知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

弱さに付け込む信念の話

 民間療法には、様々あって療法やセラピーなんて言い出すと数え切れないほどあります。その多くが、美容、疲労の回復や老化防止、精神安定等々ですが、殆どは、自己体験によって得た確信を他人にも、分けてあげたいと思い込む本人の善意の塊で成り立っていることが多く見られます。しかも、どんな方法でも、体に働きかけると、身体は反応しますから、効いた気にさせることはそれほど難しい事ではないということです。そして実体験として効いた気にすれば、後は押し続けることでそれなりの商売にはなります。人は健康でも、不安と心配をあおり続ければ、どんなに強い猜疑心の持ち主でも自己防衛力が高い人でも、一穴の穴を開けることは、困難ではありません。さらに、古くからの言葉として、老化を防ぐ、若さが保てる、心が安らぐなんて言われると微妙に心が動いてしまいます。そんな不安をあおりながら、必需品でもないのに、過去から延々と商売として続いてきた民間療法も数々あります。健康関連の商売は、よくCМで使われる使用前と使用後の比較で効果があったように見せますが、同じ条件で同時進行でなければ効果を証明したとは言えません。しかし、人間は一人しかいませんから、同時進行で比較する実験は出来ません。また、CМでは、小さく必ず、効果には個人差がありますと防衛線を張っているように、個体による差は、信心の差に等しいぐらい大きい物です。例えば、皮膚。女性は過去から化粧として顔に様々な物質を塗っていますが、老化は確実に訪れてどんな美貌の方でもちゃんと年相応の皮膚になります。それは、単純に皮膚から物質は簡単に吸収されることはないからです。人体を覆っている皮膚は、外部からの攻撃を防ぐ、防衛機能の最前線です。危険な物質、危険な空気に接しても人体に潜入させないために必死に頑張っています。ウイルスや寄生虫も簡単には潜入できないのです。だから、化粧に老化防止剤が入っていようと、皮膚から吸収されているわけではありません。皮膚の薬であっても、強い刺激を与えることで皮膚の活性化を促している場合や浸透圧を利用しますが、浸透するのは微量です。皮膚に働きかけるとは、体温が高い時に、皮膚に冷たいものを当てて熱交換をすることで体温を下げるなどの、刺激と反応という面では効果はあります。それを、偶然でも、過去からのものでも、何らかの方法で使用した結果、その効果を自身で感じたことのある人は、信じ切って他人にお勧めする時も、言葉に自信が満ち溢れてしまうのです。ノーベル賞を頂いた大先生が開発した免疫療法も、数年前までは、疑心暗鬼で医学界では否定的でしたし、今でも怪しげな免疫療法は様々にあります。人間は、虫よけ予防や疾病予防のために体に泥を塗るところから、体毛の無い皮膚に働きかけてきました。それは、体毛がある方が生存には有利な中で、たまたま生まれた体毛のない人類の祖先が森林を追い出され生き残るために皮膚を利用した発汗機能を獲得できたからです。発汗による体温調節は、体毛による保温等の機能より、ずっと高機能なことなのです。動物は、体を動かすと体温が上昇し、体温が高温になり続けると、死に至ります。ところが体毛がない発汗という温度調節機能があると、体温調整がより長時間に亘って可能となったのです。この機能によって、牙もない、まだ武器も作れない人間が、動物を追いかけて相手の体温が上がって動けなくなるまで走り続けることで獲物を獲得できたのです。皮膚を使った温度調節機能を持っていたから、アフリカを出て世界へと散らばって行けたのです。マラソンは発汗作用のある皮膚があるから出来るのであって体毛があったら出来ません。ですから、汗腺を逆流して異物が入らないような仕組みもちゃんと出来ているのです。民間療法の範囲は著しく広くて、エステとか、健康サプリメント、リラクレーション、ヨガ、ストレッチからダンス的なものまで、ありとあらゆる商品やサービスが現代は溢れかえっていますが、人間の体の創りに合わせて利用しないと本当は大変なことになるのです。それに、外部からの作用は、継続的に繰り返されている間しか効果はなく、元へ戻る時には、経過した時間をちゃんと足して戻るものだからです。

 何かしら、弱り目がある人は、誰にでも効くとは限らない療法であっても関心を寄せます。その関心を手繰り寄せるように、信じ込ませる原動力が信念だということも多くあります。そんな信念は、ほかにも方法があったかもしれないとか、副作用や後遺症があるかもしれないとは言わず、これこそが唯一の方法と言いきることで迷いを吹き飛ばしそうとするから危険なのです。そしてその危険とは、これらの療法などでは、「なぜ効かないか」と言いうことを販売者そのものがわかっていないからです。どんなことでも効いたという一方通行は危険なのです。なぜなら、効かないということの中にこそ、効く理由があるからです。薬でも何故効くのかわからないものが沢山あります。その答えを探すのは、効かないという人の中にあるのです。効かない人は切り捨ててしまうような健康療法は、弱り目に附けこむだけの、ただの金儲けだとだからいえるのです。