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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

ノーベル賞も、一発屋じゃないのの話

 ニュートリノの観測でノーベル物理学賞を受賞した小柴さんが賞金を含む4,000万円、個人の寄付6,000万円を基本財産として平成基礎科学財団を設立し基礎科学の振興を目指しましたが、財政難で解散となりました。理由は、地方自治体や個人などからの賛助会費で賄われた運営費は、ノーベル賞の輝きが減ると共に退会者も増え、自治体からの会費も減少して続けることが出来なくなったと言う事です。今年も、ノーベル賞の受賞があり、口々に基礎研究が大事だとの話が出ましたが、ノーベル賞を貰った偉い研究の説明を受けてみると、何千何万という微生物の中の一つの研究だったり、それが何の役にたつのと問われ続けて何十年と言うものだったりしています。つまり、基礎研究という分野は、果てしなくて研究者が研究していると言えば基礎研究で、路傍の雑草に過ぎないと言えばそうなのかとしか思えない事としか思え無いことばかりです。実際大学で研究している学者が、世の中人の為になったと評価される研究はどれほどあるのか分かりませんが、ノーベル賞を取るためには人と違う独創的な研究をしなければなりませんから、どう見ても変人・変わり者と言われるぐらいでないと何十年も地道な基礎研究など出来ないと思うのです。すると、逆に何十年やっても成果効果は無く退官していった学者の方がどう見ても多いと思うのです。大学や研究所に採用されている学者はそれでも生活の保障と研究の保障はありますが、市民で研究している人は、全て自腹で延々と頑張っても光が当たることはまれだと思うのです。通常科学の場合は仮説を立ててそれを証明すると言う事ですが、ファーブルの昆虫記では無いけれど、観察を続けることで発見したり、他の研究中に偶然見つけたりと言う事も聞きます。ノーベル賞を狙おうと韓国は世界一力を入れていますが、その成果は上がっていません。村上春樹さんは今年で11年もノーベル賞だと言われながら受賞には至っていません。科学の世界でも、研究は独創的で無ければなりませんし、何十年研究したって、先に発表されてしまえばそれでおしまいです。世界中の科学者が研究しているのです。しかも、物理学なんてとっくに相当の設備が無ければ出来ない状態になっていて、素粒子の研究ができるのは先進国の巨大な最新鋭の実験装置がなければノーベル賞なんてとても取れない状況とも言われています。そして、さらに世界に通用する論文として書き上げて発表しやなければ、賞まで届かないのです。

 しかも、基礎研究なんて善悪どっちへもなびく事は出来ます。核兵器だって素粒子物理学という基礎研究の上に成り立っています。先日、新聞に「鳥インフル論文、テロ懸念で米誌掲載見合わせ」という記事があって、内容は、強毒性の鳥インフルエンザウイルス「H5N1」に関して生物テロに悪用される危険を理由にサイエンスという研究誌が掲載を見合わせました。でも、研究している人は、純粋に鳥インフルエンザウイルスや、その変異したウイルスが人間にうつることを防ぐ新薬や新しい治療法の研究をしていたのかも知れませんが、生物兵器にもなる可能性があるほど進んだ研究だったと捉えられたのか発表さえ拒否されました。一生懸命やっても、悪に利用されそうな研究と判断されれば、科学雑誌や学会への発表をさせないだけでなく、研究費を絞ってしまうなんてことで制限されることもあります。病気の治療薬になれば、人類や世界にとっての有用な研究成果として賞に結びつくかも知れませんが、兵器のように、忌むべき結果に結実したものはノーベル賞級の研究で終わってしまいます。つまり、基礎研究と言っても人間にとって有利な研究なら、ノーベル賞と一気に評価は上がりますが、人間にとって不利だと判断されると純粋な研究だとしても拒絶されるのです。基礎研究なんて裾野が大きくて結果何十年も研究して何の足しにもならなかったと言う研究も多いと思うのです。研究者は、基礎研究から何が出てくるか、それは誰にも分からないが、基礎研究がないとそもそも何も出てこないと言いますが、その為の研究費はどこから出てくるのかと問う必要はあると思うのです。日本の、基礎科学・芸術等は、主に国からの財政支援に依存していて、欧米諸国のような寄付によって成り立っていないとも言います。でも、寄付こそ成果効果を求めており、なんだか分からない研究に欧米だって寄付が集まっている訳ではないと思うのです。電子の発見によって、何の役に立つのか、発見された時には誰も分からなかったけれど、いまエレクトロニクスがなかったらどうなりますかと言うのですが、スマホやICレコーダーがあるから利用していますが無ければ無くてもいい暮らしがあると思うのです。つまり、基礎研究で、分かったから、便利になったのだから基礎研究が大事だと説明しますが、インターネットも兵器として開発されたように武器の多くが基礎研究の成果でもあるように基礎研究は、善悪どっちにも進める事が出来ることを考えれば、ノーベル賞ほしさに基礎研究こそ大事だとは言えないと思うのです。まして、ノーベル賞の選考内容を聞けば、受賞から漏れた優秀な研究も数多あることからすれば、受賞できたのも一発屋と同じ土俵のような感じがするのです。受賞はめでたいけれど、それは全く芽が出ないけれど努力続けた芸人が突然売れたけれど次のネタが無くて忘れられていく一発屋と同じな気がするのです。受賞の熱が冷めたらもう寄付も集まらなくて潰れていくのですから。