知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

有給全部取って辞めてやるの話

 ベテラン職員が、他の職員に吹聴していました。「嫌なことがあれば辞めたっていいんだ」「福祉なんてどこも人手不足で働くところいくらでもある。」さらに「経験があれば御の字で、資格があればもっと良し、どこでも選び放題だよ」その通り。時代は人手不足の真っただ中、福祉施設は、選ぶところか募集しても一件の問い合わせもないと言われています。昔コメディアンのクレージーキャッツが歌った歌の一節に、「・・ひとこと小言を言ったなら、ぷいと出たきりハイそれまーでーよ」と夫婦のことを歌っていましたが、今はそんな歌が福祉の現場の現実です。福祉はサービス業となったとは言え、そのサービスを受ける利用者は、生活の必須要件で、サービスがなければ生命さえも維持できない人もいます。つまり、レストランや販売店、ホテルなどの上乗せのサービスではなく、暮らしそのものを支えるサービスなのです。笑顔は無料といったサービズではなく、人生を支えるサービスなのですが、就職先など選り取り見取りにあると云えるベテラン職員に、目の前の利用者は何に見えていたのでしょうか、恐れ多くて聞くことは出来ません。職員の、退職は手続きさえ踏めば労働法からいっても自由です。だから、福祉施設では職員の離職率はとても高くて、直接支援サービスを受けている利用者は、またかという諦めの中で冷ややかに見ています。私の失敗談である東京都の相談支援専門員の講習、受講さえすれば誰でも資格が取れます。しかし、個人では受講できず、事業所の推薦がなければなりません。事業所が雇用を保証して受講するのですから、現に働いている人や働くことを前提としているだけでなく、既に持っている資格にもよりますが実務経験が既に3年以上、5年以上、10年以上なければ受講さえできないというほど、福祉に関してはそれなりに知識も経験も持ち合わせている人たちが受講します。その講習会で一回に400人から資格を与えているのに、実際に働いている人は、資格保持者の三分の二も実務についていないのです。だから、毎年毎年応募多数で、足切りしなければならないのです。確かに、結婚とか様々な理由で継続できない人もいるでしょうが、開設されている事業所の数から当てはめるなら、順当に、そのまま就労しているなら養成がどこかで追いつくものなのです。しかも、福祉の経験者なのですからその業務も知っているはずなのです。それでもその資格に魅力がないから離職してしまうのです。例えば弁護士、少ないという要請にこたえて司法試験制度を変えました。結果人数は増えましたが仕事の量や既得権の収入は減りました。教員の資格を持つ人は沢山いますが、教員に採用されるのは希望者全員ではありません。福祉に関わる多くの資格は、資格があるなら希望は全員採用されるぐらい有効です。にもかかわらず資格の受講者の足切りをしなければならないのは、就労後にやめていく率が高いから、いくら資格を与えても足りないのです。すでになくなりましたが、ヘルパー2級という資格がつい最近までありました。この制度が出来た時は、受講者が殺到して全国で何万という人が資格を自腹を払って取得しました。そして、就労してみたら、ほかの仕事のパートに行った方がましだと資格を持っていても就労しない人ばかりになりました。

 公務員が足りないということは聞きません。大企業が足りないとも言いません。足りないのは、底辺なのです。労働条件が悪く労働環境も悪い、賃金もよくないそんな現場が人不足なのです。福祉施設を渡り歩く職員は過去にも沢山いましたし、「マンパワー不足」と大騒ぎもしました。しかし、この時も、職員の給与が上がったわけではありません。職員厚生を充実しようなどということがありましたが、結局は大した改善もないままに経過しました。その原因は、福祉の支出の大半が人件費だからです。ほとんどが税金で賄われている福祉にあっては、職員の給与を上げることは、せめて公務員並みにすることをするには、サービス費に転嫁しなければならないからです。東電は、原発廃炉の費用を電気代に上乗せすることができるそうですが、福祉はすでに上限が決まっていて、収入を上げるために何ができるということはほとんどありません。収入は安定しているのですから倒産もないのですから、人が集まりそうですが、収入を給与として分配すると、業務に見合ったような給与にはならないのです。だから、人が集まりません。人が集まらないから、少しぐらい我慢して雇用すると、体罰だったり、人の支援には向かない人が混ざってしまいます。そして、注意すると、叱ると、「有給全部取って辞めます」となるのです。職員数が揃っていなければ今の法律では事業停止もあります。ですから、そこは目をつぶっていれば、見てみぬふりをしていれば基準の数を無理やりでも確保することも不可能ではありません。でも、自分を守れない障害を持つ利用者が、見つめる瞳を逸らすことは出来ないのです。