知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

お家芸ってなーにの話

 スポーツの報道で、ちょっと多めの勝利があるとすぐに、「お家芸」と言ってまるで身内が勝ったように言うだけでなく、上位を維持出来ずに、ちょっと続いて負けると再び「お家芸」がと非難します。元々、お家芸というのは、家元や宗家なんて言う流派に使う言葉で、国家規模で使用すべき言葉ではありません。また、お家大事の時代の言葉で、その時代には、国家と一家を同一視した使用などされてはいません。お家芸というのは、日本の家父長制度としての、「家」を指す言葉です。例えば、廃藩置県なんて言葉があるので江戸時代は、藩と呼んでいたことになっていますが、本当は大名の名前で呼んでいました。日本藩家老東京なんてことはなくて、日本家家中家老東京なんて感じです。つまり、家中心に集まっている集団の得意技がお家芸ですから、日本全国が一家族ということは、中央集権が徹底していなければならず、戦時中の発想です。伝統芸能の場合は、一族郎党が家族として動いているわけですし、戦前までは、他人の集まりであるヤクザの世界でも、一家と言って疑似家族的構成で組織を運営していましたが、その前提は、家長を中心とした家制度の事を指しています。それが日本の封建制度の底辺でもあったのですが、家父長的一家観を戦後捨てて新しい価値観を持とうとしてきた、旧制度を批判してきたはずの、報道で慣用句の如く使用しているというのは感覚の逆行としか思われません。それに、よく考えてみれば、スポーツの世界で、持続的に常勝できるなんてことはあり得ませんから、勝っているのは、たまたまその競技のその時に、人材がそろっていた程度の認識が適正だと思うのです。お家芸などとあたかも勝つことが当然で、負けると国を辱めるなんて感じで当事者に無駄な神経を使わせるような報道は慎むべきだと思うのです。それに、スポーツのルールは国などと言う線引きでは無く、競技者間には共通に認識されているもので、選手の出場に関わる選定や制限を現在では、国を単位にしていると言う事にすぎません。資金や会場、開催を含めて今は、国単位が有利だから優先しているだけで、世界的な規模の企業の応援が有利だとなれば、会社単位になるかも知れません。また、どこかの国に偏って勝利が続くことがあれば、何か事情があるのかと思われるでしょうし、グローバルな競技ではないという事になってしまいます。日本のように、その競技の発祥国だという変なプライドで、その競技に常勝することが発祥国の当然の事と思い込んで強く望むことは明らかな間違いだと思うのです。発祥国の誇りやその競技が国際的に好まれて競技人口が増大する事を喜ぶことと、発祥だから、お家芸だから勝つべきだと思う事は別だと思うのです。勝利者が誰もいないと、随分落ちぶれたな、などと皮肉っぽく言うべき事だとも思わないのです。柔道で考えても、日本発祥だから、日本人しか勝てないということならば、世界としてはローカル競技で良いのではないかという事になってしまうと思うのです。現に、世界にはローカルな競技はいくらでもあるのですから。

 お家芸などと、競技者を無理やり日本人にしてしまうのは、適切だとは思わないのです。その様な意識が、テニスの大阪なおみさんを手放しでは喜べないと表現した人に繋がると思うのです。そして何かあると「ハーフ」と言う言い方も、そこへと繋がっていると思うのです。日本の文化としての伝統芸能は、固有のお家芸ですが、日本国というお家芸など無いと思うのです。そして、そのお家芸を日本人が伝承できず、外国の方が繋いでいる現実を知るべきだと思うのです。グローバルとは、国籍を超えていくと言う事ですから、スポーツのような世界でお家芸という表現は、もう辞めた方が良いと思うのです。