知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

森の群れは絶滅した話

 日本の、オオカミは稲作を害するイノシシや鹿などを捕食すると云う事で、神として祀られたりしていました。だから昔話にヨーロッパのように悪役としては出てきません。でも、森林が沢山ある北海道の蝦夷オオカミさえも絶滅しました。オオカミと同じように肉食のキツネは今も生きています。人に恐れられると云う面では同じの、ツキノワグマも絶滅してはいません。利用価値としてはキツネも熊も毛皮があります。オオカミの毛皮が価値あるなら犬も毛皮にされています。鶏を襲うというなら、キツネやテン・イタチの方が危険です。利用価値もそれほど高くない、危険度も同じ程度なのに何故オオカミだけが絶滅したのでしょう。それは、群れの恐怖からだと私は思っています。1匹の野犬に出くわしたのと、5匹の野犬に出くわしたのではその不安感は比較にならないほど増大します。単独行動なら、一匹ずつ潰していけば良い。群れは危険だは、管理する側の普通の考え方です。草原の群れなら管理は可能ですだから群れを作っても鹿は絶滅していません。しかし、森の群れは危険なのです。

 人間社会との接点で、同じ危険に対しても、単独と群れではその対応は大きく違っています。明治という人間社会の動揺時に絶滅した動物は他にもいます。人間の不安と利害で絶滅した動植物を辿っていくと小心な人間の恐怖と残虐性が見えるのです。