知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

不公平だ、損してるの話

  福祉の仕事では、人間に関わるだけに際限なく業務は広がりますし、嫌な仕事も多くあります。例えば、排泄支援と言われれば当然だと思いますが、障がいによっては、自分の便を撒き散らしたり、壁に塗ったり、する方もいます。そうなった後のトイレや居室や廊下の清掃や介護は、どんなに気持ちの良い人でも楽しい仕事とは言えません。ついつい愚痴も出ますし、負担感も大きくなります。それがさらに、チームの他の人より自分が多いと感じるとなんとなく、不公平だ、損してると思いこんだとしても致し方ないことと言えます。そして、苦情として公平にしてほしいと言い出します。しかし、仕事は、職員に与えられた負担ではありません。仕事が負担と感じてしまう雰囲気や気持ちになりがちな環境にいるなら、問題の整理を初めからやり直す必要があります。仕事は、確かに身心の疲労や困難を伴いますから、仮に仕事に負担感が生じたままで遂行していると、無意識に少しでもその負担を軽減しようと行動し、仕事を減らすことが希望となってしまいます。仕事は、生活費を得るということもありますが、自分が選んだ生き方にも通じています。ですから一般的には、仕事を習得したい、習熟したい、と言う考え方のもと仕事ができるようになって負担を減らそうとします。ところが、その中に自分が嫌悪していることや苦手意識気があることが含まれると、不安と共に負担感を増幅するものとなります。つまり、福祉を利用する方との関わりで成り立つ仕事に於いて、利用せざるを得ない方の症状に負担感や不安感を持ってしまうことになってしまいます。すると、症状や障害の程度が軽度がいいとか手のかからない人がいいという気持ちが本音になっていってしまいます。この様な感覚が強くなると、同僚と自分の仕事の見える部分での量的内容について不公平感を感じてしまうのですが、それは、間違いです。福祉の仕事は、負担の分配では絶対にありません。なぜなら、福祉を必要としている人には、必要な内容そのものが生活と一体だからです。少しの余裕もゆとりもなく支援そのものが最低生活の一部ですから、無ければ生活は成り立たなくなってしまいます。職員の目線で仕事・業務を感情的感覚で、見てしまうと同僚より自分の方が嫌な仕事が多いかなと感じる瞬間は必ずあるのですが、それを不公平と感ずるか、処理の仕方も未然の対応も経験の多い自分の方が習得していると感じるかで仕事の感性は全く違ってきます。福祉の仕事は、交代制が多いので、チーム内では負担を均等に対応すべきではと発言する職員もいるのですが、仕事に平等はないと思います。チームに同質同量の仕事を分配するという考え方は人間相手ではしません。理由は、一人一人違うからです。ローティションは、平等にするためではありません。円滑な、支援提供の為ですから、勤務のローティションに於いて、負担を均等に割り振るという考え方はしません。それに、チームプレーは、集団統制ではありませんし、チームメンバーは、支援の展開を有効にすべきパワーやエネルギーの塊にすぎません。生活として必要な支援を職員の負担の平等のために出来ない人が担当としてやってきたら当事者はとても悲しい思いをします。できる人だから、安心して身心を委ねられますが、できない職員のために身心を硬直させていたなら尚更に職員は負担にしか思えません。対人関係の仕事では、自分ばかりが損してると思うような場面がとても多くて、泣きたいのはこっちだと叫びたい時が繰り返しあるのが実情です。でも、あなたの支援だから安んじて任せられると待っている人がいることも実情です。ですから、同僚と比較して自分が損してると感じる瞬間が訪れたなら、止まって深呼吸して、支援を待っている利用者をしばらく見ていてください。あなたを待っています。