知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

研究費増大、無理しても効果は薄いの話

 ノーベル賞がこれからは取れなくなる、その理由は基礎研究を含めた研究費が少ないからだとテレビのコメンテーターが言うと誰もがうなずいています。確かにもっともな話に聞こえます。でも、よく考えて見たら、一体どんな研究にお金をつぎ込めば良いのかと言う疑問が出てきます。実際、これまでだって世界何位という程、一杯つぎ込んだ研究費の決定や仕分けは適正だったのかとなってきます。つまり、賞を獲れるような研究が優秀で日の目を見なかった研究費は無駄だったのかという事になれば、賞が取れるような研究はこれだと誰が決められるのかとなります。もっと言えば、役にたつ研究と無駄な研究を仕分けできるという人物などこの世にいるのですかと聞きたくなります。例えば、文学で源氏物語を研究していると言っても庶民の生活には全く影響がありません。例えば、ダンゴムシを研究していると言っても日の目を見ることになる様な成果を誰も予測できないと思うのです。例えば、郷土の偉人を研究していると言っても研究対象者さえ誰も知らないと言う事にだってなります。例えば、個人でも天文台的研究をして星に名前がついたという人もいますが研究費は自費という場合が多く見られます。つまり、研究なんて、ノーベル賞を目指したり、評価されることを目指して行っていると言う事よりも、その人が興味関心を持ち突き詰めたいと思う事が研究対象となっているのですから、それを応援する研究費が、競争で勝つものや利益を生むものに焦点を当てるというのは、違うと思うのです。中国の研究費が日本を抜こうと、どこの国より少なかろうとそんなことを煽る必要があるのだろうかと思われるのです。身の丈、分相応と言う言葉がある中でに、これから先も世界の中で背伸びして日本人を奮い立たせる必要があるのだろうかと思うのです。クローバルという言葉を言う人ほど、日本人という事に拘るし、世界の中の優劣に拘ります。確かに明治以降日本は、世界に飛び出してそれなりの地位や名声を得て、日本人という抽象的な象徴に結集し、頑張りで得られた経済大国としての生活ですが、世界と戦い続けていけばこの生活が永遠に守る事が出来ると考える事自体が、甘い予測だと思うのです。繁栄と衰退は人間の歴史そのものです。つい最近まで、化石燃料のガソリンは永遠に必要だと思っていたのに、エネルギーとしての役割を終えるかも知れないと言われています。だから、電気自動車の研究で最先端にいかなければ、国際特許を取らなければ席巻されてしまうと話す人は沢山います。では本当にそうなのかと考えると、過去には半導体で日本が世界一だったという事実がありますが、もう何年も前に統計の順位からも外れています。大きな流れの中で、ピンポイントの様に成功してもすぐに波は引いていきます。永続的に利益を生む世界的特許なんて今ではなくなりつつあります。それに科学・化学では、たった一つの方法では無く幾通りもの方法が存在して、一時的に優位になったとしても、すぐに代替出来る方法が研究されています。例えば、稀少金属類もそうです。一時は大変な騒ぎとなり産出する中国が大きな権益を握りましたが、数年で終わりとなり、そんな騒ぎがあったことさえ多くの人は忘れています。国際社会の中で日本が何番目なんて事はもう良いのです。国策研究の費用を増やしたところで、時代の流れは変わりません。最先端の技能を維持する為の研究費増大は、学問研究に片寄りを起こし、利益の為や産軍共同体へ変質しやすいのです。海洋開発、宇宙開発とどれだけ研究費をつぎ込んだってバブルのように消えていくことの方が多いのです。国として、競争心向きだしで国民を叱咤激励することをしたとしても、バブルのような時代は訪れません。よく貿易立国だからと説明することもありますが、それならもっと外交として相手に寄り添う事をしなければ相手国から嫌われるだけです。実際にこれまで援助した国が日本の味方ではありません。そこまで来ている加齢の島国が、今までのような方法で外国と競い合うスタイルでは息切れしてしまう時代が来ています。一ランク、二ランク下がったとしても広い見識がもてる研究を育成していくことの方が大事な時代へ入ろうとしていると思うのです。競い合いの最先端では無く、我が道を往くような研究で良いのでは無いかと思うのです。