知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

宗教は支配関係で成り立っているの話

 ネアンデルタール人は家族単位で生活し、我らの祖先は複数家族の連合体として生活していたことが、生き残った主たる要因ではないかと言う放送を見て、なるほどと感心していたら、ダメ押しとしてその連合体を結びつけたのが原始宗教ではないかというところでまたもや引っかかってしまいました。確かにどんな小さな社会にも、宗教があって、世界の密林の中の部族もシャーマンがいて儀式があるというのは事実かもしれませんが、そんなことまで宗教の始まりとするのは、無理があると思うのです。例えば、埋葬と言う儀式は人類しかしませんが、なぜ埋葬するのかと問われると現代の人は、葬式仏教と言われるほど埋葬が宗教儀式として行われている事にしか接していませんから、宗教的なものと推測しがちです。でも、実際は、単なる死体の処理方法の一つにすぎませんから宗教などなくても出来ることなのです。死んだということは、生命体としての活動は絶対に出来ませんから、他の動物に食べられないように土に埋めても腐敗して原型は留めませんし、乾燥させてミイラにしても死体が変形するだけで、復活はありません。つまり、3万年も前の埋葬遺跡から、人間は死んだらどうなるのかと言う事を考えていたのではないかと言う事を、推測することには異論はないないのですが、埋葬が原始的であるとは言っても宗教的な成立を証明するとは言えないと思うのです。そして、その埋葬の儀式を初めとして儀式が複数家族を連合体として結びつける共通の要素を含んでいるので原始的宗教の始まりの大きな要因だったということには疑問があると言えます。何故なら、人間は死んだらどうなるのかと見えない世界を推測する前に、目に見える実感として先祖の事を考えると思うのです。それは、自分の前に親がいて、親の前に祖父母がいるけれど、一体どこから来たのか。我らはどこから来たかと言うことが死んだらどこへ行くのかを考える事前に考えることだと思うのです。ですから、どこの民族にも、どこから来たかの伝説が残っていて、死は、そこへ帰るということが多くあります。その様な考え方では、埋葬の儀式は、帰るためのサポートにすぎず、その方法は様々で宗教的要素はなくても出来ることです。死後の世界はあるのかと言う疑問に答える形で宗教的要素が付加されていくものと考えられますから、家族の連合体を構成する主要要素に宗教の芽生えを考えるのは片寄を感じざるを得ないのです。むしろ、家族が連合体として活動するようになったのは、学習能力によってだと考えた方が分かりやすいと思うのです。つまり、食糧確保の狩りをする上では多人数で鋏うち的だったり、取り囲む集団戦の方が遙かに効率的だということの発見とボス的要素が薄かったからと思うのです。縄張りを確保して家族単位で狩猟していても生活が出来る何万年ものネアンデルタール人生活様式では、強い雄の元家族で暮らすことが安定した生活であったと思われます。ところが地球規模での気候変動などが大きくなると縄張りの中での安定性が失われます。動物が少なくなれば狩猟は難しくなりますし相手の反撃による損害も大きくなって、家族単位での狩猟に適した人員が減れば尚更食糧難になります。動物で考えると、単独で狩猟する力が強いトラが集団で狩猟をすれば確実なのにトラは集団を組みません。ライオンは、グループで狩りをします。オオカミは家族単位で暮らして集団で狩りをしますが、複数の家族が連合することはありません。しかし、分配になれば人数が多いほど不利で余程多量の収穫がなければ集団の意味は失われます。トラは、仕留めれば全部自分のものですが、ライオンやオオカミは上位の者から食べますから下位の者は十分に食べられるほどの収穫がなければヒモジイ思いをしなければなりません。一方、多人数でいる方が、防衛と言う意味では敵対する動物や相手に対しては有利です。肉食動物に襲われる心配も多数で暮らしている方が有利ですが、その人数を養うだけの収穫がなければ集団は維持できません。つまり、精神的な宗教の儀式よりも現実的な生活の維持のために家族単位が適切か、複数の連合の方が適切かの選択を、気候変動と言う大きな変化によって試され、一匹ずつ吊り上げる竿方式よりも、一網打尽にする網方式の方が、有利だったとしか思えないのです。そして集団での狩りには、合図から作戦からと打ち合わせや役割分担が必要になってくることから縄張りを維持してきた強いボス同士では、どうしても出来ないと思うのです。我らの祖先は、君臨するボスの元ではなく、調整型の雄の集まりだったから役割分担が苦にならなくて適応していたのだと思うのです。そして、連合体の気分を盛り上げるのが儀式で、儀式の進行は体力で最上級者でなくても可能でそれがシャーマンであったとも思われるのです。宗教心を持っている人には、集団の心のつながりとしての宗教を意識するのでしようが、我らの祖先が何万年と続けた複数家族の連合体には、原始であったとしても宗教よりも生活の利益を共有するための儀式が優先されていたと思うのです。リーダー的存在も、リーダーを権威づける儀式も必要ではあったと思うのですが、それが宗教の芽生えとは言えないと思うのです。宗教を信じる人にとっては、人間が集団を維持している根底に宗教を据えたいと思うのでしょうが、宗教は権力者に利用されたり、宗教自身が権力者に成ったりと決して人間の良心であったわけではありません。自然に対する畏敬は、自然の中で暮らしていた人類には当然のことで、死への不安も死後の世界もそれほど意識されたものではなかったとしか思えません。3万年前の埋葬された遺跡に、宗教性や死後の世界感があったとも思えないのです。つまり、日本で言えば、縄文時代の人が何を考えていたのかさえ分からないし、遺跡なんて偶然そのもので砂浜の一個の砂金ぐらい珍しい価値はあっても、それが一般的とは言えないのです。しかも残っているのは形があるものの一部であり、生活の実態の100%はわからないのです。言語に関していえば、完全に分からないのです。例えば、人肉は食べないというのは現代の感覚ですが、死ねば食料になったとしても何の不思議もない事です。近親婚も普通にあったでしょうし、雌と雄としての成り立ちでは特別なルールはなく普通の哺乳類としての反応しかしていなかったと思うのです。だから、宗教の発端ともなる死への不安とか、死後の世界への不安は、自然との関係よりも、人間同士の戦いの中にこそ必要となったと思われるのです。3万年も前に埋葬された遺跡が見つかったことは実に素晴らしいことだけれど、そのことから宗教の存在を語るのは、無理があると思うのです。