知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

安堵は日本の社会関係の原点の話

 「安堵」というのは、実力者が利権を守ってくれることですから、現在では法によって安堵されているという言い方も出来ます。特に戦国期には朝廷や幕府の権限では利権が不安定になりましたから、軍事実力者が、安堵状なるものを出して、味方を確保したり、相手を切り崩したりしていました。ですから、空手形並みの安堵状も乱発されていました。過去の統治は、優位な強い武力を持つものが発布する法が支配の基本になっていましたから、農民のように代々その土地で暮らしいいる者も支配という面では、支配者の所有物としか考えられていません。しかし、生活する者は、生産の向上や安定した収穫のために、地域での投資や灌漑や開墾、特定産業技術などを支配者に推奨されずとも一生懸命に努力と工夫を行っています。それが少しでも上手くいけば支配したい人には宝の山にしか見えず武力で、既存の支配者を追い出してでも手に入れようとするのが戦争です。「戦のない世を作る為」などと戦国武将が語ったなどと言いますが、それは嘘としか言いようがありません。元々、農民は戦争など好みませんし自分の暮らす土地が永年にわたって豊かであればいいのですから、他国から財産を奪う行為で生活を組み立てません。つまり、日本の戦争は、支配者層の分け前争いにすぎないのです。初めは貴族たちで、後には武士たちに支配層が変わっただけで、ほとんどの国民は平安時代と言われようと戦国時代と言われようと延々とその地に代々暮らし続けておりその地を離れることもごくまれにしかなかったのです。ですから、支配者の交代として負けた武将が切腹しても次の誰かがやってくるという仕組みは続いたのです。その時に、武力で、他の武力から守ってやるという「安堵」状なる高い用心棒代の請求をしていたのです。つまり、武士は朝廷の用心棒だったのですが、支配権を武力による軍事クーデターで乗っ取ることで、平清盛以来、軍事政権が、第二次世界大戦終戦まで日本では続くのです。そうした軍事政権にとって重要な、戦闘員を集めること軍事訓練により強い軍隊を作り出すことには、大きな資金が必要です。戦国時代の前半までは専従戦闘員は少数で、基本は農民の徴集でしたが、織田軍団あたりからは、専従兵士雇用が本格化して、訓練の行き届いた兵隊をいつでも出動させることが出来るようにしました。そのことが、常勤雇用の兵隊を抱えるための財政政策としての商業・貿易などが重要視されて儲かるのならと楽市楽座などを行ったのです。そうしないと軍事費の割合が上がり、公共投資や民生費への投資が減り、一揆や不満の要因となりますから、隣の国へ強盗にいかなければならないというのが実態です。古来武士は、武具などの戦闘道具は自分持ちが基本でしたから、統一した武具にするには雇用主からの配給が必要で、軍団の武器・武具の用意も出来る軍事費の捻出が、覇者の条件にもなっていったのです。軍事政権の鎌倉幕府に、何故参集したかは、武士の面子ではなく、農業経営者や農民である地侍や国人達に、朝廷の権限の及ぶ土地を縮小して、地元の権限を大幅に認める「安堵」を提示したからです。実際鎌倉幕府は、歴史で習う、御恩と奉公の体系と言うのは学者の言葉で、貴族が頭ごなしに生産物を横取りしていく方式から自分たちで耕している土地の収穫を自分で処分する方式を幕府に約束させる代わりに、武力衝突の場合はあんたの味方になって戦争しますということだったのです。より強い集団に所属することで自分の利権を守ってもらう代わりに、上納金を払うことと動員されたなら人員を差し出しますというのが「安堵」という約束なのです。この権利保証と代償との関係が主従関係で、現代では、サムライをかっこよく言っていますが、本当は利権を守るための関係でしかなかったのです。ですから、武士と言っても忠誠心で主従関係が成り立っていたのではなく、代々続いていた土地で生きていくための関係作りにすぎないのです。そうした、「安堵」の考え方が、軍事政権の基本となって引き継がれていくのです。ここには、武士道やサムライなどと言う関係は、初めから希薄で、利権の保障関係でしかありませんでした。それが露骨になるのが江戸時代で、全国の支配関係が固定すると軍事費の負担軽減が行われて、砦や城の経費削減、兵士の削減、軍使用資金の削減などが始まり、主従関係で固く結びついているなどとはとても言えないような切り捨てが行われます。それは大名に対しても同様で、所領の安堵は将軍もしくは主君1代限りで有効で、殿様が死んだり、将軍が変わるたびに、所領の安堵状を貰っていたのです。ですから、主家が将軍より安堵されなければ、お家は断絶して家臣の安堵もなかったのです。つまり江戸時代になると、軍事クーデターが起きないように、大名が軍事費を蓄えられることが無いように様々な対策をしているのです。よく言われる参勤交代もそうですが、そもそもの土地所有権が一代限りになっているのですから抵抗するようだと簡単に潰されてしまいます。お取り潰しが出来たのもこのような関係であったからで、明治維新廃藩置県が大きな混乱なく行われた要因でもあるのです。江戸末期300近くあった大名が自分の土地を取り上げられるのに軍事クーデターも起こして独立騒ぎを起こせなかったのもこの安堵と言う関係にあります。将軍の安堵状は破棄されて、天皇は安堵しないということで決着してしまったのです。この様に約束や契約と言うことよりも、日本では安堵と言うことが重要でした。この感覚が今日でも生きていて、外交でも強い国の安堵状をもらいたがりますし、会社は国の安堵状を求めますし、社員は会社からの安堵状を求めているのです。終身雇用は典型的な安堵の世界でしたが崩壊したことで、日本人は安堵状の発行者を今求めて、混迷しているのです。