知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

なぜ逃げられないのかの話

 比較検討が出来なければ逃げるという判断は出来ません。例えば虐待にあった子どもの報道があったときに、どうして逃げなかったとか、相談しなかったなどと云う人がいますが、一つの環境に生活が埋め込まれていると、どうなるか分からない別の環境へ逃げると云う事は考えつきません。それは、大人でも同じです。負けるな負けるなと教えられていると他者から見ると最悪の環境でも本人の中では加害者からの受け入れがあるまで頑張ろうとするのです。何故なら、逃げる訓練と逃げることの正当性を教わっていないからです。逃げるの前提が負けたからです。逃げるは負けたからでは無く戦略として優先するからだと云う事を教えられていないからです。人は、自分の環境を選べません。その環境から逃げるより何とかしようとします。その時、自己防衛力の大小が大きく関わるのです。ストックホルム症候群などという簡単なことでは無く、戦略としての戦術としての、自己防衛としての撤退・撤収の学習が本当は必要です。

 立ち向かっていくばかりの方法しか教えないようになったのは、戦う人をみて興奮する訓練を受けてきたからです。兵法には、いかにして逃げるかが最重要に書かれています。徳川家康の伊賀越えが無ければ徳川政権もありません。そんな事例は沢山あります。逃げなかったのかでは無く、逃げられなかった自己防衛力育成の課題だと思うのです。