知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

賛成という反対者の話

 全員賛成は危ない、反対もいてこそ話し合いの価値があるとも言われますが、賛成と声高に叫びながら、その条件は事業破壊と言う企みを持っている人が紛れていると結構厄介です。反対者は、その事業が差し止められないと知ると条件闘争としてどこまでなら自分たちの意志が反映されるか真剣に交渉しようとします。しかし、賛成と叫ぶ反対者は最後まで差し止めそのものを狙い続けるのです。そんな分かりやすい事例が身近に起きました。障がい者グループホーム建設に関わっているのですが、そもそも障がい者差別禁止法では付帯決議として設置に当たり地域住民の同意は必要ないとされていますから、建設に当たって地域住民説明会を行う必要もない事は明確なんですが、行政は申請書の必須書類に、説明会の開催と議事録の要求をします。この時点で行政のルール違反と抗議しても良いのですが、申請書類不備で受付さえしてもらえなくなります。やましいこともないのに、手続き不備では悲しいので説明会を開くのですが、こんな時代に反対なんか中々出来ないのではないかと思う人がいたなら大間違いです。障がい者の親がそこにいたなら、涙流すような言葉は溢れかえります。「女の子が住んでいる」「通学路にあたる、子どもに何かあったらどうする」「障害者の施設が出来たら、地価が下がる」「怖い」「建てるにあたって、誓約書を差し出してもらいたい」なんてことは普通に出ます。そしてそんな言い方は差別に当たるから止めてほしいと事業者が言うと「被害者意識は止めていただきたい。弱者の恫喝になる」と反撃されてしまいます。反対者は、そんなことを言いながら「近隣住民と上手く付き合えないと、住むことになる障害者に罪はなくても、恨みを買うことになりますよ」と恫喝もしてきます。何せ、喧嘩を売られても買うわけにはいきませんから、我慢するのですが、賛成と言う反対者は、決してこの様な差別的発言を注意するどころか、障害者を擁護する言葉を発することもありません。そして、人権問題とならないように私は賛成ですと言いながら、障害者が暮らすには酷いところだと地域の欠点を並べ立てるのです。中でも、渋滞や交通事故等の危険に会うという余計な心配を得々と語り、障がい者の事を考えるとかわいそうだぐらいに宣うのです。それだけではなく空気が悪い、ゆったりとしていないと言い出し、川向うの田んぼの中にも物件はあるし、この土地はこの素晴らしい計画を実行するために相応しい土地ではない事は住民だからこそ分かる理由があると言い出すのです。そして、皆が普通に生活している場所をなぜ選定したのかと障がい者がそこで暮らすことは普通の生活が失われるぐらいのそれこそ被害者意識丸出しにするのです。賛成者と言う反対者は、何を言っているかと言うと、施設を作ることは賛成だ、必要だ、良いことだ、でもここは障がい者には向かない場所だから、設置することは、障害者も地域も被害者になるというのです。さらに、事業の理解をして欲しいと訴えておられるが、事業には賛成で理解もしているのだから、事業者も住民の気持ちを理解していただきたいというのです。結論として、この計画は、障害者のためにならないし、近隣住民のためにもならないと言うのです。総論賛成各論反対者が全体を潰すように、総論としての福祉には賛成だが各論としての障がい者施設の設置場所は他にしてくれと言う事です。何故、俺たちが犠牲にならなければならないんだということでもあります。ここには、施設を設置する側が加害者で、地域は被害者だと言う意識が明確にあります。皆が普通に生活している場所に突然の不幸が降りかかってきたとしか考えていません。そして賛成と言う反対者は、自分たちこそが障がい者を守ると言うかのように、敷地や建物の設計図にまで要求を突き付けて、計画を断念させようとするのです。建築基準法と専門的支援者と資金力で検討したものに対して、障がい者の生活など知らないと公言しながら、間取りにまで口を鋏んで、狭いからダメだと言い出すのです。とにかく嫌だからの組み立てですから、どんなに説明しても同じところを繰り返し、結論を出させないことで遅延を誘い結果としての断念を狙うのです。反対としての作戦ですから、一概に悪いわけではありませんが、はっきりと反対と言う人よりはずっと狡く立ち回りますので言動には大いに警戒が必要です。子供から大人までが暮らす普通の地域であるのに、ここは危険だの繰り返しや、事業者が交通等では支援して利用者は守りますと言うと、住民は守ってもらえないのかと発言するのは、障がい者が加害者になると暗に示唆しているとしか思えません。そんな、賛成と声高に言うから一生懸命譲歩対応しても、次の無理難題を繰り出してきます。そんな賛成者の事業つぶしが繰り返されても、設置する方はただ我慢するしかありません。何故なら、それでも10年前から比べたら少しは良くなっているからです。