知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

命の値段の話

    オブシーボと言う癌の薬を、1年間使用すると一人当たり3500万円程度かかるので、厚労省が特例で半値にさせたという報道がありました。それは、この薬が、高額療養費の対象薬として保険から支払われているので、こんな高額な薬を多くの人に使われたのでは保険が潰れてしまうということからでした。製薬会社としては、開発費プラス利益と次の薬の開発資金を販売薬で回収するとなれば命に関わる薬であってもただの商品として冷徹に計算されて単価を出すのは当たり前の事です。このオブシーボと言う薬は、保険適応に当たっては、悪性黒色腫の皮膚癌患者470人程度で販売した場合で計算されて承認されたのですが、昨年末から肺がんでも使えるようになったことで、想定患者数が30倍以上にもなり、総額が大きくなったことで問題となりました。薬価を決める過程はあまり公となっていないからくりがあるということですが、悪性黒色腫という珍しい皮膚がんの患者にしてみれば、保険適応されたことで、3500万円の薬代が幅はありますが300万円から100万円ぐらいの自己負担で、死なずに済むと言う事ですからこの金額だけで騒がれると迷惑なことと思います。ただこの薬が他の癌にも効くらしいとなって、使用人数が増えたなら、患者の人数で割り戻すべきというのも間違いでも無く、特例で半額にしたと言う事ですが、さらに使用者が増えればもっと安くなるのかは不明です。ここには、3つの課題があります、一つは、新薬の開発は民間の製薬会社が行っているのですから利益が生まれることを前提として、取り組む病気の開発の選択は自由です。ですから、広く多数の人に販売できれば価格は低くなり、少数になれば高くなると言う普通の論理が生まれますが、保険適応という事があれば、少数でも開発費も利益も出すことが出来ると言うことです。二つは、慢性薬と特効薬の違いです。高価でも短期で完治するなら、特効薬を使用することで命を救うことは出来ます。例えば、C型肝炎では、12週間で、546万円掛かりますがでウィルスを撃退できますから保険薬として誰もが良かったと思えます。しかし、慢性的な疾病の薬は、低価格でも服薬し続けなければなりませんから、服薬者が増えれば当然全体としての保険費用は増加します。それでも、その薬によって生命が長らえているなら、命を買っていることと同じです。三つは、保険と薬科の関係が不透明だと言う事です。薬価の見直しは通常、2年に1度ですが、既に儲けた薬の薬価はだんだんに下げるシステムにはなっていません。ジェネリックは、年限がすぎたと言うだけですから、製薬会社としては売れる薬は年限一杯まで稼ぎ頭として維持していくことでは変わりません。そんなことで、政府は使用患者が大幅に増えた高額な薬の価格を、随時引き下げる制度の創設に向けて検討に入ったということです。 

 しかし、免疫治療薬「オプジーボ」は、免疫力を高める薬ですから、1年程度は治療が続きますし、肺がんの場合でも2割程度しか効果が無いのではないかと言う報道もあります。つまり、服薬してみないと効果は分からないし、いつまでなら効果が出て、諦めるのはいつなのかという判断基準もありません。免疫治療薬ですから、再発に不安がある患者さんや他の治療が無くなった患者さんにとってみれば、保険で無くても服薬してみたいと思うのは普通の事だと思うのです。若くして癌で死んだ友人は、「保険承認されていない外国の薬があるけれど1日3万円するのだ俺にはそんな資産は無いし効くか効かないかもわから無いからね」と言って命を買うことが出来ませんでしたが、保険診療ともなれば、誰だって縋る思いで試したくなると思うのです。過去の丸山ワクチンの時も行列を作って購入していた場面を見たことがありますが、誰でもが、命が買えるならその薬が効くのか効かないのかよりもまずは試してみたいと思うと思うのです。その命の公平さに少しでも近づけようとしたのが高額医療費制度でもあると思うのです。実際に、この高額医療制度で治療を続けている患者さんも沢山います。つまり、高額医療制度がなくなれば、死を選択しなければならない人が出ることを考えるなら、維持しなければなりませんが、現実には難しい状況が出て来たことをオプシーボ報道から考える事が出来ると思うのです。人の命に関わる薬が、製薬会社の選択に任され、儲からない病気への開発がされなかったり、エイズの薬が高額で本当に必要なアフリカの人々が買えなかったりが現実にあります。そして開発されても、その薬の値段が命の値段になってしまうこともこれから増えてきそうです。高額医療制度に関わる薬は、開発時に国が買い上げ、薬剤会社に委託製造させる位の対応をしなければ、命の値段がこれからはもっと出てしまうかも知れません。