知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

地域活性化は金儲けだけの話

    地域活性化とか地方創生などということの中身を見てみると、地域の価値を高めるとか、それぞれの特徴を活かした自律的な社会を創生するなどといっていますが、その中身をよくよく見てみると、結局、地域へのお金の流入を増加させることで、人口を増やしたい、若い人に働く場を作りたいということばかりです。だから観光を含めて、「まちおこし」などの言葉の裏には、金儲けさえできれば地域は幸せになれるし元気になれるということに結びついています。それは過去の企業誘致ということでも同じでした。働くところが地元にあったなら人は出ていかず、活気ある住みよい街になるはずとあの手この手で誘致合戦とまで言われたことをしましたが、結果は散々でした。その失敗から学んだことが、外から連れてくるのではなく、地域にあるものを活用するという「地場産業の振興」ということですが、どこも一時期良くても長続きしているところは少なく、衰退する地域の方がはるかに多く見られます。一度住み始めたなら、その土地にどれだけの資産があるのかわかりませんが、しがみついて人が住み続けなければならないものなのでしょうか。人間と野生動物のことでは、人間が野生動物の住む地域へ侵入していくことが問題だと言いながら、一度人間が住んだところは絶対に人間の住むところだと縄張り死守みたいな考え方は、どうなのでしょう。人が住むことが必要なくなった土地は、自然に返すことも考える時代が来ているのではないかと思うのです。

 人間活動は、人間の数と構成が重要です。つまり、人口が多いほど経済活動は活発になり人口構成に偏りがないほど社会活動は活発になります。そのため、人口の流出や高齢者だけの地域は、経済活動も社会活動も低下し、さらなる低下を招くとされ、やがては消滅するという危機感を煽ってもいます。その土地には、資産価値があり、建物にも所有者がいるとしたら、地域が衰退することはそれは損失以外の何物でもありません。でも、その所有権は人間同士の中でのものであって自然との関係での権利ではありません。所有者の生活を支えるものであっても自然からするなら、貸しているようなものです。過去には、その地に生きるために移り住んだのでしょうが、その地では生きることが出来なくなっているから出ていくことになっているのに、金儲けさえできれば、一山当てさえすれば住み続けられると、もがいていることが地域活性化の実態に思えるのです。自給自足 地産地消の生活は、常に右肩上がりを求める経済活動という物流の中に飲み込まれて、外からのものを金で買わなければ生活できない環境に田舎の隅々までもたらしました。ライフラインという電気だって、水道だってみんな金がなければ供給してもらえません。もう、昔の生活には戻れないのですから、今の生活を享受出来るところへ行くしかないのです。過去には、にぎゃかだったのはそのことに適していたからだけで、今はもう適していないのです。そして、地域が活性化したように思える現象が起きても、上納金が入るのは都市で、少しずつ都市に吸収されていることは変わらないのです。金山を見つけよう、一山当てようと「地域活性化」と叫ぶことよりも、役割を終えたなら、大地に返すことで 静かに幕を下ろすことも大切な時代になりつつあると思うのです。