知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

谷間の宝の話

   谷も、沢も山の一部ですが、谷間の小さな村は、ありますが、谷間の大きな村はありません。同じように、沢の小さな村というものもありません。山の尾根に対して、くぼんだところが、谷であり沢ですが、地名としては、西日本では、谷が多くて東日本では沢と言う事が多いようです。そして、谷の上部尾根は、社会的に使われませんが、谷は、景気の谷間とか気圧の谷間とか、福祉の谷間とか、活動が停滞し、沈んだ部分の例示に使われます。沢はこういった使われ方はしません。また、谷と沢の説明として、農耕を主としない縄文人は水源の確保と居住の安全性から高台に暮らしたので、身近な「沢」を使い、平地に農耕をした弥生人は、遠い山ひだを「谷」と呼んだというものもありますが、定かではありません。現代的にも、都会の谷間に生きるとは言いますが、地名以外に沢を当てるようなことは見られません。なぜ、谷はこんなに暗く表現されるのでしょう。しかも、谷には、鬼が住んでいたり、落人が住んでいたり、修業者が住んでいたり、山賊が住んでいたりします。日本の宗教観では、山はご神体で、明治になるまで宗教的意図なく、登山することはなく、一般の人も入山は特定でした。そのご神体から流れ出る水は、生命にも農耕にも欠かせないものです。谷の状態によっては、鉄砲水で谷の村がなくなったという昔話が木曽などの山岳地ではよくあるように、上流の水害は下流にも大きな被害をもたらします。谷は、動物の水飲み場として狩猟でも重要ですし、川魚や山の幸が実るところでもあります。そんな大事な谷を、何故、人を寄せ付けないようにし、厳しいところとして表現したのでしょう。農地としてなら、段々畑だって、棚田ということだって可能です。しかし、積極的な開発はせず、人が立ち入らないような停滞したところだと印象付けし守ってきました。それは、水源は全ての宝だからです。山そして、山から出てくる水源の水路である谷は、森の出口であり宝だからです。

 もし、谷で、水源が汚染されれば、下流の村など全滅してしまいます。命の水は、こうして守られてきたのです。日本人は、水をただだと思っていると批判する人もいますが、日本人は日本人のやり方で、水を守ってきました。谷間を滞った暗いところと思わせて、実は谷間には宝が密やかに生きているのです。谷には、湧き出る水があるのです。都会の谷間に生きても、人生の谷間に遭遇しても、仲間の谷間に落とされても、そこには湧き出る水があります。谷間こそ、尾根へも、平地へも出て行くことの出来る場所なのです。