知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

介護依存と非難される時代が来るという話

 来年度には、介護状態を改善すると自治体への交付金が増額されるという話が現実になりそうです。介護依存がはびこって、自立しようという気持ちが薄れ、重度化する例があるので、サービス支援計画段階から甘えを許さず、他人の集まりである「地域ケア会議」で検討して押し付けるというものです。そして、一定の効果が出たら自立支援・重度化の予防に取り組んだご褒美として、自治体に国から交付金が優遇されるということが、今度の介護保険法改正でひっそりと決まりました。つまり、介護保険では、年寄であっても訓練する意欲がないとか、リハビリを頑張って保険のお世話にならないように努力しない人には、自治体から圧力をかけて保険利用を遠慮させようとたくらみです。もともと措置という行政命令だった日本の福祉を財政危機を迎えた時に誰もが利用できる制度にすると言って介護保険を強引に導入したのですから、誰でも使える保険をどのように使おうと個人の問題です。なのに今になって、使い勝手を悪くするだけでなく、使わないように努力を強制する制度へと変わろうとしているのです。その原因は、一にも二にも財政難です。基礎構造改革で、制度を変更するときは、みんなのためだと説明して、みんなが使い始めると使いすぎだと制限するという何とも身勝手な話なのですが、制度を変えた時も財政難が原因だったように、財政という裏付けがない制度は何時も漂流することになる典型事例のように介護保険はなりつつあります。

 ごく普通の人は、介護なんか受けるより自力で生活する方を誰だって選択します。年老いてまで、他人に生活まで指示されたいと思う人はいません。にも関わらず、出来ないことがあるから仕方なく介護保険を使うと、リハビリをしなさい、重度化しないように訓練しなさい、最後は、やる気があるのかと責め立てられることになるのです。この時代ですから、本人に直接そんなことを言うと虐待となりますから、国は、地方自治体、担当者、ケアマネ、施設と言うように関係する人に少しずつ圧を掛けて、回り回って本人を委縮させる方法を使うのです。実際、福祉では地域密着などという旗を立てて、国の負担はどんどん減らし地方自治体に肩代わりさせる方向で進んでいますし、国の負担分に対しても出し渋るような状況も出ています。例えば生活保護では、窓口となる自治体に対して、認可に当たっての精査を強く求めて受給の増加を留めようとしたり減少を促すような事も行っています。確かに、生活保護では、生活保護依存症と言われるような、生活保護から抜け出そうという意識さえ失い、どっぷりと浸かってしまっているという事例もあります。しかし、介護保険というのは、保険ですから使用しないで暮らせるならそれに越したことはないと誰もが思っています。また、使用するならよりよくと活用法を考えている場合もありますが、積極的に介護保険を活用した生活を望んでいる人はごく少数だと思うのです。生活のぎりぎりまで頑張って、恥を忍んで介護保険を申請したのに、自立しろ、リハビリしろ、寝たきりになるぞと脅されるのでは、心まで病んでしまいます。介護保険に、成果主義が持ち込まれることは、やがて福祉全体にも波及し、改善見込みのない人はサービスの提供さえ拒否されることも現実になってしまいます。だからと目先の財政難に振り回されない福祉の在り方を現場が提案しても権威ある先生でないと検討さえもされないのが現実です。多くの人は、福祉に寄与したいと思っていても、福祉で利益を受けたいなどとは思っていません。それでも、年老いて加齢の中で身体機能が低下して介護保険を使うかと遠慮勝ちに決断したのに、もっと遠慮しろと言われる福祉が着実に進んでいます。