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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

ペットは奴隷、それとも家畜、の話

    テレビでは、猫や犬の餌が繰り返しCMで流れます。過去には、家族の食べ残し、いわゆる残飯なんて言われる食事をしていたときの方が長かったと思うのですが、栄養素まで考えられた人間が食べても支障が無いという餌がスーパーにも必ず列んでいる時代になりました。そして、ペットショップは盛況で、殆どのペットは売買によって確保され、人間世界の所有権が発生して、所有者を中心として人間の為だけに対応し、行動範囲の制限や所有者からの要請にいつでも対応しなければならない立場にペットはあると言えます。つまり、家畜は、商品であったり、商品を生産するものであったり、労働力の一部であったりと人間の生活を支える手段や方法の一部です。しかし、ペットは、存在が価値あるもので、精神心理上の価値を持っているにも関わらず、売買によって入手し、その生命さえも所有者に握られ、所有者に隷属して生かされています。しかも、時には人間と同等の扱いを受けている場合もあったりするのを見聞すると、そんなペットの状態は、人間社会の中の奴隷制度と似て非なるものかもしれませんが、私は、奴隷とどう違うのか考えてしまったのです。 

 奴隷制度というと、教科書で習ったアメリカの黒人奴隷しか思い出せないと云う人も多いと思うのですが、古代ギリシャローマ帝国奴隷制度の国でしたし、日本にも奴隷制度はありました。有名な安寿と厨子王丸なんかが有るように、人身売買は日本の戦後も存在して、私の持っている戦後出版された「人身売買」と言う本では、農夫として農業に、舵子として漁業に、林業、鉱業、様々な産業に、労働力として、児童が売買れている事が記されています。ですから昔は、言う事を聞かないとサーカスに売っちゃうぞなんて脅しもあったほど、人身売買は日常にあったことでもありました。日本では、奴隷とは言いませんでしたが、金銭で買われ、所有権が国にも認められ、自由意志で行動は出来ず、所有者の虐待も正当化されたような状況の人々は、日本にもずっと居ました。労働力としての奴隷は、農業を含めた産業が機械化されるまでは意識されないぐらいに普通にあったのです。つまり、身分制度があるような社会環境があると、最下層としての奴隷を社会として容認しやすい環境が出来て、奴隷に落とすぞは脅迫として、奴隷よりましだは現状の維持として案外支配には有効な手段の一つでもあったのです。そんな奴隷の供給は、戦争で、戦争に負けた民族を奴隷として売り飛ばしたり、使役したりしていました。これがローマ帝国などでは一般的でした。次が、支配に邪魔になる犯罪者、思想犯や政治犯、宗教の違い、さらに、少数異民族と案外ヨーロッパは産業革命前は貧しかったので、主な輸出品が奴隷などと言う時代もあります。イギリスはスコットランド人を何十万人も売り飛ばしています。それが国家事業として本格化したのがアフリカの黒人奴隷です。タバコや砂糖そして、綿花などのアメリカの生産を支える労働力の確保として、膨大な需要が生まれたのです。遠くから奴隷を運ぶより身近にいた北米のアメリカ インディアン、南米のインディオなどが奴隷にされましたが強い抵抗やヨーロッパから持ち込んだ、天然痘やチフスに感染して先住民たちが次々と死んだことで貧しいヨーロッパ人まで奴隷としてつぎ込みましたが、足りなくてついには、アフリカ人にまで手をのばしたのです。学校で習うときには、いきなり黒人奴隷だけを言われるのでなんて酷い奴らが居たんだ、鞭を持って繋がれた黒人を威嚇する奴隷商人の絵を見て、こいつ等さえ叩きのめせば、こんな悲劇は起こらなかったのにと思うのですが、本当は、みんなが認めたちょっと際どいけれど正当な商売だったのです。つまり、奴隷の売買を生業とする連中や国家があってもそれが不当だとは言われていなかったのです。その結果、イギリスの貴族が、黒人の幼児をペットとして飼うと言う事まであったのです。人間と犬・猫の関係は深く、ペットなのか家畜なのか分からないところは沢山ありますが、明らかに物珍しさで野生で暮らすことの方が適正な動物や昆虫やは虫類等々が、ペットという言い方で、買われています。奴隷は、売買され、所有権が決められ、所有者により拘束され、所有者の命令に従わされ、所有者より虐待も受けます。人間同士の奴隷は今でも世界では、常識という国もあります。家畜とは違う生き物を自分の自由にするために自分の欲求を満たすために、拘束し意志を奪うことが、適正では無いと言われるときが来たなら、ペット所有者は、黒人の奴隷商人と同じように歴史書に出てくるのでしょうか。