知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらない話

 客観的にその集団では最下位に位置している人物でも、一人でも後輩や部下ができると、自分がその集団に所属した時には、こうだったああだったと云い、後輩や部下に愚痴なのか武勇伝なのか無口な人でも語ります。しかも、自分は上手に出来ていなくとも上から要求されたことを評価の基準にして自分の成績は、隠したまま後輩や部下を評価します。他者からは最低の評価を受けている者でも、自分が上位にいると錯覚して語ることもあります。過去には、空気が読めないやつなどというあいまいな評価もありましたし、覇気がないとか、やる気がないとか、情緒的な言い方から、ひっくるめて現代っ子なんて言い方や最近のゆとり世代まで様々です。どんな組織も、いつの間にか自分を中心に上から下まで他者評価(愚痴を含めて)を延々と行っているものです。それがその組織の家風でもあるのですが、当然馴染める人と馴染めない人は出てきますから、順送りの様な家風に順応した人が上司となっていくのです。つまり、よくある上司無能の批判はそんな人を上司に据えるような選択をする人の家風の組織なのです。よく、新設会社は、5年以内にほとんど消えると言いますが、集められた人材の運用もさることながら、他者を見る目に失敗することが多いことも要因に挙げられます。どんな事業も一人では限界がありますから、他人を雇うのですが、事業の遂行能力と人物を見極める目は全く異質で有能そうでダメなやつと無能そうで非凡なやつを選別できないから、自分が現場を指揮していた時から、現場を離れ他人に任せるうちに潰してしまうのです。優秀な企業家は沢山いますが、自分に合った参謀を確保できる企業家は少ないのです。

 さて、自分が上司となって部下を持つと様々な時代の風潮や評価基準が気になるものです。そして手引き本なんかに興味を持ちながら評価します。自分が部下の時は、上司が無能だからと愚痴っていましたが、自分が上司になると部下の駄目さ加減ばかりが見えて仕方なくなります。結局は、自分にはすごい上司にも、出来る部下にも恵まれていないのだと勝手に思いこまなければやり切れません。他者はかっこよく、どんな上司でも上司になった要素はあるのだから良いところは見習い、悪いところは反面教師として学ぶべきだし、部下は育てなければならないといいますが、良いところなんて一つも見つかりませんし育つなんてこととは程遠いとしかお思えない状況ですと声を上げたくなるぐらいです。第一、部下を育てるといったって、本を読んでも、研修も受けてみても、そんなにうまくいったら苦労するかということぐらいしか成果はありません。飲みにケーションなんて言って酒を飲んでも、結果として成績が上がるわけもありません。

 実は、現代の組織はまだ底流に、終身雇用の習慣と残存があるのです。終身雇用の仕組みは人と人の「縁」の深さです。殿様の国替えがあっても国衆は延々と続いていたように経営者が変わっても雇用は続くという思考は底流として今でも流れているのです。現代の縁というのは、深さではなく、広さに変わってきています。異業種交流を含めて、いかに広い縁から利益を作り出すかという手法に変わり、労働者も広い縁の一つでしかなく縁がなかったものとリストラするのは当然の帰結なのです。ですから、一人一れの「モチベーションアップ」などといっても上がるわけはないのです。勢いのある風の吹くままに、流されている方が時には有利であることが本当に多いのが現代なのです。そして、そんな世相を反映しているのが、「言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらない」というのが現代ではないかという話です。個人の、モチベーションや頑張りを求めるのは、言わなくてもきずいてくれる、プラスアルファの仕事は当然、自分の話を聞いていると幻想を持っているからです。そうではなく、現代は、人は、言われなければやらない、言われた事しかやらない、言われたとおりにやらないを認識していれば一つでも自主的にやってくれると嬉しく思えるのです。そうなれば、やっと部下や後輩を褒められるチャンスに出会えます。