知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

父が旅立った話(医療と家族の調和の話)

 父がいよいよ旅立つようだと言うので、何年かぶりに会いに出かけました。晴れ晴れとした空だったので、地上の風景がネットかと錯覚するほどきれいに見えました。ただぼんやりと眺めていましたら、やがて雲が一面を埋め尽くす状態になり、その造形も日常生活がイメージできる感じで何年かぶりに上から見る雲にさらにぼんやりとなっていました。やがてアナウンスがあり飛行機は降下をはじめ雲から出ると、なんと吹雪いている雪景色の中に着陸した。この時期にこんな筈はないと思う程の積雪に驚きながら転ばぬよう気にして歩いて着いた四人部屋の病室に父は横たわっていました。寝ているのかとのぞき込むと、傾眠的だったのか気づくように目を開けました。少し白濁した九十六歳の目にどれほどに見えているのかわかりませんでしたが、笑った気がしました。

 それから、長い時間を一緒に過ごして学ぶことがありました。

 父が何かを言うのですが、入れ歯をつけていないせいなのか、何を言っているのかわかりませんでした。さらに、補聴器もつけていないので、聞きなおしている声も届いているとは思えませんでした。日ごろ介護している姉が来ないと無理かと諦めていましたが、偶然、わかる言葉がありました。それは「水」でした。判ったという喜びに満ちて周りを見渡しましたが、よくある吸い口などが見当たりません。判ったことが嬉しかったので、看護室まで出向いて、水を飲みたがっているのですがと報告するとあっさりと、だめですと言われてしまいました。すでに食物は口から食べていず、点滴で対応しているだけでなく、口の中も荒れていますから水は飲ませないでくださいと言われて、すごすごと病室に戻り、「ダメだってよ」というだけけしかできませんでした。看護師としては、食物を摂取しなくなった時から唾液も十分に回っていず、口呼吸している現状で、口の中は潰瘍による出血と血だまりだらけになっていることや、嚥下もろくに出来ない状態ですから、水といえども、誤嚥して、誤嚥性肺炎になってしまう危険性が高いということなのだろうと取りあえず自分に言い聞かせました。看護師としては、飲んでいいということは、死んでもいいということと同じ意味になってしまうリスクに、絶対に良いとは言えない立場なんだよなとも理解はしました。水飲んで、それで死んだら誰が責任をとるんだ。そうなんですが、家族としては、医師がすでにあと何日も持たないと宣言するほどすでに内臓の臓器は疲弊し心臓の一方の弁は機能せず逆流しているとも言うほど老齢による機能不全が全身に及んでいるということですから既に覚悟は出来ています。そんな中で、たった一つの救いは意識が明瞭だということです。天寿を全うしようとしている父親が、最後に水を飲みたいとハアハアしながら言っています。ここで水を飲ませば旅立ちを早めるかもしれない。それも数日。ここで我慢させても数日しか生きてはいない瀕死の状態。結局、何の足しにもならない習ったことのある終末ケアのことを考えながら、ベットのそばでうろうろする程度しか能はありませんでした。姉が来てみると、「起こせ」と言っていると言って手動のギャッジベッドをくるくる回して少しだけ起こしました。大丈夫かと見ていると案外本人の希望に添えたのか、穏やかな顔になっていると感じていたのですが、その後やってきた看護師は、今日は血圧が低いので頭は下げないとだめですとあっさりと戻してしまいました。医学的には正しい措置なんですよね。そう、ここは自宅ではない医療施設なんですよ。だから、点滴や酸素マスクを勝手に取り外してしまうという悪行を散々行っていたせいで、父は、骨しかないような両腕を、拘束されていました。面会の方がいる時は外してもいいですよと看護婦さんは優しく言ってくれましたが、外したからと言って父には何も出来ないのでは思っていましたが、意外と父は父らしく、拘束を外すと布団を自力で剥いでいました。姉の通訳によると布団が重いからだそうです。なるほどと感心していましたが、体力の落ちている父には湯たんぽが入っていて、外は吹雪の現在体温の低下を招かないように布団は掛けていなければならないというのが看護としてのルールでもありました。そういえばいつか帰省した時これは軽いと購入した羽毛布団を自慢していたなと思いだし、この布団は重いだろうなと再び剥ぎ取る父に父らしさを感じました。むしろ悪いことしている訳でもないのに、剥いだ布団の代わりにタオルケットをかけたこっちの方が看護師が来ると、ポーズとしてちょっと布団も掛けたりして何のアピールしているんだ俺はと自嘲気味になりました。そもそも、ここは病院で、自宅では看取れないのだからということに行きあたります。そんなことしか出来ない不甲斐ない兄と違って弟はとても逞いものでした。何と、10cmにも満たないスプレーに水を入れてきて、父の求めに応じて口に霧水を提供していたのです。しかも、看護師には見つからないように隠れて上手に。

 日本の医療は、今死ぬとしても最善を尽くすが基本ですから、病院に入院させているということは、病院のルールに従わなければなりません。高齢の父の親族としては、明日死ぬなら今日好きなだけ水を飲ませて今日死すともそれも天寿と覚悟は出来ているのですが、それは自宅という環境ならではと考えると食事が全く口から取れない状態で点滴で生きている父親を病院から連れ出すというのも迷うところです。実際、普通に考えたら、人生ではたった2回しかない実の親の旅立ちになんか手助けしたいと思っても何も出来ないんだなと感じました。それから2日後父は旅立ち多臓器不全の体を捨てました。