知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

進化したなら雄の殆どが無駄だと思われる話

  テレビで、よく放送されるのが繁殖期の雄同士の戦いで、より強い遺伝子を残すための大切な戦いなのだと説明されます。しかし、遺伝子的に考えれば、どんなに闘って強い雄であっても、草食獣から肉食獣へと強くなっていくわけではありません。しかも、戦えるほど成獣として成長しているのですから遺伝子的な欠陥もないでしょうから、負けたからと言って、勝者との大きな違いはありません。正に勝負は時の運かも知れません。昆虫だろうと、鳥だろうと、動物だろうと、同じ種の中の雄同士が戦ってどっちが勝っても、それで遺伝子に変化をもたらすわけではありません。何故なら、大きい方が勝つとか、素早いものが勝つとか、力のあるものが勝つとかにより、より優秀な遺伝子が遺伝子に影響するなら、何代も重ねるうちに、より大きな体に、より素早く、より力がある種となっていくはずです。しかし、例えば、競走馬、繰り返し人為的により早い馬を作ろうと交配していますが、馬としての限界を超えることはしていません。肉体的に、馬の軀が動物界ではより早いチーターの様な軀にはならないのです。つまり、種の遺伝子情報は確定していますから、強い雄の子どもがその強さを少しでも超えて代を重ねるごとにより強くなっていくかと言えばそんなことはないのです。何らかの環境変化による突然変異や遺伝子の組み換えが起きなければ親の遺伝子の範囲内での個体しか現れないのです。むしろ、出生する雄と雌の数が半々だとして選ばれた雄しか交尾の機会がないなら、残りの雄は、無駄なものでしかありません。単純に考えても、雄が戦う事がより強い子孫を残す行為だとしても、自然界での捕食関係で言えば大きな違いではありません。生物学という分野では、単位生殖・無性生殖と有性生殖の優位性や役割などで、性の存在は進化の一つの鍵と言う事になりますが、遺伝子を混ぜ合わせることで進化を語るにはまだ無理があると思います。つまり、これが最高峰だという生物がいるなら強い親と同じものを作り出す、無性生殖の方が有利です。それに有性生殖では、どんなに強い雄でも雌が弱ければ強い子どもが確実に出てくるとは限りません。考え方として、自分の遺伝子を後世に伝えることが生物の究極の目的だと考えている人もいますが、自然界の生物が行っている行為を人間風に解釈しようとすればそれでもいいのでしょうが、勝った雄と負けた雄の遺伝子の違いはそれほどでもありませんから、捕食者が多ければ絶滅して仕舞います。それは、人間という存在によって絶滅した生物が実際にあるからです。それは動物だけでなく天然痘のような細菌でも見られます。つまり、雄同士が戦う事は内輪の争いであって子孫を残すという重大な目的のためなら外部への働きかけでないと、種の保存など出来ません。

 本当に強い遺伝子を残したいなら、雄だけで無く雌の選定もしなければならないのに雌は誰でもが遺伝子を残すことが出来るのです。つまり、人間風に考えて、雄の中の強い遺伝子と言いながら、雌は誰でも良いと言うことですから、強い遺伝子が残るという保障など有りません。また、強い雄がハーレムを作ったとしても、雌の生んだ雌は娘になりますから、近親婚となってむしろ危険です。こんな事を考えると、雄の戦いは、本当は無駄な戦いで、交配できない雄は、全くの無駄な存在だったことになります。まして、人間の一夫一婦制では強い人間は出来ません。進化という考え方を持たなくても、地球では生物は、長い時間を掛けて生物の構造を複雑化や多様化させてきたことは、認識できます。それをどうしてそうなったのかと、人間風に解釈しようとするのが、進化と言う考え方ですが、それでは、雄の戦いを説明には無理があるのです。生命は、何度も絶滅の危機にあったし、6億年前には全生物の90%以上が死滅すると推定される状況が合っても、自然は生物を残したと考えられますし、完全に絶滅しても次の生物を作り出すかも知れません。生物には、発生そして維持、生存の限界と増え方の色々という、まだまだ人間の思考では理解出来ないことが多くあります。地球の生物は、進化の過程だと考えるから、なんとしても全ての生物の行動を進化の一つに説明しようとすることに無理があるのです。地球の自然の生物の存在そのものが、偶然に次ぐ偶然の産物ですから、説明の付かないことばかりなのです。例えば、老化。生物は、生命を継続しょうと必死だと説明しますが、新陳代謝が継続すれば老化も死もあり得ません。無性生殖で何千年も生き続けている細菌やウイルスなどがあっても不思議ではありません。生物が複雑化多様化したことを進化してきたと言う事として説明することに無理があるのです。例えば、天下統一した徳川家康の全ての行動が、勝利のために必要だったと説いて、それを教訓にすることが人間風ですが、本当は偶然が繰り返されたと考える方が事実だと思われます。生物の増えかたは、いろいろでその理由も進化だけでは説明など付きません。まして、種の優劣や強さなど何の意味もありせん。何故なら、人間は、生命の、発生、維持、限界そして生殖に関して、 人間的解釈では説明できないことばかりが事実として有るからです。