知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

都会の大木なら残れそうの話

 ある都市の100年位のケヤキの大木が、住民の運動で伐採されそうになったのを区が土地ごと購入して公園として残ったという話があります。その実話が絵本になったりしていい話だなとみんな思っています。少し前に、マレーシアのサラワク州の森林がこの数年で消失したとの報道がありました。そこでは100年位たった大木が簡単に切られて、トラックに積まれ現地の工場で、合板にされ、住宅の床材やコンクリート型枠用に、輸出されています。日本の輸入合板の46%がこのサラワク州産であり、サラワク州が輸出する合板の59%が日本向けに輸出されています。マレーシアの州というのは日本で言えば県にあたりますから、サワラクで消えていく森林の6割が日本に来ているという事になり、日本の災害を含めた大量の建築資材需要の、半数近くを賄っているのですから、毎日どんな勢いで木が伐採されているかは想像できないぐらいです。まして、県程度の土地から切り出しているのですから木の成長を考えれば、どんなに植樹したって再生に間に合うはずなど有りません。しかも、家具などの使用ではなく、コンクリ-トパネルなどの合板になって仕舞うのです。コンクリートパネルは公共工事では使い捨てです。例えば学校などを建て替えると時の仮校舎のプレハブなども使い捨てなのです。公共工事では、中古品による不正が発生しないように消耗品は、新品を使用し、使用後中古品として横流ししないように廃棄してしまうのです。価格がどうにでもなるリサイクルは不正の温床になるから行わないのです。だから、コンクリートパネルも使い捨てするために大量に必要なんです。パネルは鉄製でも良いのに繰り返し使用できるものを使用すると価格が安くなるから、消耗品として木材のパネルを使用するのです。店頭で、畳一枚分の合板、いわゆるコンパネは、余った木材を重ね合わせたものでは無く、立派な何十年も生きた大木から出来ています。合板と言うだけで、余り木かと思うと、それは間違いなのです。木材で出来る加工木材には、合板・集成材・ボードとあってその材料は違うのです。合板というのは、大木を大根の桂剥きのように薄くそいだ木「単板」または「ベニア」を接着剤で貼り合わせたものです。集成材というのは、ある程度の幅・厚みをもった板材「ラミナ」を接着したものです。これには板材や柱材などもあります。ですから、いらなくなった 木の小片や繊維を接着剤などで固めたものは、「木質ボード」と呼ばれています。ボードも色々な製品があって、下地、床、壁などに広く用いられています。つまり、合板というのは、端材や古材のリサイクル品ではなく、大木の原木から作られているのです。その為、以前はフィリッピンから、ラワンとして商社が輸入し、大切な熱帯雨林を消したのです。  

 都会に残った大木も、ジャングルに列ぶ大木も、地球のためには大事な一本に代わりはありません。地球温暖化を恐れるのならどちらも切るべきではありません。でも、人間同士の都合で、守られる木と伐採させられる木があるのです。現地の住民にとっては墓であり生活の基本となる狩猟の場であった森も、人の住んでいない土地として開発の許可が下りてしまうのです。日本でも、神宿る木として残されている神木は確かに沢山あります。そして木造建築が何百年も続くという証明としての寺院もあります。熱帯雨林の立派な大木が、家具や家として何年も利用するのでは無く、建設工事で使い捨てされてしまう型枠用の木材の材料とされてしまっています。勿体ない精神などどこにもありません。まして、木に代わるものが有るのに、現地の経済が低いと言うだけで商社が安く買いたたくことで成立しています。都会の木を残そうという気持ちが商社と行政にあれば熱帯雨林が残されるのに、大木が伐採されずに済むのにと思うと、とても残念なことです。木の価値は、都会でも、ジャングルでも同じなのに。