは、やりたい人が、指導できる人の元で訓練によって出来ています。運動会でやるとなれば授業ですから、やりたくない子供も、運動が苦手な子も参加しなければならないのです。昔は肩に荷物を背負うということは一般的でしたから肩に重い加重を掛けることには慣れている子供も沢山いました。しかし、現代では、ランドセルより重いものを肩に掛けない子供たちの肩に片足しか乗らなくても20キロ近い負荷が掛かって2段です。分散するといっても滑車を使っているわけではありませんから、土台の子供の方には、40キロ近くの負荷が肩に掛からないと3段にはなりません。体というのは生活に密着して成長しますから骨格であっても現代の子どもの体や肩に、重い負荷を支えるようには出来ていないのです。運動会は、昔の地域のお祭りではなくなりました。大人がいつまでもしゃしゃり出てプログラムに関わる必要はもうありません。純粋に子供たちの楽しい一日として子供たちに返すべきなのです。親が見たがり、教師が調教師の如く子供たちに演技をさせる見世物的組体操にはなんの教育的効果もありません。第一普通の親は、自分の子どもが走っているだけでも嬉しくてビデオを回しています。一番でなくても、転んでも、失敗しても、自分の子が可愛いのですから、組体操練習中に事故にあって運動会に出られない方がよっぽど悲しいと思うのです。そして、もう一つ、組体操になったら、体の大きい子は何時も土台です。これは明らかに体格による選別と同じです。さらに、よく言われる、「スポーツには怪我がつきもの」ということを言い訳に、実施している教師がいたのなら、事故に対して、業務上過失致死傷の罪や傷害罪を問うべきだと思うのです。予見できず、対策をしたにも関わらず起きたことは事故かもしれませんが、怪我はあるということが予見されたなら、その対策をして安全確保を行うことは指導者の責任です。大義の為なら犠牲もある様な感覚で行うのは、大人の自己責任2は通じますが、子供は守られるべきで、大人には保護責任があります。事故後に子供本人の自己責任など求めて逃げるぐらいなら初めから組体操を見世物として行わなければいいのです。見世物では無く、日常授業の一つとして、取り組めばいいのです。人にお披露目しようとするから個人の気持ちを汲むことも、一人一人の身体事情に配慮することもなく、集団行動として無理を子供に強いているのです。虐待状態紛いの圧力を子供に掛けていることに気が付かないのです。組み体操では、協力してやり遂げる満足感を得られる等と理由をつける教師もいますが、いじめと同じで、危険行為に怖い思いをしている子供や重さにつらい思いをしている子供にとっては、とにかく我慢しているだけだということが分からないだけです。いじめがあれば、教育委員会と学校が結託して隠ぺいすることもあるぐらい密接なのに、組み体操になったとたん教育委員会が判断することではないと言い出し、市長の提案も無視する教育委員会は、各小中学校の自主判断によらなければ止められないと逃げて、各小中学校の自主判断としているのに、その学校の責任者の公表もしません。そこには、教育者として、いつも説教する話あって決めるという姿勢などありません。やりたいだけのメンバーで強行しているのです。正に日本式で、誰か死ななければその危険に向き合おうとしないのです。事故が起きてからでは遅いという認識が欠如しているのです。組体操の、高所から転落すれば、重大な後遺障害を伴う怪我が発生するだけでなくいつか死亡事故が発生してもおかしくないのです。なぜなら、安全対策と言ったって教員が側に立っているだけで、崩れ始めたら、男子教員でも抑止することなどは簡単に出来ません。潰される土台となっている子供の負担は非常に大きいのです。日常、クラブ等で訓練もしていない子供たちや運動が苦手な子も含めた集団で行うのですから、重大な怪我をしないような安全配慮などできるはずもありません。保護者が拒否するという選択肢もありますが、特定宗教で授業を拒否した事例でも、子供が授業から外されて子供集団から疎外されるだけになってしまいます。これは強制なのです。こんな見世物組体操を子供にやらせたい人たちは、案外男らしさや男としてと言う性の強調に酔ってしまう人たちで、誤った観念による男性像に憧れている人たちなのです。組体操の危険も男の子には大事だと信じ込んでいますが、歴史を正しく学べば、作られた男性像に振り回されていることが分かります。勇猛果敢とは、自己陶酔と感情興奮することではないのです。