知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

カラスは狡猾だという話

 人間の長い歴史の中でも、身近にいた鳥獣がいます。しかし、今身近な鳥獣と言うのは、ペットの犬か猫に限られようとしています。と言うは、身近にあった自然に関心が無くなっているからです。例えば、「すずめ」最近見てないなーと思う人はまだまれですずめ見たこと無い人もいます。だから鳥を見たら野鳥と言います。たんぽぽなら見て判るけどあとは雑草かな程度の知識は普通です。樹木でもいちょうは当然としても、椎だとかクヌギなんて言われたら全部「木」でおしまいです。私たちは親しいときには、名前で選別して呼びます。ですから、散歩しながらも、四十雀だとか、ヒヨドリだとか名前で個別化して言えるはずです。ところが、今身近にいる鳥も植物も選別できる人が減っているのです。それは、身近だけど話題には乗らない対象になっているからです。「蛙が鳴くからかーえろ」などと言う事の実感は無くなっているのです。何の葉では無く全部葉っぱそれだけになってきています。

 名前も知らないぐらいですから、その個性を知っていると言う事はありません。だから、誤った噂を聞いても信じてしまいます。江戸ぐらいまでは、カラスも身近でした。江戸前は戦争が頻繁にあって死肉を食べることがありちょっとイメージ悪いときもありました。明治天皇が亡くなった頃より喪服は西洋風に黒となるのですが、このあたりから一気に部が悪くなります。縄文時代より前からカラスは黒でした。四十雀という鳥は遊びが上手ですが賢いとは言われません。ところがゴミをあさる黒いカラスは、気味悪く、賢いので、ずるいやつ狡猾だと言われています。人真似をするインコがあまのじゃくとは言われません。つまり、人間にとって都合の悪い自然は、みんな悪役にされてしまうのです。それでもみんなが個性を知っているときは、何言ってるのと広がりませんが、みんなが知らなくなればなるほど、へぇーそうなんだと信じてしまうのです。そしてその印象が、困った害鳥、困った樹木と言われたら、駆除しても良いんじゃ無いと簡単に賛成する根拠になって仕舞うのです。