知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

でん粉人間の話

でん粉は、ほとんどの植物に存在する大事な要素ですから種類も豊富です。身近な、トウモロコシから抽出するとコーンスターチ、じゃがいもだとばれいしょでん粉、さつまいもだとかんしょでん粉、キャッサバを原料とするとタピオカでん粉などありますが、日本では、8割がばれいしょでん粉で片栗粉とも言われて販売されています。でんぷんは水に溶けず、比重も重いので、植物を磨り潰して、水に晒すと底に白く沈殿します。沈殿するから澱粉とも言われています。沈殿物を乾燥させると白色の無味・無臭の粉末となります。その粉末を水とともに加熱すると、でん粉は吸水し、膨潤して、糊状になり、冷却すると、白濁したりゲル化します。でん粉は、現在では、異性化糖や水あめ、ぶどう糖などの甘味料(糖化製品)の原料になるほか、水産練製品、菓子類、麺類、ビールとさまざまな食品にも使用されていますし、錠剤などの医薬品や、製紙や段ボールなどの工業用を含め、その特徴を生かしながら身の回りにあるさまざまな物にでん粉が利用されています。つまり、澱粉は、多くの植物の中に質・量の違いは大きいのですが、どこにでもあって、現代の生活の隅々にまで行き届いた原材料でもあるのです。でん粉の性質と言われれば、熱を加えた糊状の反応が一般的に知られていますが、もう一つの性質は、ダイラタント流体と言う事です。でん粉代表の片栗粉と水を1:1くらいで混ぜ合わせたものを、そーっと流すと、水のように流れますが、これを強くかき混ぜると、ぎゅっと締まって流れにくくなります。グッと掴むと固まり、力を抜き手を離すとドロドロな液状になります。この様な、液体の状態から固体に変化する現象のことをダイラタント流体と言うそうです。ですから、先の片栗粉は、強く握り絞めれば、団子のように丸まっているのに、手を開いて載せただけにすると、ドロドロと流れてしまいます。料理をする人なら誰でもが知っている現象ですが、解説となるとやっかいなのです。何でも、この現象が起きるのは、非ニュートン流体の一種ですとなってくると簡単な説明ができるほど理解できません。ただ、なんででん粉の話をしているかと言うと、最近の人間がでん粉のこの性質に随分似ていてまるで「でん粉人間」といったほうが特徴を適切に言い表していると思えているからです。具体的に云うと、面接等では、無色無臭でそれなりの履歴もあり、個性もある人ですが、何らかの思想信条的なものを持ち合わせている風でもなくて、宗教的な雰囲気も全く感じられないなど、こちらからすると、正に白くて、粉のようにふあっとしていて、何かに染まっていず柔軟性もある感じですから、でん粉の白い粉で、無味無臭な感じなのです。ところが、入職後に組織の在り方や対応方法を水の如く注入すると、初めは吸収しているように見えるのですが、途中から突然に、ダイラタント流体の如く、仕事のことなのに強く推すと、固まってしまい受け入れようとしないばかりか案外簡単に拒絶します。でも、話を世間話的に戻すと、後引くこともなくどろどろと流れてしまいます。世間話ならどこを突いてもタプタプなのに仕事の専門性になると、どこを突いても頑なに自己主張しますしなかなか曲げません。組織を拒否しているのではないのですが、混ざることはあっても溶け込まないのです。一時流行した、自分探しなどと言うような浮遊性もないし案外しっかりしているのですが、保っておくと確実に底に沈殿しているのです。立身出世と言う言葉は既に死後のようになりましたが、過去には、肩書が付くということは職場では大きな意味がありました。しかし、人材不足の今日では、何の努力もしなくても肩書をお願いされるようになりました。就職して1年もしないのに店長になったなんてことも多くあり、逆に肩書を付けられて責任を押し付けられるのなら、いらないという人も増えてきています。そればかりか、福祉の世界では、出来なくても役付けにしてでも辞めさせないことの方がまかり通る時代にもなってきました。組織として、人材育成は急務だと言いながら、実態は「でん粉人間」がだんだん増えて、理念も経験も技能もコーチングしようとしても断られ、普通がいいと言われてしまいます。植物なら誰もが持っているでん粉、今日の人間社会の必需原料として生活の隅々に活躍しているでん粉、どこにでもあって個性も持ち合わせているのに、溶け込むことはせず混ざるけれど何かをさせようとすると固くこだわり、自由にさせればどろどろと流れていく、そしてちょっと目を離していると、沈殿しているのを見ていると、やっぱり「でん粉人間」なんじゃないかと思えてくるのです。