知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

学校から体育をなくした方がいいの話

 独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)」の災害共済給付制度には、全国の小学校、中学校、高校、幼稚園・保育所などの児童・生徒らの約9割が加入していると言われていることから、このデーターを国立研究開発法人「産業技術総合研究所産総研)」が14~16年度の約322万件を分析したという記事が出ました。その中では、国が対策を示した後も、児童・生徒らが命を失い、重い障害を負う事故はなくせず、且つ同じような事故が毎年繰り返されていると結論づけています。記事によると、事故は年間平均で小学校と中学校で各37万件、高校26万件、幼稚園・保育所など6万件が起きており、校舎内(教室、廊下など)21万件に対し、主に運動を行う校舎外(運動場、体育館、校庭、プールなど)が68万件と3倍起きていて、学校外の(通学路など)も16万件あったということです。JSCの災害共済給付制度では、医療費総額5千円以上のけがや一部の病気に対し、4割分が支払われる方式で、大半は給付額1万円未満の軽い事故となっていますが、1万円以上の重い事故が1割強の13万件もあるということです。事故の原因についても、小学生では、授業の合間や放課後などの休憩時間に遊んでいる時が半数近くを占めて子供なのでなんとなく仕方ないのかと思うのですが、次に多いのが授業中で、その大半を体育が占めるということなのです。中身も、跳び箱の着地の失敗や、マット運動で首をひねるなどは、あきらかな人災と言うべきことです。さらに、中学、高校生になると、運動部の部活動が半数を超えて、部員数が多いバスケットボールやサッカー、野球、バレーボールなどで事故が目立ち、重い事故は柔道やラグビーなどの体をぶつけ合うスポーツとなっています。事故は、学年が上がるにつれて増え、中学2年がピークとなり、部活動を引退する中学3年で減り、高校1年で再び増え、命に関わることもある頭のけがは1万2千件以上あるということです。この状況から見ても、学校の体育の在り方に問題があることは明白です。その論拠として、体育の授業の跳び箱事故は1万5千件も(中学・高校も含むと2万件余)起きていますが、跳び箱を飛べることは社会では何の役にも立ちません。日本の体育は、中央集権国家を建設するための青少年教育の意味で用いたことが始まりで、軍事教練がその伏線にありました。その意味では既に、徴兵もないのですから、スポーツは教育ではなく、余暇の選択でいいと思うのです。体育関係者を含めて、子供たちは体を動かすことが好きだとか、体操は子供たちの人気ある教科だとか言っていますが、それは体操好きな大人の思いこみでしかありません。ですから跳び箱が嫌な子供に対しても、いろんなスポーツを知るためとか、身体能力を向上させるとか、色んな経験を積むためとか説明しますが、それは、何故算数をやるのと言われたら国語も理科もやるのと同じだと言っているのと同じでなんの説明にもなっていません。身体能力は後天的に努力しても大きく変わることはないのに、クラスみんなが見ている前で一人一人が演武しなければならない体育に、公開処刑だと運動が苦手な子が言ったことがあります。体育とスポーツは既に大きく違ってきています。体育への異なる価値観、異なる視点から見るなら、クラス30人近くの児童に、十分な指導者の確保ができないにもかかわらず、敢てリスクの高い体育を行う必要があるのかと言うことです。体育のリスクを回避する対応は、学校の集団ではできる環境にはありません。子供同士のふざけ合いや、精神的高揚、闘争心、格好、見栄えに対してケアのできる体制にはないのです。この報告書でも、事故の対策後も情報が十分に共有されず、似た事故が繰り返されており、小中学校の授業でのプールの飛び込み事故も、学習指導要領で禁じられた後なのに3年間で計42件あったとされています。体育の授業は、クラス単位で行いますから、技能や能力に応じて配慮されて、行われるのではありません。出来ないから緊張し、緊張するから失敗するのです。そして失敗が事故に繋がります。JSCが結論付けているように、学校の体育では、国が対策を示した後も、児童・生徒らが命を失い、重い障害を負う事故はなくせず、且つ同じような事故が毎年繰り返されているという事は、学校の体育の授業で起きた事故は、人災なのです。この何万件もの事故を見る限り、安全であるはずの学校の授業で障害を持つことになることは健全ではないのです。どうしても、スポーツを体験させたいのなら、地域の中にスポーツクラブを認定し、単位取得が可能なようにすべきだと思うのです。