知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

技術は淘汰される話

 日本の伝統文化工芸には、一子相伝と言う事があります。一つの技能を家族の一人にのみ伝え続けていくという秘伝と言われる技能です。一方特許と言う事があります。特許を取って莫大な特許権をなんてことは誰でもが憧れたことです。しかし、特許と言うのは作り方から原材料まで全部公開すると言う事ですから特許期限が過ぎれば秘伝が公開されてしまいます。ですから誰にでも真似が出来てしまうような内容ならばアイデアとして特許を取る必要がありますが、簡単に真似が出来ない物は逆に特許などは申請しません。さらに、日本には、技能は見て盗めなどと教えないという指導法があります。師匠の動作から製品が出来るまでを見ることで、製法を盗み取れというものです。この様に、日本の技術は、「わざ(技)」の世界で、製品には「こころ」が宿る世界なので素人には理解出来ない世界で、玄人が分かれば良いという考え方でもありました。その頂点的なのが宮内庁御用達などという物でした。しかし、どんなにすばらしい製品でも需要が無ければ不要の技能です。結果として一般受けしない物や受注の無い製品は消滅していきました。例えば日本刀。今日美術工芸品としての意味はあっても、実用としての需要はありません。 戦争が無い江戸時代には、試し切りとして死刑になった囚人を切ったりして切れ味を確認していましたが今ではそんなことも出来ません。すると、刀の本来の目的である武器としての性能を確認することは出来ませんから置物としてしか意味が無くなります。そこにどんなに心が宿っていると言ったとしても。

 歴史の中に消えていった技能など数えられないほどあります。無くなったことさえも誰も気づかない技能もあります。再現したくても生活の変化で失われた技能は同じものなど再現できません。例えば、石の矢じり、実証考古学で現代人が作ると何十分もかかりますが、ニューギニアで石の矢じりを使っていた民族は数分で作ったそうです。伝統であっても、現在進行形と仲良く出来なければ消滅します。それは迎合することでは無く、生活に適合することだと思うのです。