知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

歴史に悪役はいないの話

 歴史は、一方的な好みで見た方が面白いのですが、その見方で歴史から教訓を捉えようとするなら、絶対に間違えます。歴史に、もしもが無いように、歴史の中には教訓はありません。その時その場所その人だからそうなったのであって、必然無き存在はないからです。例えば、井伊直弼は、確実に悪人と言われています。最悪の評判は、日米修好条約に始まって、安政の大獄等々国に被害とろくでもないことをしています。ところが、彼が行った海外貿易の許可が、各大名家の海外貿易を促進し、それが討幕の資金になったことからすれば、案外会社のリストラを進め、不利益な取引をした取締役のせいでみんなが奮起して会社が再建されたという言い方も出来ます。信長は、比叡山を焼き討ちしたので無神論者で信心もない人間と思われますが、そうではなくて、神仏は信じていたけれど、神仏の使いという人間たちを信じていなかったという解釈をすると見方は変わります。この時代、戦いの時の本陣は、野営よりも門や塀があり、敷地が広い寺社に置かれるのは普通です。だから敵を攻めるという事は、本陣のある寺社であることも多く、信心深いという上杉謙信でさえ、敵領国の何百という寺社を焼き討ちしています。一揆を起こすときも寺に集まってからというのはよくあることで、寺社は争いの時の砦的役割を持たされてもいました。ですから、その大親分筋であった比叡山を焼き討ちすることに関しても織田軍団としてそれほどの悩みも異論もなく出来たと思うのです。今の宗教と当時の宗教の違いを認識できなければ大変なことのように見えますが、政治と宗教が密接だった時代では、宗教も政治勢力の一つにすぎなかったのです。ただ、それまでは特権を持ち勢力が強すぎて武士ごときが手を出せなかったという事情があることは否定できません。ですから、叡山焼き討ちが明智光秀の義憤に繋がったというのも間違いだと思っています。それに、宗教は他宗教に対して残虐で、自派しか認めませんから、一向一揆を含めて権力の一翼に参加していたなら織田信長てなくとも覇者との戦いは避けられなかったと思うのです。それは、当時も今も、宗教の存在は認めても、宗教を生活の糧としている人間が必ずしも信じられないということは続いており、自分に対して敵対しているのは、生身の人間であり神仏ではないと確信できれば、戦うことは何の不思議もないことと言えます。現在の日本では、対立は否定されみんな仲良くが基本ですからその発想で歴史を見ると、対立するという事は、勝ったほうが正義で、負ける悪人がいなければならなくなりません。そうして大化の改新蘇我氏は大悪人に仕立てられましたが今では全く違う見解の方が正論となってきています。日本人が歴史を何故ヒーローショーと重ね合わせ様になったのは、平和になった江戸時代の、歌舞伎などの芝居小屋から始まると言えます。芝居では、主役を強調するためには悪人が必要ですし、残虐でないとヒーローショーは盛り上がりませんから、歴史の事実より盛り上がりで興行します。つまり、主役と悪役が際立つほど面白さが増しますから、悪人探しをしては正義のヒーローづくりをしてきたことが歴史の人物像を大きく誤解させてきたとも言えます。さらに、権力を握った方が、相手を悪役に仕立てるための様々な隠ぺいや資料の廃棄が後世の評価をゆがめてきたことも間違いありません。時代に生きることは会うこともない後世の人間の評価など気にして活動はしていません。みんなそれぞれの思いで行動しており対立はあっても誰もがヒーローでも悪役でもいなかったと言えます。出た結果で、後世の商売のためにヒーローにも悪役にも後出しで役付けされてしまうだけです。ですから、歴史は、一方的な好みで楽しむもので、歴史から教訓を得ようなんて考えたなら、間違えてしまうと思うのです。