知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

スモールステップが苦手なタイプの話

    教育者だけではなく、親も普通の人も、教育方法として、スモールステップと言われるとなるほどと感じ入ってしまいます。確かに、一歩の歩幅を小さくする様な方法なら誰にでも適応しそううに見えます。かみ砕いて、固形物なら、液体にする位に本人が食べやすく、吸収しやすくするなら、どんなことも教育として成り立つのだと言われると、小さな事の積み重ねが大事だという何となく納得していた教育観もあって、誰もが納得します。ところが、発達というのは、人間が検鏡して予測したステップを飛び越していく人からそのステップをいくら小さいものにしても乗り越えられない人もいるのです。健常な知能があるという人でも、自分の得意分野なら普通のステップでも難なく進みますが、全く苦手な分野では、専門家がスモールステップだと言っても進めないこともあります。例えばアインシュタインの理論。分かったように思えても人に説明できるほどには理解出来ません。点・線・面・立体・時間に繋がる四次元の世界も分かったようで、時間を止められるかも知れない、時間を戻せるかも知れない程度にしか説明できません。つまり、理論として、明確な物理的なことや科学的なことであっても、誰でもがスモールステップであれば、理解出来るとは限りません。スモールステップも教育の方法として一部の分野では有効でも、全ての分野に適応するものでは無いのです。そして、一番に適応しないのが、行動・行為に関する、精神的・心理的な育成に対してです。例えば、気分障害、物質関連障害、注意欠陥、多動障害、自閉症スペクトラム統合失調症、境界領域等々は、治療法が解明されていない数々のみんなが困る症状を呈する人に、なんとなく付けられる症候群に類似した病名ですが、通常の一歩がなんであるかさえ分かっていませんから、スモールステップその物も構成できません。脳の断層写真や代表的な脳波計などの反応、数値を何とか読み取ろうとしていますが、「~だろう。~では無いか」の範囲を出ていないのが現状です。誰も解明していない人間の行動の不思議に、幼児期や学童期・少年期に、集団行動や対人関係で問題があり、スモールステップならと繰り返し試行されて、混乱してしまって大人になったときには、障害が重複してしまっている人に出会うことがしばしばあります。この様な人は、強い不安、強い依存心を中心に、考え方がめまぐるしく変わる、感情の起伏が激しくキレやすい、一貫性がなくコロコロ変わる、自分の目的遂行のために平気で周囲を巻き込む、些細なことで突然激昂し、暴れたり破壊活動をするなどと言う状況を見せます。支援したり、介護している人に対しても、自分の期待通りになってくれないとすぐに「わかってもらえない」などと手のひらを返したように攻撃的になります。当然周りは、我が儘としか受け取ることは出来ません。

 人間の社会では、知的能力以上に、社会性や対人関係が生きていく上では重要なのですが、この社会性や対人関係の学習で、スモールステップが本人に混乱をもたらすことが見られます。例えば、我慢するというのは、自分の目的を達成するための過程に過ぎませんが、不安感が強いと我慢は苦痛以外の何ものでもありません。依存心が強いと我慢させられるは、罰と同じに見えます。つまり、お菓子を貰う前に、待たされると言う事は、絶対貰えると誰もが思える環境でも、貰えないかも知れないという不安を自己増幅するタイプの人にとっては苦痛ですし、依存心が強いタイプにとっては、何故すぐくれないのかお預けされることは罰を受けている感覚になると言う事です。そして、興奮という行為になり、お菓子が得られない経験をすると、不安感や依存心はさらに強化されます。支援者は、我慢を学習して欲しいと、10分が駄目ならスモールステップとして時間を短くして試みますが、これは、ゴールの先送りと同じです。課題は、強い不安感や依存心ですから、我慢出来るようになるには、不安の緊張や依存心の緩和がされなければならないのですが、そのような事項での、スモールステップが立案できないので、我慢の時間を長くすることが目的となって、時間を短くしてだんだんに長くしていこうと言う方法を採用しがちです。つまり、スモールステップという考え方が良くても、量的なことなら誰でもが考案できるのですが、質的なことのスモールステップは非常に難しいのです。感情のコントロールや対人関係では、我慢することや待つことは重要な要素ですが、我慢したら、待ったら、何かが貰えると言うことに関して、今すぐ欲しいと言う要求しか持てない人もいるのです。実際には、①分解ステップが理解出来ない、同一物の変化の移行が同一と理解出来ない。②場面の連続性が理解されていない  順番に並べられない③時間の経過が理解出来ないなど、見えない、抽象的事項は困難な人たちに、量的なスモールステップを押しつけると悪化するのです。やがて、周りが困るような要求ばかりを並べ立てるようになり、支援困難者となっていきます。教育にも沢山の方法がありますが、万能はなく、個別に適したものを探す方法でないと、方法の間違いによる人為的な障害も発生していると言う事を知って欲しいと思うのです。