知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

人前に出る文化と出ない文化の話

 安土桃山時代に来日したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、『日欧文化比較論』のなかで「我々の間では真珠は装身具の材料に用いるが、日本では製薬のために搗き砕くより他には使用されない。また、ヨーロッパの女性がつける宝石のついた指輪なども一切つけず、金、銀で作った装身具も身に着けない」と述べているそうです。ここには価値観が全く違うということです。当時の日本にも、金銀細工の技法はありましたから作る気になれば、精巧で独特なデザインの作品は作れたのですが、全く作る気がなかったということです。実際、日本の装身具は、縄文時代古墳時代の遺跡から、出てきていますが、奈良時代から明治まで千年近く利用されていないのです。古代の装身具がどのような意味で使われたかも、なくなった理由も実はわからないと言われていますが、私は、権力者が人前に出なくなったということが理由だと考えています。なぜなら、平安時代でも、天皇は御簾と言われる中に居て顔を見ることが出来ない存在でしたし、大名行列では、「下に下に」と頭を下げていろ、顔を見るなど上位の人の顔を直接見ることは恐れ多いという時代が続いていたからです。それに比べてヨーロッパの王たちは、人前に出て権威をひけらかさなければなりませんでした。ローマの皇帝ネロは、競技場で実際に競技にも出ているのです。つまり、人前に出るヨーロッパの王侯貴族は、自分の富と権力を、多くの人々に誇示するための道具として装飾品を必要としたのです。権威を示す装飾品は、交換や換金する市場がなければ経済活動には組み込まれませんし、宝は、権力を象徴できますが、宝では権力は握れません。つまり当時の経済活動の中では、王侯貴族の装飾品は権威を示す贅沢品であって、金・銀などの様な商品としての価値は低いのです。財産を見せつければ盗難にあうという時代ではなく、自身が人前で権威を見せつけるための道具にすぎなかったとも言えるのです。ヨーロッパの王侯貴族は、画家を抱え込んで肖像画を書かせます。ナポレオンの有名な馬上の絵も過大誇張表現されたものですが、ナポレオンの権威を高めるために貢献しました。それほど、顔を売る文化に対して、日本では、お言葉を直接聞くとか、顔を見るのは尊顔を仰ぐというぐらい距離のあることだったのです。雲の上の人という表現がされるように、日本では、偉い人は姿を現さず、用向きは家来がするものだったのです。明治になって、天皇のことなど誰も知らない状況を打破するために写真をあらゆるところに張ったのも西洋の真似をしたからです。

 つまり、日本では、偉い人が人前に出ることは、古墳時代に終わったので装飾品の必要性はなかったのです。ですから、今になって自己主張しない国民性などと言われますが、偉い人は自分の言葉で話すのでは無く、家来の仕事ですから、自分が前に出て話すなどルール違反と言う文化の中にどっぷりと浸かっていたのですから、自己主張しないのでは無いのです。人前に出ないことが権威ある文化の日本では、偉い人が先頭で演説をするなどと言うことなど想定もしていない文化でしたから、装飾品で相手を威嚇するなんてこともしませんから、装飾品は必要なかったのです。