知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

翡翠(ヒスイ)の話

 古代の権力に繋がる装飾品の勾玉が遺跡から出てきも、実際はなんの形を模倣したものなのか、何を意味しているのか分からないのが実態ですが、勾玉の原料として最高級品だったヒスイ(翡翠)が、実は、日本産だったというのは、昭和13年になるまで常識ではありませんでした。それまでは、学者が海外産と言い張っていたのです。この勾玉は、宗教的国家だった時の儀式には欠かせない重要な宝石だったのですが、奈良時代以降は、全くただの石同然の扱いになってしまうという不思議な宝石なのです。金なんかは、古代から現代まで続いて価値あるものですし、サンゴやべっ甲など脈々と続いているのにヒスイは最高から普通へ格下げされた希少な宝石なのです。つまり、その時代では希少価値があり誰もが憧れたものも、時代が変わってしまうとそこにあっても他の物と交換したくなるほどの価値がなくなったということです。今風に言うと、過疎地のアーケード街みたいに、そこにはあるのに、商店として開店したいとは思われなくなった店舗。過去に最盛期にはそこで営業していることが地元の名士ででもあっただろう栄光と価値が、その役割を終えたかのように、社会の中での価値も失われたと云うことです。ヒスイは、「玉」とも言われ、身近では、将棋の駒の点のついている玉将であったり、天子(天皇、皇帝)の尊称で使う言葉で、戦後の天皇玉音放送はここからきています。中国でも尊重されていて、秦の始皇帝の遺体もヒスイで覆われていたそうです。また、ヒスイの産出は日本が最古だったとか、日本の宝石の始まりはヒスイだとか、世界最古のヒスイの加工は、縄文時代中期(約5000年前)の新潟県糸魚川だとか、世界最大のヒスイは日本産だとか、本当なら日本びいきの人々によって世界的で国宝的なお宝と言ってもいいぐらいなのにこのことに、国が気づいたのは、2016年9月に日本の国石と認定したことぐらいです。それも大々的に広報されていませんからクイズの問題としてもいいかなという程度の知名度なのです。実際、ヒスイの産地産出は偏っていて、日本の新潟県富山県の他には、東南アジアの一部、ロシアの一部の他はアメリカなどからしか産出しない希少価値の高い鉱物でもあるのです。しかも、日本で祭祀・呪術に用いられたように、アメリカの古代文明とは全く交流などなかったと思われるのにヒスイの仮面が出ていることから、ヒスイは古代の感覚なら誰が見ても呪術的な、魅力的な緑の石だったのかもしれません。中国では、不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられていたようで、秦の始皇帝が、ちょうど縄文時代の後期で日本の高級勾玉ヒスイを見てしまい、不老不死の薬を求めて日本に徐福を派遣したのは、中国では取れない良質のヒスイを求めてきたからかもしれません。

 国家的な行事に使用されていた、勾玉も埴輪も古墳も、政変と共に全否定されて、飛鳥・そして奈良への時間の中で消えていきます。神仏混合という言葉があるように、日本は、神様も仏さまも共存することが出来る不思議な国なのに、古代に栄えたヒスイなどを使用した価値観や権威が突然のように天地替えしてしまうのです。それは、戦後の日本にも似ています。つまり、日本人は、それまで信じていた権威や権力だけでなく精神的な価値観さえも、ひっくり返してしまうことのできる民族とも言えるのです。古事記日本書紀にさかのぼる民族だといいながら古事記日本書紀に出てくる神様や神様の三種の神器(鏡・玉・剣)の一つ玉としてその後も利用しているのに、一切真似ようともしないのです。例えば皇室の神事・行事は古代からの稲作の行事など沢山あるのに、古代の服装や装飾を使用することはありません。どんなにご先祖を敬うとしても、先祖がやっていたことは否定しているのです。薄葬令(はくそうれい)が出て金のかかる古墳が作られなくなったといいますが、古墳はダメでも埴輪や勾玉ぐらい信仰心があれば作れます。にも関わらず地方に至るまで否定されてしまうのです。だから、支配層が丸ごと変わったのではないかという推測も出てくるのです。ただ支配層が変わったとしても、価値観の変更まで簡単に庶民に浸透するのは難しいことだと言えます。でも、出来たということは、一人一人の自立感は弱くて、全体としてふあっとした繋がりで価値観よりも強いものに従うことが得意な民族なのかもしれません。今とは想像もつかないぐらい、呪術的な世界の中で、大切な呪術的な石の価値を完全に葬り去ることのできる力が日本人にはあるのではなく、恐れさえも知らないぐらい自立心が弱いのが遺伝子なのかもしれません。ヒスイは人工的に加工された縄文時代から日本の歴史を見てきた数少ない証人です。