知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

馬印を今こそ挙げてほしい「社協」の話.

 自治会を通じた寄付金や会費集めは、社会福祉協議会(社協)や共同募金会(共募)、日本赤十字社(日赤)などが行っています。社協も日赤も、組織としては会員となって会費を納める仕組みなのですが会費集めのほとんどを実は自治会頼りりで行っていました。そこに、異議を唱えた人がいて、08年に最高裁の判断で社協・日赤・共募などが一括した集金はダメと言われました。全国社会福祉協議会は、仕方なく判例の抜け道の様な住民の意思が尊重され自治会の決議がされていたなら一括でもいいと各都道府県社協などに伝えなければならないほどの集金マシンだったのです。ここには、自分たちの正規活動費であり、組織としての基本会費さえ自分たちの手では集められず、地域の自治会を集金マシンとして依存してきたことを明確にしました。それを可能にしたのは、日本の自治会が行政の下部組織みたいなものだったことを利用して、社協の理事や評議委員といった経営陣に自治会の偉い人を並べることでした。結果、社協の理念や現場の声はとても小さくなって、組織経営は、自立としての自己資金を如何に集めるかということよりも、行政の下請けとしての仕事を受諾することで生き残る道を多くの社協が選びました。そのため、社協のことを第2の福祉事務所なんて言われることもありあったぐらい、行政が出来ない現場仕事を人件費込みで引き受けて社協は肥大化していくのです。ですから、今日の社協の予算を見ると、委託金や助成金ばかりで、その委託事業先は都道府県や市町村なのです。しかも事業費のおおかたはそれぞれの事業に携わる人の人件費にあてられているのです。そうやって委託事業にばかり手を出しているうちに、本来行わなければならなかった地域に根差した活動はおろそかになって、自治会に任せっきりの会費徴収も自治会の衰退とともに減少していくのです。自治体によっては、社協の事務局長が自治体の職員の出向だったり、社協で働く事務局員の人件費が補助金で、待遇も自治体職員に準ずるというものということも珍しくなくなりました。社協労働組合は下請け業務の経費要求のマシンとなって、民活と言われた時代には、社協も民間社会福祉法人なのに、自分たちが行っていた現場事業が民間福祉法人への移譲対象になってしまったほどです。

 委託金と補助金で運営する社協は、民間といいながら独自の活動を展開する資金をほとんど持たず、独自の人件費も持たないので、社協マンなどと鼓舞しても、実際はやりたいことさえ出来ない組織になってしまっているのです。地域が衰退し、何も言わずに協力してくれた優良会員は、減少し、地域住民との連携の糸は極細になってしまっているのです。実際役所に勤めたつもりの職員も多くなり社協の過去の栄光は、貧しい時代の武勇伝程度にしか伝わらなくなっているのかもしれません。戦後の福祉で社協が活躍していた時には、プレハブの様なところや市役所の片隅にひっそりでしたが、今や一戸建て住まい並みのビルの中ということも珍しくなくなりました。社協は安定した良い勤め口の一つになってしまいました。再び活躍の場を求めて、現状の分析や方向性調査はやたらとやっていますが、しがみつき社協は、自立しようとしていません。介護保険のその前、おむつ一枚から集めて老人福祉に貢献していた社協は、法の整備とともにその存在を失ったように思えますが、世界に類を見ない高齢社会が日本で現れている今日、「逆境にどのように対処していくのか」を自ら見せることが社協の役割だと思うのです。実際、地域社協の中には、自立して、独自に福祉事業を立案したり、地域の福祉振興に貢献している社協が細々とあるのです。議論ではなく、馬印を今こそ挙げるべきです。なぜなら、社協は「逆境の人々の味方」をしてきたのですから、自分たちが逆境の時こそ旗を掲げて自立とは何かを見せるべき時だと思うからです。