知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

商品販売の為の話芸の話

 日本には、広報活動としての話芸というものがありました。中でも大道芸というのは江戸時代に繁栄するのですが、門付(かどづけ)芸、見世物小屋の呼び込み芸、物売り(香具師)の芸などになり、それぞれに発展し、それぞれに消滅しました。例えば、万歳(まんざい)や獅子舞、ごぜなどの門付け芸や、琵琶法師、虚無僧、説経語り、大道講釈的な話芸も無くなりました。近年まで残っていたのは、商品を販売する物売りの、呼び込み口上、蛇の締め口上、易者口上、などがありましたが今はもうありません。香具師と呼ばれる露天商も道路交通法や公園の使用法、薬事法そして不衛生と言う事でどんどん閉め出され、屋外での商品販売が出来なくなりました。最近のお祭りでは、飲食店が殆どで話芸を必要とする出店を見ることはありません。商品を売る話芸は、誇大広告だましのテクニックでもあり、祭りの娯楽でもありました。ガマの油売りは、油を売るためにその効能を自ら刀で腕を切って治してみせると言う事ですが細胞の再生を考えれば絶対に嘘に決まっています。それでも口上から始まって種のある腕切り、出血、塗布、傷跡も無く回復と言う長い演技時間、子どもは前で大人は後ろで延々と聞き入っていたのです。殆どの大人は、ネタも分かっているのです。つまり日本の話芸は、ネタも筋書きも分かっているのに引きずり込む強さにありました。日本の話芸は、過程の演じ方が大事で、不意を付いたり、予期しないことや思いがけないことだけを連発する芸とは、違っていました。落語もオチは既に分かっていますが、そこへ至までの演者の個性を楽しみました。歌舞伎や能などの舞台芸でも同じです。演者が重要でした。商品販売の話芸も演者の話芸に引き込まれて催眠状態のように商品を買ってしまうのです。だましのテクニックなのですが、詐欺のテクニックでは無いのです。話芸の世界なのです。これだけの芸を見せられたのだから、代価として一つ買わなきゃ悪いかなと思わせる話芸の世界です。騙されたとあとで怒り出す詐欺とは違います。

 この話芸を楽しみ、支えてきた庶民がいなくなりました。テレビ文化は、川の上流の如く、次から次から流れ去って行く、流行と言う事を好みました。それは、商品が次から次へと売れ、回転することのために広報宣伝費として芸を購入していたからです。全国に一度に一斉に広報できることのメリットは、回転が速くなければならなくなりました。結果として、ネタバレと言う言い方で、反復的な話芸は減少します。それは一方で、飽きっぽい視聴者を作ることでもありました。今では、話芸で商品を売ることは極少数となりました。見世物小屋香具師も消えていきます。一方で、スピーチやプレゼンの手法を学ぶ講習が、まことしやかに開かれています。話芸を楽しむことが無かった人達のために。