知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

移動手段が生活を決めているの話

 その人が、自由に移動できる範囲が、その人の生活圏と言う事が出来ます。戦後になっても、殆どの日本人にとって個別の移動手段は、徒歩や自転車でした。物の移動でも、リヤカーやバイクなどで、マイカーは憧れでした。当然道路も砂利道だらけで車が通れば土埃をあげていました。公共機関としての列車は、単なる移動手段では無く、荷物を持った運搬手段でもありました。列車の網棚には、一杯の荷物が列び、座席の下にまで荷物を入れていました。数十年前の日本人の移動・運搬手段は、自分の足の他に機械類は少なく、人海戦術と言った、近隣の手助けや、親族、組織としての協力を得ることが重要でした。それは、お互い様でもありました。しかし、自動車が行き渡るにつれて、人に頼まなくても、自分で出来ることが増えました。遠くても安い店に自動車で行くことが出来れば、近隣の店は必要ではなくなりました。都会のように網の目のように交通機関があれば、逆に移動用にリスクを持って自動車を所有する必要もなくなりました。自分の足、以外の移動手段を持つことで個人としての生活圏は広がり、技術の進展が、自分の足に不安を持つ人にも移動手段の多様化が進みました。車いすの人は、自分の腕力で動かせる範囲でしたが、電動車いすによって、腕力がなくても自力での外出も可能となりました。バリアフリーと言う事も叫ばれて、道路の段差がなくなったり、歩道が広くなったりとする道路も増えました。こうして、生活圏は拡大し生活は豊かになったように思われました。ところが、広がった生活圏の経験をした後にやってきたのが老化です。江戸時代などでは、一生をその地域で過ごす人が殆どでしたから、今から見れば極狭い生活圏で過ごすことには何の不満も感じなかったと思うのです。しかし、多様な移動手段によって、広げてみた生活圏は、老化と共に縮小して気づいてみると、地域という生活圏までも見つけられなくなってしまっていると言う事が今では起き始めています。車は便利ですが、維持するためには、場所もお金も掛かります。車社会は、都会よりも田舎では大きいのに、車がなくなった時の対応は実は何も行われていないのです。車社会だと言って、無くしてしまった公共機関としてのバスも、店も、往診してくれる田舎の医師も、近所づきあいも、みんな生活圏外に押しやってしまいました。バリヤフリーなどと言う配慮された道路を整備することも出来ない田舎の自治体に、自治体の範囲を超えて拡大された生活圏の配慮を求められても先送りばかりです。

 移動手段で生活圏は大きく変わりました。しかし、移動できる範囲が生活圏だと勘違いしたことが、自分が行けるところで自由に暮らすことになりました。そこには人と人の結びつきの薄れた、点と点を結ぶものでしか無くなりました。面の移動手段の時にもっていた生活圏ではないすけすけの生活圏に暮らすことになったのです。結果、移動手段でしかなかった自家用車を手放すことで、自立生活を維持できない人が出てくると言う事が発生してきました。老人施設は、何年待ちという事態がこれからも続きます。その、原因の一つに生活圏の拡大が、空洞化を招いたことにもあると思うのです。地域、地域と言っても自由な移動が可能ではない地域での結びつきは、やっぱり点の付き合いの範囲だと思うのです。面としての生活と移動が結びついた、生活圏について考える事も必要だと思うのです。