知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

動揺する善人が一番危険の話

    何番もあるバスターミナルで、一つの番号に、14~15人も一列に列ぶと次の番号のポールまで越えてしまうことがあり、慣れていないとどこに列んで良いか迷ったり、列その物が大丈夫かなど不安に駆られるものです。駅などのバス停の始発などでは、降りる人の為に若干広く出来ているのですが、そこを突いて、突然、2列に列ぶ人が後からやってきました。列んでいる誰もが何をしているんだという目で見ているのですが声に出して言える人はいず、列んだ方も既に列んでいる人の視線など全く気にしません。少しすると、知ってか知らずか、その後に普通に、後から来た人が整列して列ぶと、列は初めから2列だったかのようになってしまいます。そうなると初めの列の十番目ぐらいの人達が動揺し始めます。ずるい人達を攻撃する力もなく、自分が真面目に守ってきた整列の順番という暗黙の権利が、隣に2列目が出来たことにより、後から来た連中によって、自分の順番が後になってしまうと言う不安が出てきたのです。怒りとしての2列目を作ったやつを見ながら考えて見ると、今なら2列目に移動した方が、今の位置より数人分前になるかも知れないと言う、計算が出来てしまいます。それは、2列目に移ることで、一列目の順番より前になるかも知れないという誘惑です。本当は、2列目をつくって割り込んだ人よりも後になるのに一列目で列んでいる人より前になるかも知れないと言う誘惑が、本質としての勝手に2列目を作ったやつへの怒りより、自分が如何に有利な選択をするかに変わっていくのです。初めに割り込んだずるい人間の行為を、認めてしまう行為だと言う事が分かっているのに、自分が損するかも知れないという、不安の方が、大きくなっていくのです。ズルは許さないと言っても、自分が当事者になって注意するなんてとても誰にでも出来ることではありません。ただ、ズルする人が行う誘惑に、自分の不安から乗ってしまう人もいると言うことです。

 人は、みんなが同じルールで、同じ行動をすると言うことを前提として自分の行動を律しています。そして、自分に直接関係なければ、ルール違反には厳しい判定をします。しかし、現実の社会では、ルール違反をしたところで万に一つぐらいしか罰せられることはないのです。確かに有名人が割り込みなどしたら社会的に罰せられるかも知れませんが、一般庶民の中内では迷惑な人は、迷惑な人のままで痛い目になど遭うことなく生活しているのです。その、原因はルールを支えているはずの善人が動揺するからだと思うのです。列に並んでいるとき我慢できることと、前に割り込むことが出来る裏技があると言われた途端にそれがズルでも容認してしまう弱さとが同居しているからです。それは、みんなが我慢しているなら仕方が無いが、実は我慢していない人もいると聞いたときに自分もそっちの側だったら良いのにと正義が動揺してしまうからです。そして、そういった善人の動揺を誘発する方法で社会は、動いていると言う事です。「そんなのありなの」と思えるやり方が、突然始まり、それを普通にしてしまう方法で、初めにあった本当の怒りを、すり替えられてしまうような、誘惑と動揺が、巧みにしかれているからです。