知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

虐待にクレーゾーンなどないの話

 県の説明会で、障がい者施設指導に当たる部署の職員が、虐待の説明をしたときに、グレーゾーンとは何かという説明になって「利用者を作業室に移動してもらおうとしたが、移動してくれないのでコーヒーで移動させるという行為」が該当すると例示しました。質問もできる状況ではなかったのですが、明らかな間違いだし、虐待を理解していないとしか思えないので機会があれば提起しようと思っていますが、まずは記録としてまず残そうと思います。

 上記のような考え方に偏るのは、「褒めて伸ばす」型の指導法が、最善と考えている方が陥りやすい、「物で釣るのは良くない」と言う考え方によるものと思われます。そして、食べ物で行動させるのは、動物の調教と同じで、人権に対しての配慮が行われていないという事が根拠だと思われます。中には、癖になるや甘やかしになる、けじめがなくなり歯止めがなくなるなどと言い出す人もいます。しかし、言葉による「褒める」も行動を促す強化因子の一つにすぎず、「褒め言葉」も「物・飲食の提供」も行動に対する「ご褒美の種類にすぎない」と言うことが理解されていません。

 つまり、自発的行動ではない、他者からの刺激で行動するのは、受動的行動と云えますから、刺激を発した人の刺激内容を刺激を受けた本人が自分にとって、利益があるか、害があるか判断し、反応することです。本人に不利益を与え可能性のある刺激としては、言語による注意や叱責、物を与えないや取り上げるから、身体への加害、拘束、そして、精神への不安や恐怖を与えるなどが上げられます。一方、本人に、利益を与える可能性のある刺激は、言語で褒めるや賞状を与える、物を与える、身体へスキンシップをしたり、精神的な安心感、満足感を与えるなどになると思われます。この様に、物であっても言語であっても、精神的なことでも、他者が本人に刺激として働きかけることで行動を促すために、罰や褒美を駆使するのは、ごく一般的な社会の方法の一つにすぎません。もっと言うと、説明している公務員は、そのポジションと待遇という利益を与えられているから働いているので、無償で働いているわけではないのと同じです。自分がご褒美としての賃金を得る為に働きながら、物を与えて人を動かすことは虐待のグレーゾーンに当たるというのは、見当違いです。つまり、障害を持つ方が、賃金や工賃も褒美として理解してくれるなら、働くことへの導入や、仕事としての行動の意味を理解していただく、第一歩となります。この様に、行動を促す働きかけの方法としてみるなら、移動行動に移行していただくために、コーヒーを提示した事が、グレーゾーンの虐待に当たると結論付けることは適切ではないと思います。

 問題となるのは、方法論として計画されたコーヒーを提示したのではなく、移動の拒否にあって職員が困ってその場しのぎに発言しまったとか、それに関わる費用が職員のおごりだったり、利用者を動かすためにウソを云ったとするなら、確かにアウトです。それは、虐待と言う事より、組織としての手続き手順や、支援の基本に反する行為で、間違いだからです。繰り返しになりますが、移動支援は、目的ではありません。目的地で様々な行為や行動をするために通過しなければならないことですから、安全に手早く行動していただければ最良で、重要なのは作業場で、自発的に、持続可能な作業を展開していただく導入につなげればいいのです。ですからこの場合のコーヒーの提示は移動支援方法論の問題であって方法そのものが虐待ではないのです。移動支援は、安全確保という観点からみると非常にリスクが高く、施設などの集団異動では、待ち時間があると他者に高いストレスを与えますし、所在不明や他者とのトラブルなど、二次的リスクの発生が高まります。ですから、移動方法は、目的地へ安全に到着すればよくその手段は多様であっても問題はないのです。逆に、この時の働きかけが、「コーヒー」ではなく「工賃が上がる」と言葉での「褒美」で釣る場合はどうですかと問いたい。職員の安易な方法の選択は、虐待に直結するという意味では正しい意見と言えますが、ただ物で釣るのはよくない程度の考えで、虐待のレッドゾーンとして提示したのなら虐待防止には役立たないといいたいのです。なぜなら、国は施設に対して、施設で働く障がい者の工賃が一向に上がってこないことに怒り、平均工賃が高い施設には、ご褒美として基本報酬を高くし、平均工賃が低い施設には罰として基本報酬を下げるという施策を始めています。こんなことをしたなら、経営のために平均工賃を下げている、障害の重い人や障害があって毎日通えない人、量をこなせない人などが排除されるだけでなく、自立できる優秀な人がいなくなって生産が低下しないように自立を妨げるような囲い込み等々の、利用者に不利益を及ぼすことが明確なことを始めました。これは、明らかに国による施設へのグレーではない虐待行為です。でも、県は国の指揮下にあって国には何も言わず、施設のできの悪い職員の支援の不備をグレーゾーンとして指摘するのです。

 大事なことは、移動時のリスクを回避し、所定の場所へ移っていただくために職員の力量がそこまで達していないならば、利用者の利益を守るために、褒美を付けることもあるという事です。褒美の考え方としては、ポイント制(トークンシステム等)などの間接的な方法を含めて事前に検討し計画されていれば問題はありません。むしろ施設のような場所では、出来る様になると出来ていることへの称賛より、出来ないことへの罰の方が横行して、結果虐待となることからするなら、合理的に褒美が提供される環境になっても、まだ、一般的生活に追いつかない程度とも云えます。移動支援に当たって職員の、心の中にある思いが、作業場で一緒に作業をしたいではなく、移動させられないと、自分が困るからだったり、自分の評価が問われないように、目の前の結果にこだわってしまったと言う意味で、コーヒーと言ったのなら、支援としては失敗です。移動時は、流動的対応ですから、危険やリスクが高まります。それだけに、安全な移動方法として罰よりは、褒美の方が安全な方法と言えなくもありません。反面、褒美方式は職員の個性を見せず誰でもなんとかなることから、技能の向上には貢献しませんし、職員が安易に依存しがちという欠点も自覚しなければなりません。そして、場面場面での、手段方法は、その時に考え付くのではなく、計画性と導入・展開・終結が事前に学習していなければなりません。また、支援が継続的に持続することが重要です。虐待は、相手への不利益、不快な気持ち、心身への苦痛等々を与える行為ですから、職員が出来なくて物に頼ったとしても利用者に不利益がないのならば虐待のグレーゾーンなどと言って禁止すべきことではありません。障害があっても理由なく拒否なんてことはありません。ですから、移動を拒否をしている方の気持ちさえわからない、理解できていないような職員が、今今の解決として無理やり移動させる方法を選択するより、すり替えであってもリスクの少ない方法を選択していただいた方が安全です。むしろ拒否の原因究明をしなければ作業にも影響が出てしまうということを指摘すべきです。利用者に働くことの動機づけそのものが出来ない職員に、虐待のグレーゾーンなどと言って頭ごなしに禁止事項を並べ立てることは、困った職員は陰で行うだけです。職員が、自分の不備を利用者に転嫁して、利用者が不利益を背負わされないようにするためには、一部分だけを取り出して評価するのではなく、総体としての理念が根付いていかなければ虐待もなくなりません。虐待のグレーゾーンなどと言うこと自体が曖昧で、虐待の範囲は関係者が設定するものではなく、不利益を受けたという利用者が引くもので、加害者がグレーなどと言って逃げられるような曖昧な設定をすること自体が虐待被害者の気持ちが分かっていないのではないかと思うのです。