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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

関わりは自負を土台に重ねていけば良いの話

 人が、求めているものは「関わり」だと思っています。関わっていたいと言う思いであり、関わっているという感触だと思っています。ところが、大事な場面やみんなでやることから排除され、あんたは良いから見ていなさいと、関わらなくても良いでは無く、関わるなと言う事ばかりが続くと、関わり方が分からなくなります。出来ないと言うことと、関わるなと言う事は大きく違います。同じ仲間であり家族であるのに、みんなは怒鳴り合うような忙しさの中にありながら、「あんたはやらなくていい」と大事にされているのではなく、棚上げされていることに、気づいて本人なりにどうしたら関われるのかと、様々なチャレンジをするのですが、全て失敗し、最後は出来無いんだからやらなくて言いと断言されてしまう経験を持つと、人は対人関係不安定と言われる人になってしまいます。ですから、対人関係不安定な人を作り出すことは簡単に出来ます。対人関係は、量的接触よりも、質的な接触経験によって個性として形成されます。対人関係不安定な人は、現代ではますます増えてきています。そして、状況によっては、障がいというレッテルが貼られることもしばしば見られます。対人関係不安定な人の対人関係は、関わりが、苦手で生きていくには、誰かに代替的に依存することとなります。その依存心は関わりの失敗を再現するように依存者に向けられ、依存者の負担が多いと、行動障害とまで言われることになります。人との関わりは、経験を積みながら上手下手はありますが、誰でもが変な人、変わった人としてでも、自分の方法を確立していくものですが、環境にその受容力が無ければ対人関係自立は中々大変です。依存性が非常に高くなると自分の不満も高くなり依存者への敵対的攻撃も増えて、結果は、病院での拘束などと言う事になってしまいます。本人は、人と関わりたくて行うことは、周りが困ることばかりで、拘り行動と言われ嫌われます。その結果、関わる人が限定され、さらなる対人関係自立の道は狭くなっていきます。現代のように社会性というルールが曖昧で変化が大きい社会では、応用力よりも適応力が求められますが、対人関係不安定な人ほど人との関わりの適応力が乏しいのです。こうして人との関わりが不得手な人が、障害者や精神的疾病者のようになってきています。

 人は、社会的に何をしているかと言う事ではなくて、この事に自分は関わっている、自分が関係していると言う事に喜びがあると思うのです。そこには評価では無く受容が必要だと思うのです。日本の社会では過去にも対人関係のルールがあってそれなりに機能していました。しかし、今日では、欧米風に自分の意見をきちんと言うことが正しいとされながら、過度の自己主張は駄目、論議をすべきと言いながら相手を非難するのは駄目、断言した言い方は駄目、自分の意見は言ってもみんなの意見に従うなど、欧米と日本風が都合の良いように使用されています。つまり、評価や非難は、力の強い人の考え方に左右されていて、自分の本音や相手が困ることは言うなという日本風の考え方と自分を表現する西洋風の考え方のバランスを純然たる感覚で取ろうとしている状態ではありません。結果として、どうか変わって良いのかわからない人間を多く作り出しています。変化しすぎる、他人の評価に振り回されてしまうことが日常的に多くなっているのです。だから、本人は、頑張っているのですが、他者の評価を気にしすぎて対人不安定となっているのです。だから私は、敢えて「自負」を持つべきだと言っています。自負というのは「自分の才能や仕事について自信を持ち、誇りに思う」ことで、他人の評価を必要としません。自分を誉めて、自分を確立していく過程を大事にして欲しいと思うのです。