知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

少し前の座席の話

 知らぬが仏という言葉があります。知れば反応することでも、知らなければ何も感じないし表現もしないと言う事であったり、本人だけが知らずに澄ましている様子を、あざけって言う場合もあります。電車の座席は、次から次から回転して色々な人が座りますが、空いている席に誰が座っていたかは次の駅で乗り込んできた人には分かりません。空いていればラッキーと思って座る場合が普通です。座席に、洗髪していないと感じられるぼさぼさの長髪で、若干の異臭、重ね着した衣服の汚れがひどい方が座りました。汚れた紙袋に入れた大きな荷物も3袋ほど持っています。次の駅で、横目で見ていた両隣の人は立ってしまいました。立っている方が増えてきましたが、その一角は空いています。その方が、降りてしまっても立っていた人は座ろうとしませんでしたが、乗り込んできた人が我先に座りました。過去にはレストランでの食べ残し食材の使い回しが話題となったことがありました。目の前でのことなら拒否することでも、ちょっと時間差があったりするともう過去となったその情報は知りませんから、自分が見たときの情報で判断して人は行動します。

 状況は、同じでも、知らなかったら受け入れられることも、知ってしまっただけで拒絶することがあります。しかも、日常生活では、即座に判断しなければならない情報ばかりです。視覚に入った空座席情報にぱっと反応できなければチャンスは失われますから、分析なんてやってられません。つまり、生活の中では即断しなければならない事象の方がはるかに多くて、その判断が生活となっています。当然失敗もあるのです。でもそれは知らなければ失敗とさえ気づかないことが一杯あるのです。気づいてしまった失敗に惑わされずに、今座ったこの座席は知る人ぞ知る禁断の座席だろうと、そんなことは知らないと居直るぐらいの勢いで座り続ける生活しか無いのかも知れません。