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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

東京都福祉局の踏み絵を踏まないと資格は貰えない話

 私が参加した東京都の障害者支援研修の演習のケース概要はこうです。「母親が相談に来た、内容は、娘が大学の時にバイク事故で頸髄損傷による四肢麻痺で肩から下の感覚が失われている、ほとんど全面介助状態なので疲れた母親が施設入所も検討したいとの相談だった。その後本人とだけの面接をすると本人は一人暮らしをしていきたいとの希望があった。」と言う事例から、相談員はどの様なケア計画を立てるかという演習です。しかも、初めから本人の言い分は一人暮らしだという資料しか出さず、母親の意見や、母親との依存関係、本人のリハビリ歴、本人のサービス利用体験から見える性格の分析や本人の生活環境などの検討をすべきだという私の意見はすぐに却下されました。理由は、相談支援の基本は、本人の声を聞くことであり本人のニーズを確認することであり本人のニーズを実現するケア計画を立てることだから、余計なことを詮索する必要は無いと言う事です。さらに、本人の意向だけを根拠として進めることは相談支援とは言えないと言うと、本人の希望が第一で本人の希望が一人暮らしなのだから本人の希望通りのプランを立てることがこの回の演習の目的で余計なことを考える必要は無いと無視されたのです。既にカリキュラムは出来ていて変更する気は無いと明確な対応が示されたのです。私は、他人の人生について考える演習ですから、多種多様な考え方が提示されて討論するのがグループワークと思っていましたが、都とその仲間達が作った結論に向けておさらいをすることがこの演習だと確認できましたから、反論はしない、抵抗もしない、但し意見は求めないでくれと宣言しました。理数科の正解がある演習ではなく、他人の人生に関与する結論を出すためには、どんな過程が必要か学ぶ演習で、自分たちの意見が絶対だと、単一意見にだけまとめようとする姿勢は公平だとはとても思えません。もし、本人の気持ちが優先するなら、その障害者にとって害となる要望があったときはどうするのか。繰り返し失敗する生活経験の持ち主だってやっぱり失敗の原因となったことを望むことがしばしば見られます。困難なケースを学ぶべきが演習だと思うのです。そして、誘導か、静かな強制でもしない限り他人の人生の相談で異論もなく、12グループの結論がみんな同じになるなんてことは起きないと思うのです。

 この研修は、少数者である障害者の支援にあたっての考え方を学ぶものですが、多様性も認めず、都の考え方が唯一であるという独善的な考え方だけをなぞらせる事だけを強制しているのです。その国や都であっても措置制度、支援費制度と変化しており、福祉においては絶対これしかないということはないことは都自身の変化が実証しています。にもかかわらず今の都と同一の考え方のものにしか資格は付与しないというのは、公平でないだけでなく、独善的な権力の行使でありまるで統制です。都の職員で研修の責任者は、研修を受けなければ資格が取れないという弱い立場の者に対して、強圧的に、同一の考えでなければ参加さえさせないという排除の論理を平然と言い、方針に従えない人に資格を与えることはできないとまで言い切りました。その論拠は、私が初めて知った都方式のグループワークで、意見を言わないなら参加する意味がないと言うもので、研修後にどんなに調べても、そんな規定などありませんでした。私の知るグループワークは、多様な意見を出し合い、それを調整するものでそのスキルを持つ人が指導するものと言う認識は当日否定されましたが今も都方式がおかしいと思っています。グループワークの形だけで実態は、初めから、着地点を決めてそこへ誘導するだけなのです。ガイダンスでみんなの意見を聞くことが大事だと言いながら、その裏では、余計なことは言うな、都の求める言葉を言えと言っているだけで、都方式のグループワークでは、この踏絵を踏まないと参加させてもらえないのです。そして、都の研修責任者は、帰るなら事業所へ私から連絡しますと平然と言い放つのです。個人参加ではなく事業所からの推薦による参加なのですから、途中で帰ったなら困るんじゃないのとの心配の言葉もなく、帰っていいですよと平気で言える感覚には、邪魔者がいなくなることだけを考えているだけで福祉の研修なのに相手の立場や思いやりなど全くありません。

 方針に反しているわけでもなく、暴言や妨害をしているわけでもなく、自分の意見が違うから、論争などとなって遅滞しない様に発言は控えたいと言っているだけで都の方針に従っていないと決めつけられ、グループワークに参加して意見を言わない人は、参加すべきではないという都の方式で、参加の意欲があるにも関わらず、帰ってもいいと言われたので、事業所への説明も、資格が取れない影響もあるので、最後の時間までは、建物内にとどまり参加意思があることは証明したいといっても、都の方針等に納得できないなら、参加することはできないの繰り返しで、黙って帰っていただきたいの本音が透けて見えました。この教室に謹慎させられ、資格も取れないなら、それはすべて文書で頂きたいと言ったが、東京都は無視するんだろうなと責任者を見て感じました。

責任者のお情けで最後のまとめの全体会には参加させていただいたが、ここでも都の二枚舌のような対応を実感しました。それは、研修の講師の一人で総合司会となっている方が、自分は理事長であり施設長であると話、研修で考えさせられたことに、モニタリングで本人がいなかったことがあると吐露していたことです。国の指導でも、社会福祉法人改革として、経営者と管理運営者は分離してチェック体制を確立することはもう何年も前から言われているのに、その事に反抗して法人内に内部統制としてのチェック機能も確立していない独裁者のような人が、都の講師として平然と得意話をし、本人主体の研修で本人が中心だと話しながら、自分の施設では絶対に本人がいなければならない場面のモニタリングに本人がいなかったと平気で語ることなどルール違反を犯している人が運営委員なのです。

 さらに、偶然時間が余ったとしてのて研修の感想を一言と、会場の3人に全くランダムにマイクを渡された方の一人が、自分は児童を見ているが児童の場合は発達のこともあり本人の言い分だけではできないとこの間の研修の本題を否定する発言をしているのに、誰も何も言わないのです。ずっと違和感を思いながらも、従っていた人はめでたく資格取得となり、演技できずにほんとのことを口に出すと排除されてしまったと言う事がここでも明確になりました。人の人生に関わることには本当に慎重な対応が必要なのです。それを教えるのが、実務研修でないと現場で役に立ちません。人生や福祉は、答えは一つではないことがわかっていません。福祉は、多くの人に支えられてこそできるのであって本人の気持ちだけを支援すればできるものではありません

もし、東京都ご自慢の研修の通り、本人の意志が最重要でそれに基づかなければならないというのなら、都の事業団が運営する入所施設は解体すべきです。なぜなら、入所者の多くが家へ帰りたい思っていますし、一人暮らしがしたいと思っています。そして、障害が重く施設に暮らさなければならない障害者の苦痛を同じ都の職員として声を上げるべきです。弱い立場の参加者の権利を奪う前に。偉そうに本人の希望を叶えるのが相談支援だというなら、自分の足元から見本を見せ、身体障害者の施設を解体すればいい、知的障害の都外施設を廃止すればいい。できもしない癖に偉そうなことばかり言って資格を取らなくてはならなくてじっと我慢している参加者にに得意になっている姿で障害者に接しているのだろうと思われました。

必要だから研修に来ているのに簡単に帰って良いよと言う程度にしか相手のことを理解しない研修責任者、グループワークでまとめ役なのに調整する事なく参加拒否する福祉相談者、ルールを守っていない施設長という仲間達のサロンに資格などと言う権限を与えると自分たちがどんだけ偉くなった気持ちになっているのか私にはわかりません。

結局、この偏った研修など忘れて、現実に対応する器用な相談員が相談員としてやっていけるのだろうと思った。何故なら、都がこんなに高飛車に頑張った研修を受けて現場で実践しているのは、三分の一もいないことがはっきりしているからです。それほどこの資格に魅力がないからです。